私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

悟りのゲート(2)

2014年01月09日 09時29分56秒 | 悟り
◇悟りのゲート(2)◇

昨日の記事の続きです。
この記事は、昨年6月29日の記事にも上書きコピーします。

前回の記事「悟りのゲート(1)」に書いたことは、私なりに確信が得られていることについて書いたのですが、今日の記事は一部まだ十分な確信には至っていないことを少し前倒し的に書きます(無責任でごめんなさい、笑)。

前記の記事で、悟りの要素には個の意識に対応した要素(見性)と、全体の意識に対応した要素(明け渡し)があると書きました。
今回は、その2つの悟り要素を得ることの意味等について書いてみたいと思います。
(「意味」だなんて。自分の言葉に思わず笑ってしまいます。すべて考えなのに、笑)

個と全体に対応する2つの悟り要素を得ると、その瞬間か暫く後に、おそらく次のようなことが起こります(私には起こったようです)。
「私」という意識や認識が無くなるのです。
また、私という存在を含めてすれべは考えであり、幻であることが理解できてますから、どんな考えも掴まなくなり、考えの海で溺れることもなくなります。
一時的な感情や考えの波はありますが、留まることなく、また痕跡を残すことなく過ぎ去っていくようになります。

ここからは、少し考察的な内容になっていきます(笑)。

以前ここに、何故か理由は知るよしもないが、「個」という意識要素と「全体」という意識要素の分離が起こり、それと同時に私という存在である思考の連鎖が始まったと書きました。
非常に不可解なことではありますが、ささにそのようなのです。
(私という存在が思考の連鎖あるいは思考そのものであるという点については、過去記事「思考の連鎖と私(1)~(3)」をお読み下さい。)

それで、私である思考の連鎖の終わりが気になるのです。
シンプルに考えて、始まりがあるのなら終わりもあるのだろうと思う訳なのです(笑)。

そしてまた、シンプルに考えてこう思うのです。
個の意識と全体の意識の分離により私が始まったのなら、それらの再統合により終わるのではないかと。
つまり、個と全体の両方の意識に目覚めたら、私という思考の連鎖も終わるのではないかと。

このことについて、ここ3ヶ月ほどずっと観ているのですが、やっぱりそうなんだろうと思うのです。
私という存在は、個の意識と全体の意識の再統合により何らかの形で一旦は終わるのだろうと。
(私の希望としては、跡形もなく消えてしまいたいのですが、笑。)


やっぱり、今日のこの記事の内容は、まだ現在進行形的な感じです。
おそらくまた改めて書きます(笑)。

コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。

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