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政治そのほか速

政治そのほか速

聖歌合唱 復興祈る

2015-03-12 07:54:01 | 地域

 聖歌合唱 復興祈る


 名古屋市東区葵のカトリック布池教会大聖堂では、約450人が参加した「犠牲者追悼・復興祈願ミサ」が開かれた。


  震災が発生した時刻に、教会の鐘が鳴らされ、参列者は黙とうをささげた。その後のミサでは、聖歌隊「南山大学スコラ・カントールム」も参加し、聖歌を合唱。神父の岩崎一二三司教代理は「犠牲になられた人の冥福を祈り、連帯を強め、苦しい立場の人々と歩んでいきたい」と述べた。


  参列した名古屋市緑区の鈴木浩彦さん(70)は「震災から4年たっても、まだまだ苦しんでいる被災者の方々に思いが届くように祈った」と話していた。



希望 ここから送る

2015-03-12 07:53:15 | 地域

 希望 ここから送る


 ◇福島へ 父は戻った


  東日本大震災の発生から4年を迎えた11日、県内各地で犠牲者を悼む催しがあり、人々が静かに手を合わせた。また、被災地には薬師寺(奈良市)から僧侶らが出向き、被災者らと共に復興を祈願した。県内の避難者は68世帯161人(1日現在)に上り、今も公営住宅や親族・知人宅などで家族と離ればなれになりながら、安定した生活を取り戻そうと願っている。


  11日午後、東大寺で行われた法要に、福島県富岡町から河合町に避難した平山裕美さん(48)と子ども3人が参列した。「4年たってもいっこうに復興が進んでいる感じがしない」。福島で暮らす夫美弘(よしひろ)さん(51)の姿はなかった。


  河合町で育った裕美さんは、25歳で美弘さんの実家がある富岡町に嫁いだ。最初はお年寄りの方言が分からず悩んだが、冬でも比較的穏やかな気候や、のんびりした人々が好きになった。「ついの住み家になるんだろうな」と思っていた。


  2011年3月、全てが変わった。


  福島第一原発事故で全町避難を余儀なくされ、一家5人で河合町に移った。翌月、通っていたいわき市の高校が再開したのを機に、長女小夏さん(21)と長男太一朗さん(20)は、美弘さんと同市に戻った。家族はバラバラになったが、裕美さんは「これがベスト。そう思わないと進んでいけない」と気持ちを押し殺した。


  河合町の実家近くで、次男詠二朗さん(18)と2人暮らしを始めた。詠二朗さんは県立奈良高で柔道に打ち込み、今春卒業した。


  小夏さんと太一朗さんは、相次いで関西の大学に進学。河合町での暮らしは、少しにぎやかになった。それでも、夕方に薄緑色の作業着姿で「ただいま」と帰ってくるはずの美弘さんはいない。寂しさが募る。


  4年たっても先の見えない生活が続く中、裕美さんは、富岡町で暮らしていた頃の夢をよく見る。5人が居間で楽しそうに朝食をとったり、子どもたちが自転車で登校するのを見送ったり――。「震災前に戻れるなら戻りたい」と、つぶやくように語った。


      ◇


  裕美さんらが法要に参列していた頃、富岡町の自動車整備工場「平山自動車工業」で、美弘さんは一人黙とうしていた。


  周辺は、立ち入りは許されたが、まだ住めない「居住制限区域」。近くにある自宅で暮らすことは出来ない。


  2人の子どもが河合町に戻った後も、いわき市内の借り上げ住宅で一人暮らしを続け、昨年5月、念願の工場再開を果たした。父から受け継いだ工場。古くからの従業員6人は解雇していなかった。


  水道が復旧しておらず、井戸を掘った。売り上げは震災前の3分の1程度で、従業員の給料を払えばほとんど手元には残らないが、「復興に携わる人たちを助けることで、私も生まれ育った町の再建に手を貸せる。いま出来るのは、この仕事だけだから」と言う。


  震災前、約1万6000人いた住民の姿はほとんどなく、客は原発や除染、建設に携わる作業員らが中心。居住制限が解除されても住民が戻ってくるとは限らないが、「私たちのように町で活動する姿があれば、避難生活を送る人たちの希望になる。『戻ろうかな』と思う人も現れる」と思う。


  裕美さんや子どもたちに会えるのは3、4か月に一度。子どもたちと一緒に暮らせる日が来るのか分からない。でも、昨年12月に除染を終えた自宅にはたびたび立ち寄り、空気を入れ替える。「子どもたちに、自分たちが育った場所は残してやりたい」と思うから。


 (坂木二郎)



県内各地でも祈り

2015-03-12 07:53:14 | 地域

 県内各地でも祈り


 東日本大震災から4年となった11日、県内でも各地で人々が黙とうをささげて犠牲者を追悼した。民間ボランティアによる復興イベントや、県警による災害救助訓練なども行われた。


  ■避難者50人減


  震災が発生した午後2時46分、県庁では職員が1分間の黙とうを行った。石井知事は「引き続き、被災者の心に寄り添って、出来る限りの支援を行っていく」とのコメントを出した。


  県によると、県内で避難生活を送る人は2月27日現在、福島県などから234人。前年同期よりも50人減少した。県はこれまで医師や土木技術者など職員222人を岩手、宮城、福島3県に派遣し、現在も農業などを専門とする12人を派遣している。県警は952人を派遣し、いまも福島県警に2人が出向している。


  ■無人ヘリで救助


  県警では、電動無人ヘリ「マルチコプター」を使った災害救助訓練が実施された。ヘリは「ドローン」とも呼ばれ、世界の災害現場などで普及が進む。


  訓練には、県外の災害現場に出動する広域緊急援助隊員ら約40人が参加した。同隊がドローンを使った訓練を実施するのは初めて。


  呉羽山断層帯を震源とする地震で家屋が倒壊したとの想定の下、リモコン操縦されたヘリからの映像を頼りに、高さ約7メートルのがれきの中から被災者役の人形を探し出した。


  初訓練を終え、同隊の八田俊寛小隊長(32)は、「新しい装備を使った訓練の有効性を実感した」と話した。


  ■チャリティーも


  犠牲者を悼む気持ちは民間人も同じだ。富山市総曲輪のグランドプラザでは、震災復興を支援するボランティア団体「東北エイド」(富山市)がチャリティーイベントを開き、被災地の特産品販売などを行った。


  参加者からは被災地への応援メッセージが寄せられた。富山市犬島、主婦金井琴美さん(42)は「なかなか被災地には行けないが、復興を応援する気持ちは持ち続けたい」と話した。



被災者の癒えぬ心紹介/舞鶴でNGO職員

2015-03-12 07:53:01 | 地域

 被災者の癒えぬ心紹介/舞鶴でNGO職員


 東日本大震災の被災者支援を続けている舞鶴市出身の民間活動団体(NGO)職員で、理学療法士の大室和也さん(31)は、同市のギャラリーサンムーンで活動報告会を開いた。震災から4年が経過しても苦しみが癒えない仮設住宅に住む被災者の実態を説明し、地震発生時刻には来場者約50人とともに黙とうした。


  同ギャラリーで開催されている府北部の陶芸家や画家らによる復興支援チャリティー展(13日まで)の一環で行われた。


  大室さんは、東京のNGO職員となった2013年から月1回、被災地に出かけ、仮設住宅のお年寄りらをマッサージしながら、悩みなどを聞いてきたという。


  この日、大室さんは津波で行方不明となった夫が見つからず、仮設住宅から転居する気になれない女性や、「原発事故で子供も孫も寄りつかなくなった」と嘆く女性らを紹介。「震災の教訓を生かし、災害に備えてほしい」と結んだ。


  夫が福島県出身という女性(85)は「被災地を忘れないことが大事だと思う」と語った。



「グランクラス」アテンダント出発式

2015-03-12 07:52:40 | 地域

 「グランクラス」アテンダント出発式


 北陸新幹線開業を前に、JR東日本の子会社「日本レストランエンタプライズ」(本社・東京都港区)は11日、金沢市のホテルで出発式に臨み、グランクラスのアテンダントら69人が最高のサービスを提供することを誓った。


  同社は、北陸新幹線「かがやき」「はくたか」の車内販売や最上級「グランクラス」のサービスを担当する。浅井克巳社長は、「また北陸に来たいなと思って頂けるようなサービスを提供してほしい」とあいさつ。


  アテンダントを代表し、内灘町出身の田辺麻里さん(25)が「お客様からたくさんの『ありがとう』を頂けるようにがんばります」と決意を語った。


  14日の金沢発一番列車「かがやき500号」のアテンダントが、能美市出身の千歩さくらさん(26)、白山市出身の米谷綾佳さん(25)に決まったことも発表された。千歩さんは、「とても光栄です」と笑顔で話した。