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政治そのほか速

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<東日本大震災4年>透析患者 命のカプセル

2015-03-12 07:55:41 | 地域

 <東日本大震災4年>透析患者 命のカプセル


 東日本大震災から4年が巡った11日、府内でも犠牲者を悼み、被災地に思いをはせる様々な催しや防災訓練があった。参加した人たちは東北の復興を願い、「あの日を、決して忘れない」と誓い合った。一方、医療機関では震災を教訓に、災害弱者を支援する新たな動きが広がっている。


  


  ◇治療情報 自宅に保管 枚方・寝屋川で取り組み


  人工透析患者の災害時や緊急時の治療に役立てたいと、枚方市や寝屋川市の医療機関が患者に、透析に必要な情報を書いた用紙を両市が配布するカプセルに入れ、万一の際に役立ててもらう取り組みを続けている。



  • カプセルを手に、災害時の人工透析患者の支援について語り合う木下院長(右)と岸田さん(枚方市で)

  •   枚方市の染矢クリニックや寝屋川市の関西医大香里病院など両市内の18機関が昨年5月以降、計約300人に配った。寝屋川市の主婦岸田鈴子さん(61)は昨年12月、自宅で体調が悪くなり、119番した。「しゃべる元気もなかったので、救急隊の人に用紙を見て、治療に何が必要か把握してもらいました。本当に助かりました」と感謝する。


      筒形のカプセルはプラスチック製で直径7センチ、高さ22センチ。両市が作り、2010年度以降、民生委員らを通じて希望する高齢者らに配布している。受け取った人は氏名や緊急連絡先などを書いたカードを入れ、見つけやすいように冷蔵庫で保管する。


      医療機関も被災する災害時には、災害弱者となる人工透析患者にも、高齢者や障害者と同様、迅速な支援が必要になることから、両市の医療機関でつくる研究会が両市に働きかけ、配布が実現した。透析患者向けのカプセルは、医療機関が直接、配っている。


      日本透析医学会によると、患者の情報を、こうした形で保管・活用している例は全国でもないという。染矢クリニックの木下義久院長(47)は「今後も配布を続け、また、連携する自治体を増やして災害時の透析患者の安心・安全につなげていきたい」と話している。


      


      ◇祈りの灯 1万2000本 枚方


      枚方市の岡東中央公園では約1万2000本のろうそくに火をともし、被災地の復興や平和を願う催しが行われた。



    • 東日本大震災犠牲者への慰霊と復興の願いを込めて、ろうそくを点灯する人たち(11日午後6時22分、枚方市で)=里見研撮影

        市内の大学生らでつくる実行委が企画。ガラスコップなどに入ったろうそくを並べて「ガンバレ東日本」の文字を型取り、午後6時頃、黙とうしたあと火をともした。コップには、地元の小中学生らが「絆」や「頑張ろう」といった被災地へのメッセージを色とりどりに記しており、集まった市民ら数百人は揺れる炎を見つめながら、手を合わせるなどした。


        実行委員長で大阪国際大4年の生田雅志さん(22)は「東北は遠く、震災の記憶は薄れがちだ。こういった行事を通じて震災のことを思い出し、子供たちに記憶を引き継いでいきたい」と力を込めた。


        


        ◇逃げ道 園児ら確認 河南


        河南町の町立かなん幼稚園では防災訓練が行われ、子供や保護者ら約200人が万一の際の避難ルートを確かめた。


        震度6強の地震が起きたという想定で、自主防災組織のメンバーらも参加。教室にいた園児は、頭巾をかぶって近くの公園に逃げ、保護者と合流した。


        子供たちは避難後、消防士らから「地震の時どうするか、お家で話しあってください」と言われて「はい」と元気よく返事をした。浅田多都子園長は「訓練の積み重ねが子供の命を守り、震災の記憶を途絶えさせないことにつながればうれしい」と話した。



「丹波布」伝習生の創作展

2015-03-12 07:55:01 | 地域

 「丹波布」伝習生の創作展


 


  • 入門1年目の長期伝習生の作品が並ぶ会場(丹波市青垣町の市立丹波布伝承館で)

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      国の無形文化財に指定されている「丹波布」の継承に取り組む丹波市青垣町西芦田、市立丹波布伝承館で、長期伝習生5人の創作展が開かれている。21日まで。


      丹波布は、草木で染めた手紡ぎの綿糸を用い、縦糸に木綿糸、横糸に絹を交ぜ織りにし、茶色、紺色、緑などのしま模様を表現した織物。紡ぎ、染色、織りの全工程が手作業で、化学染料は使わない。合併前の旧青垣町が、技術保存のため伝承館を建設し、2年間で全工程を習得する長期伝習生の養成を始めた。


      会場には昨年、入門した9期生5人が、通常の半分の長さの反物や、子ども用スカート、ワンピース、スカーフなど54点を出品。素朴な味わいを表現している。問い合わせは同館(0795・80・5100)。



手書きのぬくもり…被災者に手紙を

2015-03-12 07:54:50 | 地域

 手書きのぬくもり…被災者に手紙を


 あなたの気持ちを手紙につづってみませんか――。東日本大震災の被災者や手紙の愛好者が書いた手紙の交換を仲介するボランティア活動を続ける夫婦がいる。姫路市の介護福祉士、佐藤佳美さん(31)と夫の章さん(34)。「てがみ屋」と称し、ペンネームで届いた手紙を取り持ち、知らない相手にそれぞれ届ける。文通とは違い、一度きり。「顔の見えない相手だからこそ打ち明けられることもある。手書きの文字のぬくもりを1人でも多くの人に届けたい」と話す。(藤本綾子)



  • 被災地と手紙を交換する活動を続ける佳美さん

  •   活動のきっかけは昨年3月、章さんが福島県南相馬市にボランティアに行ったこと。仮設住宅で出会った小学2年の男児が「来年どこに住むのか、学校はどうなるのか、修学旅行はどこに行くのか、全くわからない」と嘆くのを聞いたが、かける言葉がなかった。佐藤さん夫婦には5歳と8歳の息子がおり、姫路に戻ってから「彼の将来の夢も聞いてみたかったな」と悔やんだ。


      何かできることはないかと話し合い、佳美さんが子どもの頃から好きな手紙での支援を思いついた。中学時代から北海道の同年代の女性と文通を続けており、「手紙で自分の気持ちが整理され、悩みを聴いてもらうだけで楽になることが何度もあった」という。


      昨年6月からインターネット投稿サイト・フェイスブックなどで便箋を配り始め、東北の知人やボランティアにも便箋を託す。昨夏からは、活動に賛同してくれた同じ「てがみ屋」という店名の長崎県の文具店にもチラシと便箋を置いてもらっている。


      これまでに夫婦のもとに届いた手紙は約20通。被災地からは、まだ2通だけだが、福島県から神奈川県に避難している70歳代の女性の手紙には原発事故でふるさとを奪われた怒りと悲しみがつづられていた。


      「手紙を読むあなたはもっとお辛い経験をされて、厳しい毎日かもしれませんね」。兵庫県の30歳代の女性は便箋に家族を亡くした悲しい体験と周囲の支えで少しずつ前を向けるようになった今の心境をつづり、“見えない相手”の苦しみにも思いを寄せた。


      ほかの手紙にも、「暑いですが、夏バテ気味ではないですか」「あなたにもいいことがありますように」など相手を思う心が文面ににじむ。


      発生から4年が過ぎた今も、多くの被災者が先の見えない生活を続ける。それでも、仮設住宅のポストに届く手紙が被災者にとっての「小さな幸せ」になればと、佳美さんは願う。「自分の名前が書かれた手紙がポストに入っていたときの喜びを、たくさんの人に感じてほしい」。


      手紙の送付先は「〒671・2299 姫路市飾西41の3 飾西郵便局私書箱2号 てがみ屋」へ。



小さな命 大きな痛み

2015-03-12 07:54:17 | 地域

 小さな命 大きな痛み


 ◇薬師寺管主、大川小で追悼


  薬師寺の山田法胤(ほういん)管主は11日、児童、教職員計84人が津波にのまれた宮城県石巻市の市立大川小を訪れ、冥福を祈った。また、同寺は同市内のホテルで、犠牲者の冥福と復興を祈願する法要と写経会を行った。


  山田管主が同小を訪れるのは2回目。強風が吹く中、激しく破壊された校舎近くにある慰霊碑の前で般若心経を唱え、静かに手を合わせて、亡くなった児童らを悼んだ。


  今年で3回目となる法要と写経会には被災者ら約70人が参加。山田管主ら3人の僧侶が、犠牲者の供養と早期復興を祈願する文章を読み上げた。


  山田管主は「震災が教えてくれた自然への畏敬の念は忘れてはならない」と法話。また「街の復興以上に、目に見えない痛みが残る心の復興は難しい」とし、「(写経が)心を落ち着かせ、物の見方を変えるきっかけになれば」と呼びかけた。


  同県東松島市の自営業鈴木蓉子さん(51)は「生かされた命。毎年しっかりと、安らかに眠ってほしいと祈ることが私の務めです」と話した。(有留貴博)



<東日本大震災から4年>犠牲者悼み、減災決意

2015-03-12 07:54:12 | 地域

 <東日本大震災から4年>犠牲者悼み、減災決意


 ◇県内避難 今も42世帯94人


  東日本大震災から4年を迎えた11日、県内各地でも犠牲者を悼み、被災地の復興を願う式典などが営まれた。県の集計(2月末現在)ではこの震災に絡み、42世帯94人の避難者が今も県内で暮らしているという。行政関係者や地域住民らは、大津波を引き起こすと想定される南海トラフ巨大地震などの災害に備える訓練に臨み、減災への決意を新たにした。


  県によると、避難者は2012年に55世帯131人を数えてピークを迎えたが、その後は古里に戻る人が増えだしたという。


  現在の避難者の内訳は、福島県からが15世帯31人と最も多い。宮城、岩手両県と合わせた被災3県では計28世帯60人に上る。東京、茨城、千葉など関東からも13世帯32人が避難している。滞在先は、和歌山市(20世帯46人)、田辺市(4世帯11人)、海南市(4世帯7人)など12市町に及ぶ。


  この日、和歌山市内の会議室では避難者約10人が集まる交流会が開かれ、生活上の悩みなどを話し合った。


  会はおおむね月1回、同市内で開かれ、情報交換などを行っている。今回は、県内の避難者約40世帯に最近、実施したアンケートの中間報告(12世帯分)があった。依然、半数近くの人が「まだ不安が多く、生活のめどがたたない」と答えていた。


  アンケート結果を踏まえ、避難者を支援する関係者は「以前に比べると、子どもの教育に関する悩みは減っている回答だった。子どもたちが和歌山になじんでいると受け取ってもよいかもしれない。今後は住宅や就労支援が必要になってくるのでは」と分析した。


  子どもを連れて関東から避難してきたが、今月中に関東に戻るという女性は「和歌山では屋外でのびのびと遊ばせられた。ただ関東に戻るとなると、やはり放射能のことが気になる」と話した。


   


  ◇列車から高台へ訓練真剣


  南海トラフ巨大地震で最大17メートルの津波が想定されている串本町のJR紀勢線では、列車走行中の被災を想定した避難訓練が行われた。


  列車が緊急停車したと見立て、JR西日本社員約100人が乗客役で参加。車掌らは、避難ばしごを使うなどして乗客が安全に車外に出るのを誘導し、近くの高台まで一緒に避難した。


  高台に移動する訓練には町立橋杭小学校の児童と地元住民らも参加し、高台に通じる避難路を真剣な表情で駆け上がった。


  和歌山市毛見の和歌山マリーナシティの駐車場では和歌山市消防局や和歌山海保などの約150人が参加する訓練もあった。


  倒壊家屋に人が閉じこめられていると想定し、チェーンソーなどを使って救助する作業などを確認した。和歌山市消防局の林正義消防局長は「今後も災害に備え、関係機関との連携を強化したい」と話した。


    


  ◇鎮魂の鐘響く 田辺


  田辺市今福町の勝徳寺では震災の発生時刻の午後2時46分から、市民ら約30人が鐘を突き、犠牲者の鎮魂を祈った。


  紀南ユネスコ協会の呼びかけで行われ、市民らは鐘楼にキャンドルを並べ、一人ひとり鐘を突いて合掌した。同協会の浜野公二会長(64)は「4年たっても被災地の苦しみは癒やされていない。少しでも安らぎを取り戻し、前に進んでほしい」と話していた。


  また、高野山真言宗・総本山金剛峯寺(高野町)は、高野山の奥之院で、犠牲者を追悼する法会を営んだ。粉雪が舞うなか、同宗の中西啓寶(けいほう)管長が導師を務め、約30人の僧侶が厳かに読経した。


  同宗の添田隆昭宗務総長は「犠牲となった方々のご冥福や、被災地の一刻も早い復興を祈りました」と話した。