お岩さんのモデルは四谷に居を構えていた田宮神社の奥の稲荷神社に住んでいたそうです。実際は良妻賢母で実家を守り抜いたそうです。お岩さんが没したのは1636年、つるや南北があの恐ろしい東海道四谷怪談が初演されたのが1825年ですから200年もたっています。
染物屋の鶴屋南北が認められるきっかけとなった歌舞伎です。南北は江東区の黒船稲荷荷間借りして住んでいました。よそ者の南北はなかなか認められず、30年間はなかづ,とばずでした、49歳の時この歌舞伎を書き、認められました。当時の江戸幕府の政治や出版物を規制していました。それをを逃れるため、甲州街道→東海道に、民谷→田宮、に置き換え、規制を乗り切りました。
四谷怪談を上演するとお岩さんのたたりがあるといわれるのは四谷怪談の歌舞伎の舞台では大掛かりなからくりやどんでん返しがもちいられ,けが人が絶えなかったそうです。そういうことからお岩さんの芝居を演じるとたたりがあるといわれるようになったそうです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます