本当の賢治を渉猟(鈴木 守著作集等)

宮澤賢治は聖人・君子化されすぎている。そこで私は地元の利を活かして、本当の賢治を取り戻そうと渉猟してきた。

〔わたくしどもは〕(気に掛かったこと二つ)

2015-12-05 08:00:00 | 賢治の詩〔わたくしどもは〕
 では次に、肝心の〔わたくしどもは〕を改めて眺めてみたい。
一〇七一   〔わたくしどもは〕      一九二七、六、一、
   わたくしどもは
   ちゃうど一年いっしょに暮しました
   その女はやさしく蒼白く
   その眼はいつでも何かわたくしのわからない夢を見てゐるやうでした
   いっしょになったその夏のある朝
   わたくしは町はづれの橋で
   村の娘が持って来た花があまり美しかったので
   二十銭だけ買ってうちに帰りましたら
   妻は空いてゐた金魚の壼にさして
   店へ並べて居りました
   夕方帰って来ましたら
   妻はわたくしの顔を見てふしぎな笑ひやうをしました
   見ると食卓にはいろいろな菓物や
   白い洋皿などまで並べてありますので
   どうしたのかとたづねましたら
   あの花が今日ひるの間にちゃうど二円に売れたといふのです
   ……その青い夜の風や星、
     すだれや魂を送る火や……
   そしてその冬
   妻は何の苦しみといふのでもなく
   萎れるやうに崩れるやうに一日病んで没くなりました
              <『校本宮澤賢治全集第六巻』(筑摩書房)169p~より>
 こうして改めてこの詩を読んでみたならば、以前はそうではなかったが今回特に気に掛かったことが二つあった。それは、この詩を詠んだ日が昭和2年6月1日であることと「わたくしどもは/ちゃうど一年いっしょに暮しました」ということである。それも、特に前者がであり、この日があの葉書の日付のちょっと前だということに気付いたからであった。

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