寿美男の七転び八起

世は全てが合・縁・奇・縁    ―寿美男頭脳―

青い空

2008年05月09日 08時08分20秒 | Weblog
会議を終え議事録作成や、いろいろなチェックをやっている最中に俺の家のチャイムが鳴った。

基本俺の家のまわり50メートルに民家はなく、当然訪ねてくる人は皆無。訪ねてくる友達は携帯に当然連絡があるし。
なのにチャイム。

恐る恐る開けてみると知ってる女の子が笑顔で立っていた。夜12時を過ぎた時間に・・・


俺の部屋に入り、俺はパソコンの前。彼女はイスに。


東京時代から知っている彼女とは何度かお世話になっただけの間柄。

なのにである。いきなり俺の膝の上に座ってくるではないか!!!なんだよ!!!

びびりおののく俺に笑顔の彼女。


そこからは当然・・・




はいっ、目が覚めたら俺は一人布団の中。





そう、関係を・・・バカッ!!!そんな夢のような事はなく、もちろん夢でした。
なぜかはわからんが、蒼井そらが夢に出てきました。

そんなに俺蒼井そら好きではないんだが、今日はDVD借りようかなって思いました。



俺けっこう夢見るんだが、最近は同じ人ばかりのなか、こんな夢。

まぁ、夢に罪はないか。夢くらいは夢見させてもらおうか。




当然、起きると空虚感は激しいものがあるが・・・
俺ってアホだな。
もっとアホになれ!!!どうせ生きてても80年の夢なんだから・・・



さぁ、曇り空だが、今日は青い空だ。

突然の嵐

2008年05月07日 22時44分24秒 | Weblog
 あの時、あの場所で・・・


俺が東京から帰った日。10月1日。ここからの1週間を俺は今でも、昨日のように覚えてる。


朝一の飛行機で帰宅し、その足で病院に行った。病室に入った時に俺にはどこかで覚悟ができていたのかも・・・そう、それぐらいに衝撃的な再会だった。
まったくの別人がそこには横たわってたから・・・



俺の母親が乳癌だとわかってから4年弱。短いが、長い時間。




病院に寝てないまま行った俺は、それから一晩中側について、そして、顔を眺め、背中をさすってた。

母親は言った。「戻って来たか?ごめんね。すぐ良くなるけ!!」

俺、涙が止まらない。無理って信じたくない気持ちで一杯。

夜となり、看病は親戚と二人で看ていた。当然俺は眠気も、一切の食欲もないまま、ただただ、眺めてた。

今にして思えば、本当に夢遊病のような、なんの感覚もなく、なんの祈りすらわからん状態だった。


次の日、姉が帰ってくるということで、俺は寝てないまま車を走らせ岡山の最上稲荷まで行ってきた。祈るために。わらをもすがるために・・・


そして、その晩は病院。そして、その晩、俺は先生と話す機会を得た。
「ちょっと、話しできますか?」っとの問いかけに、当然返事は了解。


病院の待合室。俺と先生の二人。周りは薄暗い。

先生は「今は、何何っという薬を打っていて・・・」
俺、「「あっ、そんなのどうでもいいです。ただ、俺の知りたいことは、あと、半年生きれるのか?年内一杯なのか?それとも今月一杯なのか?」
先生「今月一杯です。」



俺「ありがとうございました。」



「今月一杯。」


それから、俺は病室へ帰ることができず、俺は車を走らせて親戚宅へ。
車から降りることもできないくらいに俺はグチャグチャになった。

ただ、ただ母親になにも出来ない俺が悔しくてたまらなかった。

今でもあの時の事を思い出す。そして、言われた直後の母親の顔。


親戚と病院に戻る。姉と交替で部屋に入るが、俺は親戚と二人で部屋を閉め切り母親の手を握ってただ、泣いた。なんにも出来ない俺に激しい苛立ちと、目の前で頑張っている母親に申し訳ない感じとで。


姉からメール。「すみお、泣くな、あんたが泣くと私はだめだけ。」

俺、マジ、その時、人の前での涙は、悲しい涙は流すのはやめようと決める。


次の日、昼は姉と交替で、俺は親戚宅に行く。話す気力さえない。ご飯も食べない。そして、睡眠もほとんど0。

突然、坊主にする。突然ではないが、抗癌剤で坊主の母親。女性が坊主って、そりゃー悲しいよな。それなのに、俺はちょと髪長い。かっこつけて。

俺の坊主で何かがなれば・・・


犬のバリカンで坊主に。初体験の坊主に。


夕方、病院に行き、坊主を見せる。

俺「おいっ、おかん・みてみーや!!!」



その時の笑顔。最高の笑顔。今までにないくらい、びっくりの顔と、満面の笑みと、かわいいの一言。やって良かった。本当に、俺はお前の笑顔が忘れられんぞ!!

その晩から、容態は変わっていく。皮肉なもんだ。






それから、3日間の事は、ちょっとまだ今は書きたくないし、なぜか言葉が出てこないので書きません。いずれ、いずれ、このブログの最後に書けたらいいな。





あれから、今年で5年目。今の俺はどううつっているかな?

俺は、小さいころから絶対に母親を守って生きていこう。って決めていました。
そして、最後は彼女をずーっと腕枕してあげれました。抱きついてあげれました。そして、去年の旅。俺はもう、一緒に旅行出来ない母親を一緒に連れていってやろうと思って、自転車に彼女の名前の一文字を入れました。

自分の中で、区切りができたと感じることは多いが、まだまだ、実際は思い出す事は多い弱い俺。

でも、母親は俺に、俺ら兄弟に本当に素晴らしい愛をくれました。そして、あげることの大切さも。


あの日から、俺の左手には数珠が付いています。外さない数珠が・・・



 俺の母親、死ぬ気で頑張りました。俺も、もっともっと、がんばれ!!!!

死ぬ気でがんばってみろ!!!!!そんなんじゃ母親に負けるよ!!!!!!



 そんな事を今日は言われている気分になりました。

 明日と、言わず、今から頑張ろう。
 

                           寿美男  



俺の姉の過ち

2008年05月07日 20時22分23秒 | Weblog
 俺の偉大なる馬鹿な姉のおかげで、余命1カ月の番組をちらっと見ました。

はいはい、そうですね。今日は俺の母親の月命日。

 わかりましたよ。書いてやりますとも。俺の知っていることを書けるだけ書いてやりますとも。  
 
 理恵、お前が悪いんだ!!!泣いても知らんぞ!!!!!



なごよしにみよい

2008年05月06日 23時03分49秒 | Weblog
結局、昨晩は彼はこうなりました。
続きの写真あるけど、載せられないです。全くねー!!


みなさんは夕陽や空とかみますか?
俺はすごく見ます。今日も夕陽が綺麗だった。
ただ、そんなことだけど、ただ、見慣れてる気がしてるだけだけど、同じなんて全くなくて・・・


それを見てなにを感じる?
それを見てなにを考える?


同じなんて何もない。昨日と同じならそれは消化してるにすぎない。


最新のスミオは最新です。夕陽のように世界を染めることは出来ないけど、少しだけ、少しずつだけでも貴方を染めたい。


貴方の見てる夕陽は俺のと同じなのだから。