馬鹿を動かしている幻の獣。いるはずがないものだが、存在しているかのような活動がある。馬鹿はそれに支配され、あらゆる愚かなことをする。
妬みと羨望という二つの芯がある。それは自己存在の幼期における苦悩が産む玉である。その重力に精神を支配され、自己存在は自己存在の中核を見失い、ないものという、虚獣に支配されるのである。
これに支配されたものは、愛を行うことを喜びとする自己存在の本質を無視し、あらゆる暴力的な理屈で封じ込め、いやなことをし、自分を傷つけ続ける。幻想的な権力を生み出し、それによって世界を支配しようとし、あらゆる暴虐を産む。それによってますます自分が痛いものになり、その苦しみから、自分ではない他者に対する嫉妬と羨望が大きく膨らみ、一層人を馬鹿にして、馬鹿になってゆく。
虚獣というものは、ほんとうはいない。それをあるもののようにしているものがいるだけなのだ。そのものとは何か。馬鹿になっている自分なのである。自分が自分であることの苦しみゆえに、自分ではないものになろうとして、自分の中に現れた亀裂の中に、馬鹿はいるはずのない虚獣というものを幻視しているのだ。それへの恐怖が、あらゆる愚行を産むのである。
だが本当は、そこには何もいはしないのだ。