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これまでの日記

2011年03月27日 19時38分20秒 | Weblog

はい、久しぶりの日記です。
皆さん、お元気でしたでしょうか。こちらも、地震の影響でいろいろとあり、また引っ越しの準備のためにいろいろ忙しい日々を送っています。
ちょっと、棒人間劇場の方もあまり書く暇が無くて・・・
まあ、地震があってほとんど忘れてしまった感じですが、覚えている範囲で日記書きます。

3月1日
無事に高校卒業。卒業式があり、無事に卒業証書をもらった。家に帰ってきて着替えてご飯を食べたあと引っ越し先を探しに宇都宮へ・・・何とか、物件が決まった。大学から1㎞ちょっとしか離れていないちょうどいい場所、家賃もお手頃。とにかく引っ越し先が見つかって良かった。
3月10日
自動車学校、こちらも卒業。卒業検定では、あまり緊張せずに運転することができめでたく卒業。夢の免許証まであと一歩になったが・・・
3月11日
午後2時46分、宮城県沖を震源とする東北地方太平洋沖地震発生。石岡でも、かなりの揺れにおそわれた。自分は、ネトゲ中に揺れにおそわれたわけだが・・・普通にネトゲ中にぐらぐらと来たがすぐ収まるだろうと思いそのままネトゲを続行。しかし、収まるどころか逆に激しい揺れになり突然パソコンがフリーズ!上から、写真を飾った額が落ちてくるし、机の上のものも次々に落下。これは危ないと思い、そのまま外へ避難。外に出たあとも、長い時間激しい横揺れが続いていて、ばあちゃんの家の瓦が次々に落下、なんだかどこぞの防災センターにある地震体験みたいな感じに家が揺れていた。始めて、家が激しく揺れているのを見た。揺れが収まったあと、すぐにお父さんから電話がかかってきて安否の確認をとった。僕は、全員無事だと伝え、電話を切った。それっきり携帯電話も、混み合って通じやしない。お父さん曰く、今日いっぱい帰れないとのこと。そして、何も持たずに出てきたもんだからとりあえず保険証や財布、通帳などの貴重品を取りに家の中へ。ものの見事に、家の中の姿は変わり果てていた。今まで、床に何もなく棚とかにしまっておいたものが、床に思いっきり散らばっていた。居間平家場、食器棚から瀬戸物の食器が飛び出し割れた破片が散乱、台所は、キッチン用品を置いていた棚が倒れ散らばり足の踏み場もない。玄関も水槽の水が、かなりあふれ出し、水浸しだった。日中、換気のために窓を開けていたのが幸いだったのか、寝室から入ることができそれぞれ貴重品やら衣類やらを車に積めた。外に干しておいた布団も車の中へ。取りに行く間に、何度も余震があり、そのたびに家から緊急退避。
近所のそば屋のおばちゃんやご主人と一緒に家の近くの駐車場に避難。その後、じいちゃんが心配なため、車でお袋と一緒にじいちゃんのところへ。見事にお店はぐちゃぐちゃ。商品が散乱していた。じいちゃんも連れて、とりあえず家へ。時間がたつにつれて徐々に暗くなり、寒くなってきた。あれだけの強い揺れがあったので当然、ライフラインの電気と水道は完全に寸断。ガスは、プロパンガスなので何とか使えそう。懐中電灯を、いくつも用意して部屋の中を照らしながら、見回しいろいろ布団などを取りに行く。寝室は、余り物を置いていなかったためすぐに片付けてそこで過ごすことに。窓はすぐに逃げられるように鍵だけ開けて、車から日中干しておいた毛布や掛け布団を運び、うちのじいちゃんとばあちゃんにかける。懐中電灯で照らしながら、ご飯など、とりあえず食料を探してご飯を食べた。幸いなことに炊飯器に少しご飯が残っていた。しかし、時間がたってしまったため冷たくなっていた。ただ、お湯もあったためお茶漬けにして分け合って食べた。夜遅くにお父さんがやっとの思いでかえって来れたらしく次の日から給水やら救援物資配りとか忙しいらしい。夜中も3分に1回のペースで余震が遅い、ラジオからは幾度となく緊急地震速報。十分に寝れたものではなかった。
翌日から、家の中を型付け始めた。おかげさまで、いろいろ苦労しながらも片付いてすっかりキレイになった。電気は、その日の14時頃に復旧。なんとか、パソコンやテレビ、冷蔵庫などの電化製品が使えるようになったので、助かった。残るは水道となり、これまた復旧するまでがかなり大変だった。お風呂は入れないし洗濯もできない、トイレも使えない。電気が復旧したことで、親戚や近所の深井戸を掘ってある家庭では、深井戸のきれいな水が使えるのでたびたび水をくんであげるからもっておいでと声をかけてくれたのでありがたいと思った。おかげで、ばあちゃんちが追い炊きできる風呂釜だったのでそこにくんできた水を入れて湧かしてお風呂に入ることができた。また、従兄弟の家族が、それぞれ東京と千葉から食料や水を勝手運んできてくれたので生活にはとりあえず困ることが無くなった。
そして、震災発生から4日後。遂に水道も復旧し、いつも通りの生活が戻ってきた。電気が復旧してからその日の夜までテレビが映らなかったが、何とか直ったみたいで情報をとりやすくもなった。テレビを見て、唖然。東北では、大津波によって街が飲み込まれかなりの被害が出ている様子を目にした。ラジオだけでしか情報をつかむことができず、大津波で大変な被害といってもどんな状況なのか想像が付かない。テレビで見たときのあの東北の光景は、かなり恐ろしいと感じた。改めて、津波の恐怖を知ったのだった。やっと、生活にも落ち着きが出てきたものだが、福島では原発の放射能汚染の問題が絡んでいる。だいぶ距離的に離れたと於呂に住んでるわけだが、どうやら石岡の水道水でも放射性物質が検出されている可能性が高いといわれているらしい。まだまだ、安心できない状況である。
3月23日
一応、教習所を卒業して本免の試験だけとなり次の週に行こうと考えていたのだが卒業した次の日に地震が起きた影響で免許センターも試験ができないとのこと。ずっと、業務絵を呈していたが、朝9時30分頃にお父さんから電話があり、免許センターで出張試験があるとのこと電話予約だから、さっさと予約しないと定員が埋まってしまって3月中に受けられなくなってしまうとのこと。それを、聞いてすぐさま免許センターに電話。しかし、あっちが混み合っているので全然つながらない。何回かけてもお話中である。午前中から、家の電話で描けていたがつながらないため、お袋の携帯と家の電話と2日前に買ってもらった棒の携帯で描けることにした。ようやく、僕の携帯でつながり25日に試験を受けることになった。
25日。
運転免許本試験。問題を見ると、ほとんどが常識。でも、合格発表を見ると、数人落ちている。僕は、受かって、適性検査や、いろいろな手続きをして14時30分にめでたく運転免許証を取得。その日に、お父さんも仕事を休んでくれて送ってきてくれたのですぐさま報告。帰りに、なぜだか、水戸の献血ルームに行き親子で献血。父曰く、合格祝い(?)らしい。(何を言ってるんだか・・・)そして、今手元には運転免許証がある。これからは、若葉マークをつけて運転することになる。これからが、何となく楽しみだ。
                                                      The end
はい、日記でした。かなり簡単になってしまい本当に申し訳ありあせん。でも、本当に地震って怖いものですね。あんなに大きな揺れを経験したのは初めてでした。もうあって欲しくないと思っているのは多分僕だけではないでしょう。日本架空放送局協会のメンバーも全員の無事が確認され、現在は被災地の方々を元気づけようとビデオレターを送る企画をやっています。メインの定期定例会は当分の間中止になりちょっとやることがへってしまい寂しい気もしますが。でも、この状況からしてやっている暇ではないなと思っています。まだ、東北には、電気も使えず救援物資も行き渡らない、放射能にも脅かされるとまだまだ不自由な生活を送っている人たちがいるのに、平凡に会議を進めている場合ではないですね。そんな被災地の人のために、架空放送局の運営をしている僕らでできることは何なのだろうかと考えて出した結果がビデオレターというわけです。現在、編集作業に入っています。僕らも、被災地の皆さんに負けないように募金に協力したりしなくてはならないなと思っています。ほんとうに、被災地の皆様には、謹んでお見舞いを申し上げ、一日でも早く復興されることをお祈り申し上げたい次第です。
それから、この書き込みを持って、ここ石岡からの書き込みは終了です。なぜか、4月からは、宇都宮に引っ越してしまうので、この石岡からの書き込みができなくなるということで終了名分けです。来週からは、新しい環境、宇都宮からの書き込みを開始します。あっちに行っても、変わらず元気にぐだぐだな記事を書いていくつもりです。どうか、読者の皆様よろしくお願いいたします。
以上、日記でした。
被災された方々には、謹んでお見舞いを申し上げるとともに、一日でも早く復興されますことをお祈り申し上げます。

コメント
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