不法滞在:カルデロンさん両親、フィリピンへ帰国
不法入国で国外退去を命じられた埼玉県蕨市のフィリピン人、
カルデロン・アランさん(36)と妻サラさん(38)が13日、
在留特別許可で日本に残る中学2年の長女のり子さん(13)に見送られ、帰国した。
カルデロンさん一家のように、不法滞在の両親から生まれ、
在留特別許可を望む子供は、ほかにも数多く存在するとみられる。
専門家からは新たなルールづくりを求める声も上がっており、
一家が投じた問題は今後も論議が続きそうだ。
◇再来日は未定
夫妻とのり子さんは13日正午ごろ、涙で目を赤くしてアパートを出た。
アランさんは見送りの同僚らと抱き合って別れを惜しんだ。
成田国際空港で、サラさんは何度ものり子さんを抱き締め、
アランさんは目を見つめて「頑張って」と声をかけた。
のり子さんは制服のそでで涙をふきながらうなずいた。
一家は12日、在留特別許可を求める署名集めをしてきたJR蕨駅前で
「ありがとう」と書いたカードを配った。
桜の木の下でたたずむ制服姿の女の子を描いたのはのり子さん。
「皆さんの署名に支えられて私は日本に残れる。きちんと感謝の気持ちを伝えたかった」
のり子さんはサラさんの妹夫婦と暮らし、同じ中学に通う。
一家の代理人の渡辺彰悟弁護士らが発起人となった就学費用のための基金は、
10日時点で158万円集まった。
夫妻はマニラ市内に住んで仕事を探す。再来日の時期は未定という。
一家は
▽娘は日本で生まれ育ち日本語しか話せない
▽フィリピンに行けば教育の抜本的なやり直しを強いられる--などを理由に、
在留特別許可を求めてきた。
蕨市議会も3月に
「成長と学習を保障する見地から、一家の在留特別許可を求める」
との意見書を採択。
応援の市民らの署名も2万を超えた。
両親を帰国させた政府対応について
アムネスティ・インターナショナル日本の寺中誠事務局長は
「子供に関するあらゆる措置は子供の最善の利益が主として
考慮されなければならないとする、子どもの権利条約に反する」
と批判的だ。
◇明確な基準なく
一方、法務省幹部は
「在留特別許可が厳密だったら、長女の許可すら認められなかったかもしれない」
と振り返る。
07年の在留特別許可は7388人。
大半は日本人と結婚した例などだ。
許可にあたっての基準はなく、法相の裁量に委ねられるが、
法務省は06年にガイドラインを策定。
許可する積極要素として、日本人の子などのほか、日本での治療が必要な難病、
帰国先の生活が困難な場合を挙げた。
カルデロンさんの父親は日本でまじめに働いているが、
法務省は両親が偽造旅券で入国した事実を重視。
政情不安定な国と違い、帰国しやすいフィリピン国籍であることも考慮した。
一方で「日本で勉強したい」との希望を持つ長女の在留を認める方法を検討。
同省幹部は「一家の意向に最大限配慮した」と話す。
本来、退去強制で帰国した場合、5年間は再入国できない。
だが森英介法相は、子供に会うための短期滞在であれば、
帰国後1年たたなくても、両親に上陸特別許可を出す柔軟な姿勢を明らかにしている。
◇法改正求める声
渡辺弁護士は
「不法滞在の両親から生まれ、在留特別許可を求める子供は500人はいるのでは」
と指摘している。
在日フィリピン人支援の「KAFIN」(埼玉県)の太田直子さんは
「地域の合意が得られれば、社会貢献のようなペナルティーを科した上で、
在留を認めることも検討すべきでは」
と提案する。
また、外国人の自立を支援する「ふじみの国際交流センター」(同)の
石井ナナヱ理事長も
「不法入国の責任は取るべきだが、納税歴や犯罪歴など一定の条件を満たせば
在留資格を与えるよう法改正すべきだ」
と話している。
■カルデロンさん一家を巡る動き■
92年4月1日 サラさんが他人名義の旅券で不法入国
93年5月12日 アランさんが他人名義の旅券で不法入国
95年7月4日 のり子さんが生まれる
06年7月13日 サラさんが出入国管理法違反(不法残留)容疑で逮捕される
9月28日 サラさんに、さいたま地裁が懲役2年6月、執行猶予4年の有罪判決。
東京入管がサラさん収容
11月20日 一家に退去強制命令。アランさんとのり子さんは仮放免
12月19日 退去強制命令取り消し訴訟を東京地裁に起こす
07年5月24日 サラさんが仮放免される
08年1月17日 東京地裁で敗訴
4月1日 のり子さんが埼玉県蕨市立の中学に入学
5月29日 東京高裁で敗訴
9月29日 最高裁で敗訴
09年1月14日 入管がのり子さんだけ残す選択肢を提示
3月3日 蕨市議会が一家の在留特別許可を求める意見書を可決
3月9日 アランさん収容。支援署名が2万を超す
3月13日 両親がのり子さんを残しての帰国を決断
3月16日 のり子さんに1年間の在留特別許可
4月13日 両親がフィリピンに帰国
2009/04/13 毎日新聞
ようやく、ひとつの区切りがついたようです。
しかし、娘を含めた一家揃っての強制退去とならなかったことが悔やまれます。
プロ市民の方々が法改正を望んでいるようですが、それは私も同様の意見です。
もちろん、法改正の中身は違いますが。
入管法の法改正は絶対に必要です。
更に厳格なものに改正すべきです。
また今回の件で、森大臣は1年あまりでの再入国を認める方針みたいですが、
法律通り5年間の再入国は認めるべきではありません。
法の規定は厳格に守るべきです。
とにかく、本丸は「在日朝鮮人」の強制送還問題であることに間違いありません。
本来なら素行不良な在日は強制送還できるはずなのに、日本政府はずっと実行していない。
犯罪者の多い在日朝鮮人は法律通りに照らせば、どんどん強制送還できるはず。
それをプロ市民たちは恐れている。
プロ市民の中には在日朝鮮人(帰化朝鮮系日本人も)が非常に多い。
「外国人」という大きな枠を持ち出し、様々な外国人問題へ政府に口出しをする。
そして日本の入管行政を「外国人」が楽して住みやすい方向へ導く。
結果、それは自分たちが日本に安住できる為の保証となる。
これが本当の目的なのでしょう。
あわよくば、日本を「在日コリアン国」にしたい。
このように考えれば、今までのプロ市民や左翼マスコミの主張が全て納得できます。
私はプロ市民たちがこうした悪辣な企てを続けようとするからこそ、
今回問題となったカルデロン一家にも厳格な法適用を求めました。
とにかく私が日本政府に求めることは、素行不良な在日朝鮮人の強制送還を、
一刻も早く実現してほしいということです。
これは帰化した朝鮮系日本人も同様です。
日本へ帰化した人から数えて5世代以上ならば適用外とし、
4世代以内の素行不良朝鮮系日本人も日本国籍剥奪の上、祖国へ強制送還すべきです。
不法入国で国外退去を命じられた埼玉県蕨市のフィリピン人、
カルデロン・アランさん(36)と妻サラさん(38)が13日、
在留特別許可で日本に残る中学2年の長女のり子さん(13)に見送られ、帰国した。
カルデロンさん一家のように、不法滞在の両親から生まれ、
在留特別許可を望む子供は、ほかにも数多く存在するとみられる。
専門家からは新たなルールづくりを求める声も上がっており、
一家が投じた問題は今後も論議が続きそうだ。
◇再来日は未定
夫妻とのり子さんは13日正午ごろ、涙で目を赤くしてアパートを出た。
アランさんは見送りの同僚らと抱き合って別れを惜しんだ。
成田国際空港で、サラさんは何度ものり子さんを抱き締め、
アランさんは目を見つめて「頑張って」と声をかけた。
のり子さんは制服のそでで涙をふきながらうなずいた。
一家は12日、在留特別許可を求める署名集めをしてきたJR蕨駅前で
「ありがとう」と書いたカードを配った。
桜の木の下でたたずむ制服姿の女の子を描いたのはのり子さん。
「皆さんの署名に支えられて私は日本に残れる。きちんと感謝の気持ちを伝えたかった」
のり子さんはサラさんの妹夫婦と暮らし、同じ中学に通う。
一家の代理人の渡辺彰悟弁護士らが発起人となった就学費用のための基金は、
10日時点で158万円集まった。
夫妻はマニラ市内に住んで仕事を探す。再来日の時期は未定という。
一家は
▽娘は日本で生まれ育ち日本語しか話せない
▽フィリピンに行けば教育の抜本的なやり直しを強いられる--などを理由に、
在留特別許可を求めてきた。
蕨市議会も3月に
「成長と学習を保障する見地から、一家の在留特別許可を求める」
との意見書を採択。
応援の市民らの署名も2万を超えた。
両親を帰国させた政府対応について
アムネスティ・インターナショナル日本の寺中誠事務局長は
「子供に関するあらゆる措置は子供の最善の利益が主として
考慮されなければならないとする、子どもの権利条約に反する」
と批判的だ。
◇明確な基準なく
一方、法務省幹部は
「在留特別許可が厳密だったら、長女の許可すら認められなかったかもしれない」
と振り返る。
07年の在留特別許可は7388人。
大半は日本人と結婚した例などだ。
許可にあたっての基準はなく、法相の裁量に委ねられるが、
法務省は06年にガイドラインを策定。
許可する積極要素として、日本人の子などのほか、日本での治療が必要な難病、
帰国先の生活が困難な場合を挙げた。
カルデロンさんの父親は日本でまじめに働いているが、
法務省は両親が偽造旅券で入国した事実を重視。
政情不安定な国と違い、帰国しやすいフィリピン国籍であることも考慮した。
一方で「日本で勉強したい」との希望を持つ長女の在留を認める方法を検討。
同省幹部は「一家の意向に最大限配慮した」と話す。
本来、退去強制で帰国した場合、5年間は再入国できない。
だが森英介法相は、子供に会うための短期滞在であれば、
帰国後1年たたなくても、両親に上陸特別許可を出す柔軟な姿勢を明らかにしている。
◇法改正求める声
渡辺弁護士は
「不法滞在の両親から生まれ、在留特別許可を求める子供は500人はいるのでは」
と指摘している。
在日フィリピン人支援の「KAFIN」(埼玉県)の太田直子さんは
「地域の合意が得られれば、社会貢献のようなペナルティーを科した上で、
在留を認めることも検討すべきでは」
と提案する。
また、外国人の自立を支援する「ふじみの国際交流センター」(同)の
石井ナナヱ理事長も
「不法入国の責任は取るべきだが、納税歴や犯罪歴など一定の条件を満たせば
在留資格を与えるよう法改正すべきだ」
と話している。
■カルデロンさん一家を巡る動き■
92年4月1日 サラさんが他人名義の旅券で不法入国
93年5月12日 アランさんが他人名義の旅券で不法入国
95年7月4日 のり子さんが生まれる
06年7月13日 サラさんが出入国管理法違反(不法残留)容疑で逮捕される
9月28日 サラさんに、さいたま地裁が懲役2年6月、執行猶予4年の有罪判決。
東京入管がサラさん収容
11月20日 一家に退去強制命令。アランさんとのり子さんは仮放免
12月19日 退去強制命令取り消し訴訟を東京地裁に起こす
07年5月24日 サラさんが仮放免される
08年1月17日 東京地裁で敗訴
4月1日 のり子さんが埼玉県蕨市立の中学に入学
5月29日 東京高裁で敗訴
9月29日 最高裁で敗訴
09年1月14日 入管がのり子さんだけ残す選択肢を提示
3月3日 蕨市議会が一家の在留特別許可を求める意見書を可決
3月9日 アランさん収容。支援署名が2万を超す
3月13日 両親がのり子さんを残しての帰国を決断
3月16日 のり子さんに1年間の在留特別許可
4月13日 両親がフィリピンに帰国
2009/04/13 毎日新聞
ようやく、ひとつの区切りがついたようです。
しかし、娘を含めた一家揃っての強制退去とならなかったことが悔やまれます。
プロ市民の方々が法改正を望んでいるようですが、それは私も同様の意見です。
もちろん、法改正の中身は違いますが。
入管法の法改正は絶対に必要です。
更に厳格なものに改正すべきです。
また今回の件で、森大臣は1年あまりでの再入国を認める方針みたいですが、
法律通り5年間の再入国は認めるべきではありません。
法の規定は厳格に守るべきです。
とにかく、本丸は「在日朝鮮人」の強制送還問題であることに間違いありません。
本来なら素行不良な在日は強制送還できるはずなのに、日本政府はずっと実行していない。
犯罪者の多い在日朝鮮人は法律通りに照らせば、どんどん強制送還できるはず。
それをプロ市民たちは恐れている。
プロ市民の中には在日朝鮮人(帰化朝鮮系日本人も)が非常に多い。
「外国人」という大きな枠を持ち出し、様々な外国人問題へ政府に口出しをする。
そして日本の入管行政を「外国人」が楽して住みやすい方向へ導く。
結果、それは自分たちが日本に安住できる為の保証となる。
これが本当の目的なのでしょう。
あわよくば、日本を「在日コリアン国」にしたい。
このように考えれば、今までのプロ市民や左翼マスコミの主張が全て納得できます。
私はプロ市民たちがこうした悪辣な企てを続けようとするからこそ、
今回問題となったカルデロン一家にも厳格な法適用を求めました。
とにかく私が日本政府に求めることは、素行不良な在日朝鮮人の強制送還を、
一刻も早く実現してほしいということです。
これは帰化した朝鮮系日本人も同様です。
日本へ帰化した人から数えて5世代以上ならば適用外とし、
4世代以内の素行不良朝鮮系日本人も日本国籍剥奪の上、祖国へ強制送還すべきです。
日本人の前に人間じゃ!ふざけるな!
http://blog.goo.ne.jp/taifu_mary
お疲れ様です。