本当の賢治を渉猟(鈴木 守著作集等)

宮澤賢治は聖人・君子化されすぎている。そこで私は地元の利を活かして、本当の賢治を取り戻そうと渉猟してきた。

その他の噂と政次郎の厳しい叱責

2015-10-22 08:00:00 | 捏造された〈高瀬露悪女伝説〉
「賢治伝記」の虚構―捏造された<高瀬露悪女伝説>―
        (『宮澤賢治と高瀬露』所収の「聖女の如き高瀬露」のダイジェスト版)
鈴木 守
その他の噂と政次郎の厳しい叱責 
 次は、今まで考察してきたこと以外に慶吾たちは露に関して何を証言しているのかを前掲資料等からそれぞれ拾い上げてみる。まず「賢治先生」によれば、
 先生はこの人の事で非常に苦しまれ、或る時は顏に灰を塗つて面會した事もあり、十日位も「本日不在」の貼り紙をして、その人から遠ざかることを考へられたやうでした。
と、次に「宮澤賢治先生を語る會」によれば、
K 先生はあの人を來ないやうにするために隨分苦勞をされた。門口に不在と書いた札をたてたり、顏に灰を塗つて出た事もある。そして御自分を癩病だと云つてゐた。…(筆者略)…
C 何時だつたか先生のところへ行つた時、女が一人ゐたので、「先生はをられるか、」と聞いたら、「ゐない」と云つたので歸らうかと思つて出て來たら、襖をあけて先生はでて來られた時は驚いた。女が來たのでかくれてゐたのだらう。
ということになる。それから、関登久也の「返禮」には、
 その女の人から食物とか花とか色んなものを貰ふたびに賢治氏はどんなに恐縮したことでせう。そしてそのたびに何かを返禮してゐた樣です。
 そこで手元にあるものは何品にかまはず返禮したのですが、その中には本などは勿論、布團の樣なものもあつたさうです。女の人が布團を貰つたから益々賢治思慕の念をつよめたといふ話もあります。後で賢治氏は其の事のために少々中傷されました。
              <『宮澤賢治素描』(関登久也著、協榮出版社)より>
ということが述べてあるから、結局次のような噂、
  ・賢治が顔に灰(一説に墨)を塗った
  ・「本日不在」の表示を掲げた
  ・癩病と詐病した
  ・襖の奥(一説に押し入れ)に隠れたいた
  ・賢治が露に布団を贈った
などが流されてきたと言える。
 さて、果たしてこれらのどこまでが事実で、どこからが虚構であったのかは今となってはわかりにくいが、これらの行為が事実だったとしても、いずれも賢治の奇矯な行為だと指弾されこそすれ、露一人だけが一方的に<悪女>にされる根拠にならないことは自明だ。
 それではこのような一連の賢治の奇矯な行為をどう評価すべきなか。このことについては父政次郎が明快に答えている。例えば、慶吾によれば、
 お父さんはこう言ふ風に苦しんでゐられる先生に對して「その苦しみはお前の不注意から求めたことだ。初めて會つた時にその人にさあおかけなさいと言つただらう。そこにすでに間違いのもとがあつたのだ。女の人に對する時、齒を出して笑つたり、胸を擴げてゐたりすべきものではない。」と厳しく反省を求められ…
          <『イーハトーヴォ創刊號』(宮澤賢治の會)より>
ということであり、関によれば、
「それは、お前の不注意からおきたことだ。はじめて逢つた時に甘い言葉をかけたのが、そもそもの間違いだ。女人に相対する時は、ゲラゲラ笑つたり、胸をひろげたりして会うべきものではない。」
と、きびしく反省をうながしたとのことです。
             <『宮澤賢治物語』(関登久也著、岩手日報社)より>
さらには小倉豊文によれば次のとおりである。
 それらを知った父政次郎翁が「女に白い歯をみせるからだ」と賢治を叱責したということは、翁自身から私は聞いている。
            <『解説 復元版 宮澤賢治手帳』(小倉豊文著、筑摩書房)より>
 したがって以上の三者の証言等からは、この件に関して賢治は父から厳しい叱責を受けたということが導かれるだろうし、その叱責内容も似ていることから、
 冷静沈着、客観的にこの件を見ていた父政次郎から、この件に関しては賢治に全ての責任があるという明快で厳しい叱責を賢治が受けた。
ということは事実であったと判断せざるを得ない。なおこの時、政次郎は何ら露のことを責めも誹りもしていなかったということも導かれるから、この頃の露が<悪女>だったとは少なくとも言えない。どうやら、父からの賢治に対するこのような厳しい叱責があったということが一連の出来事の真相を雄弁に語っていると言えそうだ。

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