任天堂が新型DSとして『3DS』をという物を出すそうな。
裸眼でも3Dに見えるというのが売りらしい。
『アバター』以降、突如として映画も3Dという謳い文句をCMで多数見る事が増えました。
(個人的にその流れをすかさず逆手にとって3DではありませんというCMを流したTRICKの強かさは好きです)
私はまだ3DSもプレイした事がないし、3D映画を劇場で見た事もない。
でも人づてにそれらの話を聞いていると、果たして3Dというのは必要とされて産まれた新技術なのかと思ってしまう。
どちらも共通して感じるのは、受け取り手にこういう映画が見せたい、こういうゲームをさせたいんだけど、それを最も有効に出来る手段こそ3Dなんだという作り手の意図を感じる作品がない気がする事。
本来新しい技術というのは作り手側が新しい物造りをしていく中で、『これをするにはこういう新技術が必要不可欠だから生み出した』という側面が合ったと思う。
でもこの3Dという技術に関してはどちらかというと、『やっと3Dで見れるTVや映画が出来る技術がコストに見合う値段に落ち着きましたからどうぞ』という感じがする。
穿った見方をすれば、TVは薄型TVの普及がある程度終わったから、新しい市場を開拓するために作った様にしか見えないし、映画も映画館なんかのハード面のインフラ整備、上映料金の値上げを狙っている様に見える。
どうも最近は本来の目的と手段が逆転している気がしてならない。
新しい市場を捻り出しても成熟する前に新技術を投入して新たな儲けを出さないと会社が潰れるという強迫観念でもあるのだろうか。
そんな風に見えるくらいとにかく矢継ぎ早に新作を出すから、表現側は新しいアイディアを出す暇もなくて、仕方なく過去の作品の水増しとしか言えない駄作を世に出しているのかなと思ってしまう。
誤解ないように先に書きますが、私は3Dという技術を否定はしません。
ただ現状を見ていると、映画にしろゲームにしろTVにしろ、3Dだからこそ活きた、生まれたという優秀なコンテンツは偶発的にしか生まれず、せっかく生んだ新しい産業を巧く活かしきれないのではと危惧しています。
デジカメなんかもそうですが、新しい技術=既存の技術の否定ではないんです。
違う表現方法なのだから向き不向きがあって当然。
そこを理解しているのだかしていないんだか分かりませんが、商業的な理由だけを優先して結果、古いものも新しいものも宝の持ち腐れにしているように見える現状が少しでもマシになってくれればと思ってます。
技術というのは人が幸せになるために使うものであって、どんな素晴らしい技術でも逆に人が技術に使われるような状態になるのは本末転倒かと。
今は後者の方が多い気がします。