あの時、あの場所で・・・
俺が東京から帰った日。10月1日。ここからの1週間を俺は今でも、昨日のように覚えてる。
朝一の飛行機で帰宅し、その足で病院に行った。病室に入った時に俺にはどこかで覚悟ができていたのかも・・・そう、それぐらいに衝撃的な再会だった。
まったくの別人がそこには横たわってたから・・・
俺の母親が乳癌だとわかってから4年弱。短いが、長い時間。
病院に寝てないまま行った俺は、それから一晩中側について、そして、顔を眺め、背中をさすってた。
母親は言った。「戻って来たか?ごめんね。すぐ良くなるけ!!」
俺、涙が止まらない。無理って信じたくない気持ちで一杯。
夜となり、看病は親戚と二人で看ていた。当然俺は眠気も、一切の食欲もないまま、ただただ、眺めてた。
今にして思えば、本当に夢遊病のような、なんの感覚もなく、なんの祈りすらわからん状態だった。
次の日、姉が帰ってくるということで、俺は寝てないまま車を走らせ岡山の最上稲荷まで行ってきた。祈るために。わらをもすがるために・・・
そして、その晩は病院。そして、その晩、俺は先生と話す機会を得た。
「ちょっと、話しできますか?」っとの問いかけに、当然返事は了解。
病院の待合室。俺と先生の二人。周りは薄暗い。
先生は「今は、何何っという薬を打っていて・・・」
俺、「「あっ、そんなのどうでもいいです。ただ、俺の知りたいことは、あと、半年生きれるのか?年内一杯なのか?それとも今月一杯なのか?」
先生「今月一杯です。」
俺「ありがとうございました。」
「今月一杯。」
それから、俺は病室へ帰ることができず、俺は車を走らせて親戚宅へ。
車から降りることもできないくらいに俺はグチャグチャになった。
ただ、ただ母親になにも出来ない俺が悔しくてたまらなかった。
今でもあの時の事を思い出す。そして、言われた直後の母親の顔。
親戚と病院に戻る。姉と交替で部屋に入るが、俺は親戚と二人で部屋を閉め切り母親の手を握ってただ、泣いた。なんにも出来ない俺に激しい苛立ちと、目の前で頑張っている母親に申し訳ない感じとで。
姉からメール。「すみお、泣くな、あんたが泣くと私はだめだけ。」
俺、マジ、その時、人の前での涙は、悲しい涙は流すのはやめようと決める。
次の日、昼は姉と交替で、俺は親戚宅に行く。話す気力さえない。ご飯も食べない。そして、睡眠もほとんど0。
突然、坊主にする。突然ではないが、抗癌剤で坊主の母親。女性が坊主って、そりゃー悲しいよな。それなのに、俺はちょと髪長い。かっこつけて。
俺の坊主で何かがなれば・・・
犬のバリカンで坊主に。初体験の坊主に。
夕方、病院に行き、坊主を見せる。
俺「おいっ、おかん・みてみーや!!!」
その時の笑顔。最高の笑顔。今までにないくらい、びっくりの顔と、満面の笑みと、かわいいの一言。やって良かった。本当に、俺はお前の笑顔が忘れられんぞ!!
その晩から、容態は変わっていく。皮肉なもんだ。
それから、3日間の事は、ちょっとまだ今は書きたくないし、なぜか言葉が出てこないので書きません。いずれ、いずれ、このブログの最後に書けたらいいな。
あれから、今年で5年目。今の俺はどううつっているかな?
俺は、小さいころから絶対に母親を守って生きていこう。って決めていました。
そして、最後は彼女をずーっと腕枕してあげれました。抱きついてあげれました。そして、去年の旅。俺はもう、一緒に旅行出来ない母親を一緒に連れていってやろうと思って、自転車に彼女の名前の一文字を入れました。
自分の中で、区切りができたと感じることは多いが、まだまだ、実際は思い出す事は多い弱い俺。
でも、母親は俺に、俺ら兄弟に本当に素晴らしい愛をくれました。そして、あげることの大切さも。
あの日から、俺の左手には数珠が付いています。外さない数珠が・・・
俺の母親、死ぬ気で頑張りました。俺も、もっともっと、がんばれ!!!!
死ぬ気でがんばってみろ!!!!!そんなんじゃ母親に負けるよ!!!!!!
そんな事を今日は言われている気分になりました。
明日と、言わず、今から頑張ろう。
寿美男
俺が東京から帰った日。10月1日。ここからの1週間を俺は今でも、昨日のように覚えてる。
朝一の飛行機で帰宅し、その足で病院に行った。病室に入った時に俺にはどこかで覚悟ができていたのかも・・・そう、それぐらいに衝撃的な再会だった。
まったくの別人がそこには横たわってたから・・・
俺の母親が乳癌だとわかってから4年弱。短いが、長い時間。
病院に寝てないまま行った俺は、それから一晩中側について、そして、顔を眺め、背中をさすってた。
母親は言った。「戻って来たか?ごめんね。すぐ良くなるけ!!」
俺、涙が止まらない。無理って信じたくない気持ちで一杯。
夜となり、看病は親戚と二人で看ていた。当然俺は眠気も、一切の食欲もないまま、ただただ、眺めてた。
今にして思えば、本当に夢遊病のような、なんの感覚もなく、なんの祈りすらわからん状態だった。
次の日、姉が帰ってくるということで、俺は寝てないまま車を走らせ岡山の最上稲荷まで行ってきた。祈るために。わらをもすがるために・・・
そして、その晩は病院。そして、その晩、俺は先生と話す機会を得た。
「ちょっと、話しできますか?」っとの問いかけに、当然返事は了解。
病院の待合室。俺と先生の二人。周りは薄暗い。
先生は「今は、何何っという薬を打っていて・・・」
俺、「「あっ、そんなのどうでもいいです。ただ、俺の知りたいことは、あと、半年生きれるのか?年内一杯なのか?それとも今月一杯なのか?」
先生「今月一杯です。」
俺「ありがとうございました。」
「今月一杯。」
それから、俺は病室へ帰ることができず、俺は車を走らせて親戚宅へ。
車から降りることもできないくらいに俺はグチャグチャになった。
ただ、ただ母親になにも出来ない俺が悔しくてたまらなかった。
今でもあの時の事を思い出す。そして、言われた直後の母親の顔。
親戚と病院に戻る。姉と交替で部屋に入るが、俺は親戚と二人で部屋を閉め切り母親の手を握ってただ、泣いた。なんにも出来ない俺に激しい苛立ちと、目の前で頑張っている母親に申し訳ない感じとで。
姉からメール。「すみお、泣くな、あんたが泣くと私はだめだけ。」
俺、マジ、その時、人の前での涙は、悲しい涙は流すのはやめようと決める。
次の日、昼は姉と交替で、俺は親戚宅に行く。話す気力さえない。ご飯も食べない。そして、睡眠もほとんど0。
突然、坊主にする。突然ではないが、抗癌剤で坊主の母親。女性が坊主って、そりゃー悲しいよな。それなのに、俺はちょと髪長い。かっこつけて。
俺の坊主で何かがなれば・・・
犬のバリカンで坊主に。初体験の坊主に。
夕方、病院に行き、坊主を見せる。
俺「おいっ、おかん・みてみーや!!!」
その時の笑顔。最高の笑顔。今までにないくらい、びっくりの顔と、満面の笑みと、かわいいの一言。やって良かった。本当に、俺はお前の笑顔が忘れられんぞ!!
その晩から、容態は変わっていく。皮肉なもんだ。
それから、3日間の事は、ちょっとまだ今は書きたくないし、なぜか言葉が出てこないので書きません。いずれ、いずれ、このブログの最後に書けたらいいな。
あれから、今年で5年目。今の俺はどううつっているかな?
俺は、小さいころから絶対に母親を守って生きていこう。って決めていました。
そして、最後は彼女をずーっと腕枕してあげれました。抱きついてあげれました。そして、去年の旅。俺はもう、一緒に旅行出来ない母親を一緒に連れていってやろうと思って、自転車に彼女の名前の一文字を入れました。
自分の中で、区切りができたと感じることは多いが、まだまだ、実際は思い出す事は多い弱い俺。
でも、母親は俺に、俺ら兄弟に本当に素晴らしい愛をくれました。そして、あげることの大切さも。
あの日から、俺の左手には数珠が付いています。外さない数珠が・・・
俺の母親、死ぬ気で頑張りました。俺も、もっともっと、がんばれ!!!!
死ぬ気でがんばってみろ!!!!!そんなんじゃ母親に負けるよ!!!!!!
そんな事を今日は言われている気分になりました。
明日と、言わず、今から頑張ろう。
寿美男
あした必ず目が腫れるし、鼻かみすぎて鼻血が混ざったよ。どうしてくれる?
あたしもあのときの笑顔は忘れてないよ。
あんなすてきでやさしくて気が強くてかわいい人はいないよ!
クローン欲しい。