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保元の乱、影の主役は美福門院(松雪康子)

2012-05-27 06:33:06 | 歴史

 天皇家は近衛天皇が1155年に17歳で崩御した為、鳥羽院とその窮姫美福門院(松雪)は後継の天皇を決めなければならなかった。

美福門院は娘の八条院を女帝して即位させ守仁親王を養子に向かえ東宮として立太子させようと考えたが、守仁親王の父の雅仁親王(松田翔太)擁立が筋という意見が出て、雅仁親王擁立でまとまった。

保元元年(1156)に鳥羽院が崩御すると美福門院は後白河天皇,守仁親王、藤原忠通を中心に平清盛、源義朝等を指揮下においた。

一方の崇徳上皇派は藤原頼長(山本耕史)源為朝、平忠正など。


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