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原発事業「0円買収」の暴走

2018-01-10 06:54:50 | 日記
原発事業「0円買収」の暴走
半導体メモリー事業の売却や6千億円の巨額増資により、経営再建へ一歩を踏み出した東芝。140年の歴史を持ち、日本を代表する名門企業はなぜ未曽有の危機に陥ったのか。
買収は異様な手順を踏んだ。対象は債務超過に苦しむ建設会社。かつて経営破綻した前科もある。それなのに意思決定に欠かせないリスク・資産査定(デューデリジェンス)は後回しだった。債務が膨らむリスクを無視したまま、買収額を0円(債務超過のためWHはのれん代105億円を計上)と算定した。
 東芝本体の経営会議は不都合な事実を見過ごし買収を承認した。「複雑な訴訟の解決には買収しかないとの説明だったが、他部門の役員はつっこみようがなかった」。ある幹部は当時を振り返り弁解する。
当時は「原発ルネサンス」のさなかにあり、世界で原発建設に追い風が吹いていた。米ゼネラル・エレクトリックと並ぶ米名門企業のWHだ。入札には三菱重工業や日立製作所も参戦し、2千億円と見込んだ買収額はみるみるつり上がった。
 高騰する買収額に取締役会では異論もあがり、推進派だった原発担当副社長の庭野征夫も「2800億円を超えると投資回収できない」とブレーキをかけた。「何言ってるんだ。リスク背負わなきゃ、将来もないだろ」。西田は一蹴する。「佐々木の言うことが正しい」。強気の戦略に同調したのが、庭野の部下で常務の佐々木則夫だった。取締役らの懸念はかき消された。
 表面上はうまくいっているように見えた。WH買収後、東芝の株価は上昇基調に入った。同時期に次世代DVDの開発撤退を決めるなど東芝は選択と集中の花形企業となっていく。「成長産業の原発は東芝の柱になる」。西田の声は社内でさらに大きくなり、佐々木の原発部門も「エリート部隊」に押し上げられた。
17年2月、社長の綱川智は巨額損失の発覚を受けて原子力事業を社長直轄にすると発表した。WH買収から11年。経営トップが初めてWHのガバナンス強化に直接乗り出した。WHが経営破綻し連邦破産法11条による再生手続きを申し立てたのは、その1カ月後だった。資料:日経

ネスレ日本の高岡社長が小倉氏から学んだもの

2018-01-10 06:46:59 | 日記
ネスレ日本の高岡社長が小倉氏から学んだもの
ヤマトグループは小倉氏が去った後も、その哲学を大切に守り、歴代トップが経営に当たってきた。日経ビジネス編集部では2017年、小倉氏以降のヤマトグループの歴代経営陣が、カリスマの哲学をどのように咀嚼し、自身の経営に生かしてきたのかを1冊の書籍『ヤマト正伝 小倉昌男が遺最高経営責任者)に就き、同社を率いてきた高岡浩三氏。それまでも高岡社長は、「キットカット」などを扱うネスレコンフェクショナリーの社長として、キットカットの売り上げを伸ばしてきた。ネスレ日本の社長に就任した後も多様なマーケティング戦略で同社の存在感を高めてきた。その高岡社長が尊敬する経営者が小倉昌男氏だ。
私はネスレコンフェクショナリーの社長に就いた頃から、経営というものに直接触れ、色々と考えるようになりました。日本の場合、やはりオーナー創業社長がイノベーターであって、ほかは大半がサラリーマン経営者なんですね。私はサラリーマン経営者だけれど、いかにオーナー経営者のようしたもの』にまとめた。
2011年11月、日本人として初めてネスレ日本の社長兼CEO(な考え方を持ってイノベーションを起こすべきかと常に意識してきました。イノベーションを起こすことはやはり社長の仕事であり、それも創業社長やオーナー経営者でないと難しい面があるからです。
実は、小倉さんにも意外とサラリーマン社長に近いところがあったんだ、と驚いたんですね。象徴的なのが引き際です。小倉さんは現役時代、宅急便を生み出して日本人の生活を一変させた。普通のオーナー経営者でも成し遂げられないようなイノベーションを起こしたわけです。それなのに63歳になるとすぱっと辞めて、第二の人生として障がい者支援に携わるようになった。
 障がいを持つ人やその家族を支援したいだけならば、寄付をすればいいわけです。それなのに小倉さんは、普通なら到底思い付かないような、障がい者の人々がしっかりと働いて、その対価をもらえるベーカリー店を日本に広めようとした。日本を根底から変える新しいイノベーションを、再び起こそうと挑戦されていたのではなでしょうか。
AI(人工知能)やロボットが普及すれば、きっとホワイトカラーの仕事はこの先、大幅に減ってしまいます。それなのに、多くの企業は目の前の人手不足を恐れて、何とか新卒を採用しようと四苦八苦している。その点、最近私が着目しているのは、ほかの会社で定年退職したシニア層です。
これから先、さらに人間の寿命が伸びると、60歳や65歳で退職しても皆さんまだまだ元気です。同時に自分の親の世代など老老介護の問題も抱えるようになる。仮にしっかりと退職金をもらって定年できても、財政面で苦労をするケースも出てくるはずです。「まだ働き続けたい」と思うシニア層もさらに増えるでしょう。
小倉さんがつくった宅急便は、それまで世の中に存在しなかったものです。ですからこれを生み出したことは、間違いなくイノベーションと言えるでしょう。けれど、宅急便の後に生まれたゴルフ宅急便やクール宅急便は、「リノベーション」であって「イノベーション」ではありません。
 つまり、あんなに立派なヤマト運輸でさえ、小倉さんが去った後は、本当の意味でイノベーションを起こすのが難しくなっていった。それくらいイノベーションとは生み出すのが大変なものなのです。
資料:日経ビジネス