写真で綴る気ままなすぎさん

野鳥・花・祭り・生活など気ままに撮り歩いた写真の紹介

千姫のゆかりの寺 弘経寺の彼岸花

2018年09月23日 07時35分34秒 | 重要文化財 建造物・民浴など

茨城県常総市にある千姫の墓所 弘経寺の彼岸花を見に行ってきました。
弘経寺は、「寿亀山天樹院弘経寺」と称し、応永21年(1414年)嘆誉良肇上人によって創建。
家康の孫娘である千姫のゆかりの寺として知られています。山門を入ってすぐ・・・

入口の彼岸花 真っ赤な彼岸花 白も咲いています。

参道沿い、杉木立の中など閑静な雰囲気の境内のところどころに咲いています

今回は少し見に来るのが遅く満開を過ぎている所もありました。

弘経寺 案内書がありました。

経蔵(きょうぞう)

開山堂

来迎杉(市指定文化財)
弘経寺の境内にある杉の大木には、修行僧宗運の貉(むじな)伝説にまつわり「来迎杉」と呼ばれている。
樹高は34mありましたが、30年ほど前より梢の枯れが目立つようになり、平4年(1992年)、枯損部を切除。
その長さ9m、切断面直径63cm、年輪数は287本(約320年)と数えられた。

本堂(市指定文化財)寛永6年(1629年)の再建以来、幾星霜を経てきた本堂ではありましたたが、
その傷みに耐えかねて平成18年(2006年)より改修に着手し、平成20年にその落慶を迎えた

正面入口の向拝や扉は、文化6年(1809年)に描かれた「寿亀山元建図」になる境内配置図が残されており、
本堂が改修され付け加えられたものらしいです。江戸後期の建築様式が表れています。

千姫御廟(市指定文化財)
千姫は慶長2年(1597年)、徳川家康の孫・2代将軍秀忠の子として生まれました。
僅か7歳で豊臣秀吉の子秀頼に嫁ぎ、豊臣家の滅亡にあたり、大坂城から救出され江戸へと送られ、
後に本多忠刻(桑名城主・後に姫路城主)に再嫁し、1男1女を儲けるが忠刻とも僅か10年で死別し、
この後は落飾して天寿院(天樹院)と号し、江戸城北の丸の竹橋の屋敷で余生を送りました。
寛文6年(1666年)に没した千姫は、徳川家の菩提寺である伝通院に葬られましたが、
落飾した時より弘経寺を菩提寺と定めていた為に、弘経寺には遺髪が納められたとされている。
千姫御廟は、本堂左手奥にあり,平成9年の保存修理により、これまで伝えられてきた遺髪ではなく、
遺骨が納められていた事が判明している。・・・弘経寺の案内より

千姫の墓は本堂に向かって左側にあります。
墓石には、「天樹院殿栄誉源法松山大姉」の法名、常総市では「千姫祭り」を行って顕彰しています。

入口の彼岸花は綺麗でした。

弘経寺は、茨城県常総市豊岡町甲1
電車:常磐線取手駅乗換え、常総線水海道駅下車 タクシーにて約10分
車 : 常磐道「谷和原IC」より車で約25分です。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。