伊弉諾神宮をあとにして、一路野島断層保存館へ。
野島断層保存館
まずは腹ごしらえ 食べ過ぎた 犠牲者の氏名が刻まれたべっちゃないロック
すさまじいエネルギー
淡路島には風車がたくさんあった
飼い主を捜すペットたち。その後どうしたんだろう。 地表面の断層と地中の断層
震度7の体験をした。周りの家具がしっかり固定してあったので、揺れに対する恐怖はなかったが、それよりもそのあとの震度5(?)の余震の方が長く感じた。実際の自身のときも、震度7はもちろんだが、そのあとの余震でも恐怖心はぬぐえなかっただろう。
90年近く前、阪神淡路大震災とそれほど変らない大地震が丹後でもあった。
1927年3月7日18時半ころのことだ。夕食準備の火が大火災を起こし、峰山町では、90%以上の家が倒壊、人口の25%近くの人が犠牲となった。私の祖母もその一人だ。せめて、火災がなければ、被害者はずっと少なかっただろう。
現京丹後市峰山町の様子 網野駅で横転する列車 郷村断層
(Wikipediaより) (Wikipediaより)
火災を起こさないことが、被害者を少なくする重要なことだと痛感している。