さて,昨日に続き田口峠の旅は続きます。龍岡城を後にして峠道をひたすら登っていきます。そうすると道はだんだん険しく,本当に寂しい山深い酷道となってきました。しばらく進むとJR小海線臼田駅前の看板にもあった「日本で海から一番遠い地点」の看板が現われてきて,あと3㎞を表示されている。これはせっかくだから行ってみようと思い,そのまま進むとついに右折しろの看板が。右折してすぐに現われたのがこの案内板
何やら怖い文章が書かれています。海から一番遠い地点に進もうとすると倒木と土砂崩落により危険な個所があるので注意しろとのこと。しかも矢印の方向を見ると登山道というか林道みたいな入り口があるのですが,ゲートで塞がれており行くことができません。仮に行くことができてもとても周囲は木々で覆われ薄暗い山中で,到底生きて帰ってこれそうもない大変薄気味悪い光景が広がっています。ちょっと前に大分の秘湯を一人旅していた女性が他殺体で発見されたのを思い出しました。日本で海から一番遠い地点がこの臼田の地であることは前から知っていましたし,今日はこれを見に来るために来たわけではないので早々に引き返そうと思い隣の木を見ると
・・・もっと怖いことが書かれているじゃぁないですか!こんなところにいたらいつ命を落とすかもしれません。とてもPCXでは身を守ることはできません。エンジンを掛けて早々に峠道に引き返り,ひたすら田口峠を向かうとついに峠に到達。
いや~峠ってホントいいものですね。実は以前にもこの田口峠や先程の龍岡城は訪れたことがあるのです。かれこれ十数年前に佐久に住んでいたこともあって,当時車でプラプラとこの界隈に来たことがありました。それ以来の訪問でしかも今回はバイクで訪問。感無量です。で,早速峠道を下ると早々に群馬県らしい光景が見えてきました。
上州の名峰妙義山です。そう言えば群馬県に来たのは久々です。長野市に住んでいたころは近かったのでちょくちょく訪れていましたが,諏訪に引っ越してからめっきり遠くなってしまいました。が,しかし,この峠が県境ではなかったのです。実はこの県境を群馬県側に下って麓の集落までが長野県だというじゃぁないですか!(ずっと前から知ってましたが)ということで,PCXで県境まで行ってみることにしました。
さて,群馬県側に来ると道路状況は一層悪くなります。長野県側はいちおうなだらかな登坂路でしたが群馬県側は急峻な岩肌を縫うように蛇行します。しかも舗装が壊れていて至る所に砂利が堆積していたり法面から水が湧き出して泥水となって道路を覆っています。そう言えば昨日は雨が降っていました。地盤は非常に弱くなっているはずです。先週大鹿村で見た土砂崩れになりはしないかと恐る恐る下っていきます。しかし下れど下れど集落は現われません。こんな険しい山を挟んでどうして反対側の長野県に居続けるのでしょうか?平成の大合併で岐阜県と越県合併した旧木曽郡山口村は地形的にも濃尾平野から続く丘陵地帯の東端に位置し,むしろ長野県に属していたことじたいが不思議でしたが,この田口峠の群馬県側の集落も地形的には山口村と同じ,いやむしろこちらの方が長野県と隔絶しています。そんなこんなを考えながら進むこと十数キロ,ついに集落が現われました。
佐久市広川原という集落です。平成の大合併前は旧南佐久郡臼田町に属していました。田口峠を挟んで臼田の中心地まで20㎞以上離れています。今でさえ田口峠の道は細く険しく,舗装道路がぶっ壊れて凸凹でいつ法面が崩落してもおかしくない悪路なのに,昔はどうやって交流を保っていたのでしょうか?ちなみに写真の道路は峠道から折れて集落へ向かう道路ですが,この道は割と整備せされていて綺麗でした。数軒の民家が建ち並んでいましたが本当にひっそりとしていました。
さて,時間は既に16時を回りだいぶ薄暗くなってきました。いつまでもこの集落探検をしている訳にもいきません。とりあえず県境を目指してさらに峠道を下ること数分,ついに現われました。
久々にやってきました群馬県。確か今年の2月ぶりでしょうか?写真中央に落石の恐れありと電光板で表示されています。長野県よりもさらに薄暗い気味の悪い道路が目の前に現われていてこれ以上行く気になれません。ここらが引き際と思い元来た道を戻ることにしました。なお,自宅に戻ってこの地域のことを調べたら,先程の広川原地区よりさらに群馬県方面に長野県の集落があったのです。その地区名が「間坂」。あの薄気味悪い道路を進んだ先にあった模様。まさか・・・
帰りは真っ暗な道をひたすら諏訪に向かって走る。早速知ったばかりの白樺湖から霧ヶ峰へ向かう道に入り,真っ暗な夜の霧ヶ峰をひたすら走る。すれ違う車はほとんどなし。眼下に諏訪の街並みが見える。寒くて死にそうでしたが何とか生きて帰ってきました。田口峠の泥道を走ったおかげでバイクは泥まみれ。早速洗車したいところですが夜でそんな時間ではないし疲労困憊で翌日にすることにしました(走行距離195㎞)
何やら怖い文章が書かれています。海から一番遠い地点に進もうとすると倒木と土砂崩落により危険な個所があるので注意しろとのこと。しかも矢印の方向を見ると登山道というか林道みたいな入り口があるのですが,ゲートで塞がれており行くことができません。仮に行くことができてもとても周囲は木々で覆われ薄暗い山中で,到底生きて帰ってこれそうもない大変薄気味悪い光景が広がっています。ちょっと前に大分の秘湯を一人旅していた女性が他殺体で発見されたのを思い出しました。日本で海から一番遠い地点がこの臼田の地であることは前から知っていましたし,今日はこれを見に来るために来たわけではないので早々に引き返そうと思い隣の木を見ると
・・・もっと怖いことが書かれているじゃぁないですか!こんなところにいたらいつ命を落とすかもしれません。とてもPCXでは身を守ることはできません。エンジンを掛けて早々に峠道に引き返り,ひたすら田口峠を向かうとついに峠に到達。
いや~峠ってホントいいものですね。実は以前にもこの田口峠や先程の龍岡城は訪れたことがあるのです。かれこれ十数年前に佐久に住んでいたこともあって,当時車でプラプラとこの界隈に来たことがありました。それ以来の訪問でしかも今回はバイクで訪問。感無量です。で,早速峠道を下ると早々に群馬県らしい光景が見えてきました。
上州の名峰妙義山です。そう言えば群馬県に来たのは久々です。長野市に住んでいたころは近かったのでちょくちょく訪れていましたが,諏訪に引っ越してからめっきり遠くなってしまいました。が,しかし,この峠が県境ではなかったのです。実はこの県境を群馬県側に下って麓の集落までが長野県だというじゃぁないですか!(ずっと前から知ってましたが)ということで,PCXで県境まで行ってみることにしました。
さて,群馬県側に来ると道路状況は一層悪くなります。長野県側はいちおうなだらかな登坂路でしたが群馬県側は急峻な岩肌を縫うように蛇行します。しかも舗装が壊れていて至る所に砂利が堆積していたり法面から水が湧き出して泥水となって道路を覆っています。そう言えば昨日は雨が降っていました。地盤は非常に弱くなっているはずです。先週大鹿村で見た土砂崩れになりはしないかと恐る恐る下っていきます。しかし下れど下れど集落は現われません。こんな険しい山を挟んでどうして反対側の長野県に居続けるのでしょうか?平成の大合併で岐阜県と越県合併した旧木曽郡山口村は地形的にも濃尾平野から続く丘陵地帯の東端に位置し,むしろ長野県に属していたことじたいが不思議でしたが,この田口峠の群馬県側の集落も地形的には山口村と同じ,いやむしろこちらの方が長野県と隔絶しています。そんなこんなを考えながら進むこと十数キロ,ついに集落が現われました。
佐久市広川原という集落です。平成の大合併前は旧南佐久郡臼田町に属していました。田口峠を挟んで臼田の中心地まで20㎞以上離れています。今でさえ田口峠の道は細く険しく,舗装道路がぶっ壊れて凸凹でいつ法面が崩落してもおかしくない悪路なのに,昔はどうやって交流を保っていたのでしょうか?ちなみに写真の道路は峠道から折れて集落へ向かう道路ですが,この道は割と整備せされていて綺麗でした。数軒の民家が建ち並んでいましたが本当にひっそりとしていました。
さて,時間は既に16時を回りだいぶ薄暗くなってきました。いつまでもこの集落探検をしている訳にもいきません。とりあえず県境を目指してさらに峠道を下ること数分,ついに現われました。
久々にやってきました群馬県。確か今年の2月ぶりでしょうか?写真中央に落石の恐れありと電光板で表示されています。長野県よりもさらに薄暗い気味の悪い道路が目の前に現われていてこれ以上行く気になれません。ここらが引き際と思い元来た道を戻ることにしました。なお,自宅に戻ってこの地域のことを調べたら,先程の広川原地区よりさらに群馬県方面に長野県の集落があったのです。その地区名が「間坂」。あの薄気味悪い道路を進んだ先にあった模様。まさか・・・
帰りは真っ暗な道をひたすら諏訪に向かって走る。早速知ったばかりの白樺湖から霧ヶ峰へ向かう道に入り,真っ暗な夜の霧ヶ峰をひたすら走る。すれ違う車はほとんどなし。眼下に諏訪の街並みが見える。寒くて死にそうでしたが何とか生きて帰ってきました。田口峠の泥道を走ったおかげでバイクは泥まみれ。早速洗車したいところですが夜でそんな時間ではないし疲労困憊で翌日にすることにしました(走行距離195㎞)