本当の賢治を渉猟(鈴木 守著作集等)

宮澤賢治は聖人・君子化されすぎている。そこで私は地元の利を活かして、本当の賢治を取り戻そうと渉猟してきた。

今回の勘違いから学んだこと(前編)

2016-03-09 08:00:00 | 資料
勘違い
 さて、私はなぜつい先ほどまで
    昭和6年の冷害で、花巻も米の作柄がかなり悪かった。……①
という勘違いをしてきたのだろうか。それは今にして思えば、昭和6年7月10日付『岩手日報』の記事の中に宮澤賢治の稲作予想
    平年作以下の減収と観測してゐる
があったこと。しかも、『校本 宮沢賢治全集 第十四巻』(筑摩書房)所収の年譜によれば同日の7月10日の項に、
 なおこの頃に、花巻駅で小原弥一(八重畑小学校教員時代、高日義海家の集会で一緒)にあい「冷害が心配で視察に行くところです」といい、「いま岩手県を救う道はモラトリアムをやることです」と大声をあげる。小原が問い返すと「岩手県は借金だらけです。この借金を返さないことなんです」と説明をはじめ、その声があまりに大きいので駅派出所の白鳥巡査がとびだして傍にきたがなおも大声を出し借金不払説をとなえ、白鳥巡査は危険思想かと緊張したが、改札で事は了る。本年は冷害、凶作による農村不況深刻化し、物価は前年より15.5%下落。農産物価格と農家購入品価格とのシェーレ拡大、農家は困窮する。
とあったから、賢治はこの頃既に「冷害」を恐れていたことが窺えるし、もちろん、昭和6年11月3日に記したという〔雨ニモマケズ〕の中の記述
    サムサノナツハオロオロアルキ
にもよったようだ。
 また、当時の『岩手日報』を調べてみたならば、昭和6年は早い時点から稲作の出来が心配だという報道がなされていたこともあったからだとも思う。
 そしてそのとどめは、詩「小作調停官」の中の次の連
   西暦一千九百三十一年の秋の
   このすさまじき風景を
   恐らく私は忘れることができないであらう
   見給へ黒緑の鱗松や杉の森の間に
   ぎっしりと気味の悪いほど
   穂をだし粒をそろへた稲が
   まだ油緑や橄欖緑や
   あるひはむしろ藻のやうないろして
   ぎらぎら白いそらのしたに
   そよともうごかず湛えてゐる

              <『校本宮澤賢治全集第十四巻』(筑摩書房)361pより>
だった。この連から、「西暦一千九百三十一年の秋の」は凄まじい「凶作」だったと信じ込んでしまっていた。もっと正確に言えば、たしかにこの年昭和6年は、岩手は「冷害」だったからそれは間違いないのだが、ついつい思い込みで、稗貫や花巻も「冷害」で「凶作」だったと私は勘違いしていた(実はこのような光景は、当時の花巻や稗貫では見ることができなかった、存在し得なかったというのにだ)。

作動しなかった批判精神
 それにしても今さらながら悔やまれるのが、折角次の『岩手日報』の記事を目にしていながら、先入観にとらわれて「今回の勘違い」に気付かずに見過ごしていたことである。
【昭和6年11月12日付 岩手日報】


 凶作を示す 本年の稲作は 昨年の約三割減 第二回予想高発表
十一日検討計係から発表された本年度第二回米収穫予想高は昨報の如く九十二万四千八百二十六石で第一回予想収穫高より三万三千余石の増収を見たが更に之を五年度実収高に比較すると二十六万七千二百三十五石(二割八部八厘)の減収を示すに至り県の予想する凶作を裏書きするやうな作柄である殊に今回の収穫予想高は不良を伝へられた昭和元年度の実収高九十四万七千四百七十二石よりも二万二千余石の減を来してゐることで、米価安の折この点頗る注目されてゐる各郡市の五年度実収高に対する比較増減左の如し(単位石)
     第二回収穫予想高  五年度比較増減△印減
          …(略)…
 紫 波  117,711     △ 21,604
 稗 貫  109,634     △  2,901
 和 賀  112,933     △ 25,781
 この記事によれば、昭和6年の米の収穫予想高は前年の約三割減だということであり、いくら前年昭和5年が豊作だったとはいえかなりの凶作になりそうだと私は安易に解釈し、これでは〝①〟であろうと決めつけていたといえる。これまた石井学部長が憂えていたように、私には「本来作動しなければならないはずの批判精神」がたしかに作動しなくなっていた。

「疑ってみること」の大切さ
 それが今回、昭和4年~6年の稗貫郡等の米の実収高

を調べて始めて、この決めつけ方が安易だったということに気付いた。それは、先の11月12日付『岩手日報』の報道から昭和6年の岩手県内は何処も冷害だと私は勘違いしていたことがだ。この時に、
    稗 貫  109,634     △  2,901
であることをもっと注意深く考えていれば、
    稗貫の前年収穫高は 109,634+2,901=112,535(石)
だから、
    109,634/112,535=0.974…
となり、昭和6年の実収高は前年と比べて2.6%の減収でしかなく、昭和6年の稗貫は「冷害」による「凶作」はなかったことを知ることができていたはずだ。県全体では3割減だが稗貫の場合はその10分の1弱程度の減収でしかない。しかも、前年の昭和5年は豊作年であるから、この時点で〝①〟のような決めつけ方は間違いだったということに気づくべきだった。ついつい思い込みの〝①〟に安易によりかかってしまっていた(しかも、もし花巻や稗貫の「凶作」を云々するのであればこの昭和4年~6年の3年間でいえば、昭和6年の方ではなく昭和4年の方でなければならない)。私の目は節穴であった。やはり、どんなことでも一度は「疑ってみること」の大切さを痛感した。

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