大河で半兵衛役の谷原章介
竹中半兵衛は天文3年(1544)美濃の国の竹中重元の長男として生まれるが、少年期は稲葉山城の人質として過ごす。永禄7年(1564)には、主君斉藤龍興の稲葉山城を17人でのっとる。
元亀元(1570)秀吉の軍師として、姉川の戦い(織田.徳川×浅井.浅倉)において、浅井方に属した堀氏の調落活動をおこなう。
天正6年(1578)秀吉が播磨の三木城攻めを行った時,半兵衛の進言で兵糧攻めをおこなうが、三木城攻めの最中、半兵衛、天正7年(1579)6月13日、36歳で病死。
半兵衛の言葉
ここに小便をたれるとも、軍物語をしている大事な席をたってはならぬ。
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