この1週間に、お二人の方から、私の過去世にまつわる話題が出ました。
生まれつきエーテル視力が開いている友人からは、フビライ・カーンの娘だった時のことが細かく伝えられた。(・・・いつも女の子なんですよね・・・)
最近、友人の視力は更にも進化して、相当詳しく映像が、ストーリーで視えるようなのです。
「あなたは、小柄で、おとなしい顔をしている割には、ダンスが好きで、政治的な興味が強くて、唯一の肉親の兄を、王位に就けんと頑張っていたようですが、どうも、叶わなかったみたいですよ」
実は私自身も、その時代のことは、何度も夢に見たし、神様から教えて頂いたので知っていたのです。
「あなたはフビライ・カーンの娘!!」
多くの妃の中で、多分トルコ系の母から生まれた私は、ベリーダンスが上手かったのです~ 薄衣を纏い、いつも踊っていた。
兄の存在はわかりませんでした。
もう一人の、富士宮在住の友人は、私の夫だった可能性がある方なのです。
2001年5月12日、午後の穏やかな光の中に、衣冠束帯の方がお出でになって、「宗良親王」と名乗られた。
「あなたが必要とされるなら、いろいろお教えしたいことがある」と申し出られたのです。
でも、私は、お断りしました。
すると宗良親王は、「霊界でも、わたしは高い方にあり、教えることが許されているのですよ・・・」
・・・・なにか、立ち去り難い様子で振り向かれたので、お訊ねすると、「あなたは、わたしの愛しき女性でした・・」と、映像を見せて下さいました。
駿河の井伊氏の娘だったという私は、ふくよかで明るい表情のカワイイ女性でしたね~
前もって知っていれば、イケメンを前にして、少しは情緒的なお返事ができたかと、反省していますが・・・
その頃の私は、自分の方向性を確立しつつあったものですから、混線は避けたいと、狭量だったかもしれません。
帰られて直ぐに、PCで「宗良親王」なる方を検索すると、後醍醐天皇の皇子で、天台宗の座主から還俗して南朝を率いたとのことで、歌詠みの名手でもあったようです。
浜名湖の北、引佐あたりにあった井伊氏の城を拠点にされたので、その時二人は出会い、すでに正室がおられたわけですから、側室になったようです。
この時代のことは、この時まで知らなかったのですが、「あなたは橘の紋」ですよ、何度も夢で囁かれていたのです。それが時を経て、こういう形でやっと繋がったということになります。
(井伊氏の「橘の家紋」は有名ですが私には関係ないと思っていました)
さて、たまたまお電話くださった富士宮の友人に宗良親王のことを思わず話したのです。
すると驚くことに彼女は有名な霊能者にあなたは宗良親王だったと言われていたそうなのです。それで地元の古代史研究科の方と遺跡とか調べていたそうで、詳しく教えてくださった!!!
というわけで、かつての夫と約670年ぶりに再会できたということになります❤️
彼女も、輪廻の字のごとくに、同じパターンを繰り返したようで、親王時代は天台宗座主(仏教徒)から還俗したように、今生では、カトリックのシスターから還俗したのです。
しかも、どこに行っても、何をしても、リーダーになる、威風堂々とした女性です。
実際の宗良(ムネナガ)さんも、立派な風格のある方で、雅楽の東儀秀樹さんによく似ておられました。
井伊氏の祖、中守共保、生誕(1010年)から今年で丁度1000年。「井の国1000年祭」の今年は、かつての夫と共に、宗良さんの墓所、二宮神社にご一緒しましょうということになりました!
多くの転生を重ねてきて、今生は、いよいよ集大成だと思っておられる方は多いと思います。
私もその一人ですが、みんな宇宙の種を持ってこの星にやってきて、どんな花を咲かせたのでしょう。