3日目は、呉市の大和ミュージアムに行く予定なので、ホテルを少し早く出て平和公園を散策した。

原爆ドームと資料館の間に、バラ園がつくられていて、その中には私も育てている「アンネのバラ」「ピース」も植えられていた。開花にはまだ少し早かったが、それでもいくつか開花しかけていた。
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原爆ドームと資料館のほぼ中央にある。5月中旬にはきれいに咲いているだろう。
原爆ドームの写真を写したのだが、帰ってから見ると、自動露出のデジカメなのに下のような写真が撮れていた。
←どちらも同じときに写したのだが。
そのまま、ひろしま美術館を探して歩いていると、写真のような記念碑が目についた。読んでみると、1948年に広島を訪れたイギリスの詩人Edmund Charles Blunden の記念碑だった。
その碑には次のように刻まれていた。
HIROSHIMA
A Song for August 6th,1949
Out of the night that covered her
The striken town began to stir,
Out of bewilderment extreme,
The fierce vexation of a dream,
She raised herself in parching pain;
And no man heard her once complain.
it seemed, fo what was gone forever,
Speedily woke a new endeavour;
Out of darkness, out of fire,
Sprang new radiance, new desire;
The striken city rose to see
Not what has been but what will be
Hiroshima! no finer pride
Did ever earthly city guide
Thank yours, ----to be the happy nest
Where the glad dove of peace may rest,
Where all may come from all the earth
To glory on mankind's rebirth!
「HIROSHIMA」(ヒロシマ)
1949年8月6日によせて
エドマンド・ブランデン
かの永劫の夜をしのぎ
はやもいきづくまちびとの
うちひしがれて うつつとも
夢ともわかね ひとことの
うらみさてしも 颯爽と
立ちあがりたる心意気
とわに亡びし もののあと
たちまち動く 力あり
劫火の灰を かきわけて
ねがひ さやかにあれいでぬ
身をおこしたる このまちは
明日をめざしてひとすじに

私には、英文の詩を訳す英語力はないが、読んでいると英文の末尾が韻を踏んでいるのに気付いた。英語の詩などこれまで読む機会がなかったが、これがプロの詩かと、改めて英語の詩を読んだ思いがした。
このあと、ひろしま美術館で、「昭和・メモリアル」と題した与勇輝展を見た。終戦前後の子どもの様子を題材にした人形展だった。子どもの頃の情景が思い出された。
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これは眼鏡拭きクロスだが、写真のような人形がたくさん展示されていた。