本当の賢治を渉猟(鈴木 守著作集等)

宮澤賢治は聖人・君子化されすぎている。そこで私は地元の利を活かして、本当の賢治を取り戻そうと渉猟してきた。

「家もかりてあり、世帶道具もととのえ」

2015-10-18 08:00:00 | 捏造された〈高瀬露悪女伝説〉
「賢治伝記」の虚構―捏造された<高瀬露悪女伝説>―
        (『宮澤賢治と高瀬露』所収の「聖女の如き高瀬露」のダイジェスト版)
鈴木 守
「家もかりてあり、世帶道具もととのえ」
 実は、その『宮澤賢治と三人の女性』の巻頭「宮沢賢治を知るために―著者のことば」で、
 私は「宮沢賢治傳」を書くことを生涯の仕事と考えている。その仕事についての、これは先ず第一の土台になる仕事のつもりである。
と森は述べている。したがって、同書に所収されている「昭和六年七月七日の日記」も「宮沢賢治傳」の一部であることになるから、おのずからその記述内容に事実の改竄や虚構、まして捏造は存在しないと森は実質的に宣言していたことになる。
 ところが、この「一方的な情報」には頗る問題が多い。「昭和六年七月七日の日記」における露に関する記述にはかなり信憑性が危ぶまれるものが多いからだ。そのことを以下にいくつか実証してみる。
 例えば、
 彼女は彼女の勤めている学校のある村に、もはや家もかりてあり、世帶道具もととのえてその家に迎え、いますぐにも結婚生活をはじめられるように、たのしく生活を設計していた。
という森の記述がそれだ。
 実は、当時露は湯口村鍋倉にある寶閑小学校に勤めていたのだが、その時の教え子の一人である鎌田豊佐氏に私は先年直接会うことができて、その頃露は「西野中の高橋重太郎」方に下宿していたということを教わった。さらに、その下宿の隣家の高橋カヨ氏からは、
 寶閑小学校は街から遠いので、先生方は皆「西野中の高橋さん」のお家に下宿していました。ただしその下宿では賄いがつかなかったから縁側にコンロを出して皆さん自炊しておりましたよ。
ということも教えてもらった。
 さてそうなると、露のその下宿は賄いがつかなかったから、寝具のみならずその他に自炊するための炊事用具一式も必要だったということになる。そこで、一部の口さがない人たちが露のこのような下宿の仕方を聞き知って、『もはや家もかりてあり、世帶道具もととのえてその家に迎え、云々』と男女間の下世話にして吹聴し、森はそれをそのまま活字にしてしまった可能性が大だ。
 なぜなら、森はその典拠をそこに何ら書き添えていないからだ。またもちろん、この森の記述内容は検証されたものでも裏付けを取ったものでもないことも明らかだろう。その頃から80年以上も経った今でさえも調べてみればこのように下宿の仕方などがわかるのだから、森が当時調べようとすれば露が当時下宿していたこと、及びその下宿の仕方は容易にわかったはずだからだ。したがって、先の森の記述部分は「風聞」であり、虚構であることを否定できない。

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