話は代わって、日本の性豪といえば後醍醐天皇でしょう。乱世に生きていながら30人以上の女性と関係し、32人もの子を設けている性豪です。
しかし彼の場合は単なる性欲だけでセックスに走ったのではなく、信仰が関係していたようです。多くの宗教がセックスを否定するなか、彼が信仰していた密教の真言立川流はセックスが修行の一部にくみこまれていたのです。
後醍醐てんのうはセックスをしながら、北條氏を呪い、鎌倉幕府倒幕鵜を考えていた?のかもしれません。他のことを考えると、持続力が長くなるのは、昔も今もかわりません。
〇付録
徳川幕府の11代将軍徳川家斉もすごい40人の側室から55人の子をもうけている。これだけいると養育費用がかかり、成人まで達したのは半数であった。
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