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東京駅が西向きのわけ

2012-10-04 05:48:31 | 文化

初代駅舎は辰野金吾の設計により総工費280万円をかけ6年半の工事期間と延べ73万人の人々によって1914年12月18日に完成した。出入り口は正面に4つあり、中央は皇室専用、南側が乗車口、北側が降車口、中央の北側が電車専用の出入り口が設けられていた。

明治以降、丸の内は大名屋敷の空き家が整然とならんでいた。政府はここを皇居を防衛する兵隊を駐屯する予定でした。ところが、明治5年の大火で丸の内全体が燃えてしまう。

そこで政府は丸の内全体を開発することになったが、なかなか買い手がつかなかった。結局、三菱の岩崎弥太郎が買い取りビジネス街に発展させる。明治44年には赤レンガのビルが立ち並び、その長さが一丁(100メートル)会ったところから、一丁ロンドンといわれるようになった。

この丸の内の発展を無視できなくなり、西向きにつくられた?といわれている。又皇居の正面にある駅だから八重洲口を正面に出来なかったともいわれている。こちらのほうが正解かな?。


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