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八重の桜 「会津と新撰組」

2013-02-24 05:23:25 | 歴史

新撰組は以前の「壬生浪人組」の時代から会津藩預かりであったが、「8月18日の政変」の後と正式に会津藩から給料を支給されるようになる。

1863年の「東西記聞」によれば、隊士一人当たり月、金3両支給されたと記載されている。これよりあとの1867年の新撰組金銭出納帳には隊士93人に357両が支給されたと記載されている。最もこれは平隊士の給料であって、局長の近藤が50両、土方クラスが40両もらっていたとの証言もある。

新撰組といえば池田屋事件ですが、この事件の後、新撰組は会津藩から500両、幕府から600両のボーナスを得ている。会津藩も大変です。

さらに新撰組は会津藩預かりを利用して、豪商からゆすり集りを繰り返していたようです。京野町の嫌われ者です。新撰組=会津藩ですから、当然会津藩の評判も悪くなります


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