というわけで安易には還元できないけれども、逆に全てが還元できないというわけでもないので、そのことに留意しながらでは再び〔わたくしどもは〕
に戻って、この詩を詠んだ日が昭和2年6月1日であることと「わたくしどもは/ちゃうど一年いっしょに暮しました」という記述がなぜ気に掛かったのだろうかというとについて少し考えながら何度か読み直してみる。
まず、この詩を詠んだ日が昭和2年6月1日ということであればもちろんそれは「下根子桜時代」のことであり、この詩の中の「わたくしども」とは普通に考えれば賢治とある女性とのことである。すると、その女性とこの頃まで「ちゃうど一年いっしょに暮しました」ということになればすぐに具体的に思い浮かぶのはもちろん高瀬露だ。それ以外の女性は当時の賢治のことを考えれば一人も思い浮かばないし、しかも、この直後に露は高橋慶吾に「マツ赤ナリンゴ」の登場するあの葉書を出していたことを私は思い出したからでもある。だから、どうやらこの詩は賢治が露のことを詠んだのではなかろうか、私はそう感じた。
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一〇七一 〔わたくしどもは〕 一九二七、六、一、
わたくしどもは
ちゃうど一年いっしょに暮しました
その女はやさしく蒼白く
その眼はいつでも何かわたくしのわからない夢を見てゐるやうでした
いっしょになったその夏のある朝
わたくしは町はづれの橋で
村の娘が持って来た花があまり美しかったので
二十銭だけ買ってうちに帰りましたら
妻は空いてゐた金魚の壼にさして
店へ並べて居りました
夕方帰って来ましたら
妻はわたくしの顔を見てふしぎな笑ひやうをしました
見ると食卓にはいろいろな菓物や
白い洋皿などまで並べてありますので
どうしたのかとたづねましたら
あの花が今日ひるの間にちゃうど二円に売れたといふのです
……その青い夜の風や星、
すだれや魂を送る火や……
そしてその冬
妻は何の苦しみといふのでもなく
萎れるやうに崩れるやうに一日病んで没くなりました
<『校本宮澤賢治全集第六巻』(筑摩書房)169p~より>わたくしどもは
ちゃうど一年いっしょに暮しました
その女はやさしく蒼白く
その眼はいつでも何かわたくしのわからない夢を見てゐるやうでした
いっしょになったその夏のある朝
わたくしは町はづれの橋で
村の娘が持って来た花があまり美しかったので
二十銭だけ買ってうちに帰りましたら
妻は空いてゐた金魚の壼にさして
店へ並べて居りました
夕方帰って来ましたら
妻はわたくしの顔を見てふしぎな笑ひやうをしました
見ると食卓にはいろいろな菓物や
白い洋皿などまで並べてありますので
どうしたのかとたづねましたら
あの花が今日ひるの間にちゃうど二円に売れたといふのです
……その青い夜の風や星、
すだれや魂を送る火や……
そしてその冬
妻は何の苦しみといふのでもなく
萎れるやうに崩れるやうに一日病んで没くなりました
に戻って、この詩を詠んだ日が昭和2年6月1日であることと「わたくしどもは/ちゃうど一年いっしょに暮しました」という記述がなぜ気に掛かったのだろうかというとについて少し考えながら何度か読み直してみる。
まず、この詩を詠んだ日が昭和2年6月1日ということであればもちろんそれは「下根子桜時代」のことであり、この詩の中の「わたくしども」とは普通に考えれば賢治とある女性とのことである。すると、その女性とこの頃まで「ちゃうど一年いっしょに暮しました」ということになればすぐに具体的に思い浮かぶのはもちろん高瀬露だ。それ以外の女性は当時の賢治のことを考えれば一人も思い浮かばないし、しかも、この直後に露は高橋慶吾に「マツ赤ナリンゴ」の登場するあの葉書を出していたことを私は思い出したからでもある。だから、どうやらこの詩は賢治が露のことを詠んだのではなかろうか、私はそう感じた。
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