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政治そのほか速

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トヨタ労組、春闘で非正規従業員も賃上げ要求へ

2015-02-09 18:55:34 | キャリア・教育
 

  トヨタ自動車労働組合は、2015年の春闘で、非正規の期間従業員の日給を300円引き上げることを求める執行部案を決めた。

  期間従業員の1か月の勤務日数は20日程度のため、月額6000円程度となり、正社員のベースアップの要求額とほぼ同じ水準となる。

  トヨタ労組は14年春闘で、期間従業員の日給について200円の引き上げを求め、満額回答を得た。15年春闘でも正規、非正規を問わず、所得の底上げを図る必要があると判断した。

  正社員の一時金(ボーナス)については、14年春闘と同じ6・8か月分を求める方針案を決めた。


周防大島へ移住PR、「シマグラシS錠」配布

2015-02-09 18:55:34 | キャリア・教育
周防大島へ移住PR、「シマグラシS錠」配布 

  過疎化が進む山口県周防大島町が、都市部からの移住を促す“特効薬”にしようと、東京や大阪で開かれるイベントなどで配布するユーモアあふれる記念品「シマグラシS錠」を作った。

  薬に見立てているが、中身はラムネ菓子1粒。町は、「トカイハモウタク酸」という架空の成分が配合され、都市部の「サービス依存症」からの脱却に効果があるとうたっている。

  • <noscript></noscript>「移住を希望する人の後押しをしたい」と張り切る泉谷さん
  •   町は2012年度から定住促進事業を進めており、大都市で開かれるイベントに出向いては、ポケットティッシュやチラシなどを配ってPRしている。「シマグラシS錠」は、より印象に残る品を作ろうと、地元商工会などで組織する「町定住促進協議会」の知恵を借りて制作。今年度、約5万円をかけて約1000個を作った。

      9月に東京で開かれたイベント「ふるさと回帰フェア」で配布、受け取った人からは「面白い」と好評だったという。今後も大阪でのイベントなどで配る。

      発案したのは、同協議会で「ふるさとライフプロデューサー」を務める泉谷勝敏さん(40)。自らも07年、大阪での暮らしにストレスを感じた家族の健康状態などを考え、勤めていた証券会社を辞めて、妻の実家がある同町に移り住んだ。

      泉谷さんは移住当初、「コンビニまで車で行かなければならない」などの不便さを感じていたが、誕生した我が子を自分の孫のようにかわいがってくれる住民らの温かさなどに触れ、今では暮らしを満喫している。

      「シマグラシS錠」には、そんな泉谷さんの思いも込め、ラムネが入った小箱の裏面に「何もない暮らしに不満を持たなくなります」「真っ暗な夜が平気になります」などと“効能”を記している。

      泉谷さんは「(記念品が)島に住みたいと希望する都会の人たちにとって、移住を決める際の後押しになれば。今後も様々な企画を考えていきたい」と意気込んでいる。(木村歩)


昭和の雰囲気、空き店舗で若者たち開業…兵庫

2015-02-09 18:55:34 | キャリア・教育
昭和の雰囲気、空き店舗で若者たち開業…兵庫 
  • <noscript></noscript>三和市場に開店したカフェ&バーでくつろぐ客(尼崎市建家町で)
  •   兵庫県尼崎市の阪神尼崎駅近くにある「三和市場」が、空き店舗を4か月間無料で貸す取り組みを始めた。

      それに呼応して若者たちが次々と個性的な店を開業。「シャッター通り」と呼ばれてきたエリアににぎわいの兆しが生まれ、商店主らは「活気を取り戻す起爆剤になれば」と期待している。

      南北約100メートルの同市場は最盛期の1995年には54店が軒を連ねていたが、大型店進出や後継者難で廃業が相次ぎ、今では9店に。「何とかしたい」と3年前、同市場で精肉店を営む森谷寿さん(61)が空き店舗で怪獣や特撮映画のフィギュアの展示を始め、神社の祭りに合わせて催しを企画するなどしてきた。

      足を運んでくれた人と会話を重ねるうち、森谷さんは、店を出したいという若者が多いことに気付いた。そこで、国の「地域商店街活性化事業」の補助金などを活用し、4か月間家賃を無料にして“チャレンジショップ”を出してもらう事業を考案。11月に募集を始めると、ほどなく7人から申し込みがあった。

      その1人、大阪市の北川星子さん(26)は11月2日、「カフェ&バー・とらのあな」を開いた。大阪芸術大出身。「昭和の名残がある独特の雰囲気に、元美大生としてひかれた」と話す。メインのアーケードからは離れているが、「地元商店の人と一緒に盛り上げたい」。軌道に乗ったら、近くに引っ越そうと考えている。

      同じ頃、青果店跡に音楽ライブスペースを設けたのは、宝塚市の山田哲史さん(28)。既にライブを5回行い、30人近くを集めた日も。「静かな通りと演奏の熱気とのギャップが好評」と語る。

      京都精華大出身の女性3人組は同16日、元うどん店の区画にアクセサリー店「PIC(ピック)」をオープンした。灰色のシャッターが並ぶ中で一際目に付く真っ白な内装は、商店街の人の協力で完成させた。大阪市の光崎ちひろさん(23)は、「お客さんとの距離感が近くて楽しい。最近は商店街に行ってないという若い人を呼び込みたい」と意気込む。ホームページで、店だけでなく市場の魅力も発信するつもりだ。

      「若い感覚で、それぞれが楽しいと思える商売を応援したい」と森谷さん。昭和の風情を残しつつ、個性的な店がしのぎを削ることで全国から客を集める東京・中野区の「中野ブロードウェイ」のような場所になれば、と願っている。開業希望者は随時募集中。問い合わせは森谷さん(090・3717・3054)。(河部啓介)


被災農地で「復興芝生」…宮城・山元

2015-02-09 18:55:34 | キャリア・教育
被災農地で「復興芝生」…宮城・山元 津波被害を受けた宮城県山元町で、同町出身の大坪征一さん(74)らが町内の被災農地を使い、「復興芝生」と銘打った芝の生産を進めている。

  塩害に強く、需要の見込まれる芝を町の特産品にしたい考えで、8月には愛知県内のスタジアムに初出荷した。大坪さんは「復興の象徴となるよう、2020年の東京五輪の会場にも使ってもらえれば」と夢を膨らませている。

  仙台市に住む大坪さんは震災翌日、同町を訪れた。海から700メートルの実家周辺は一面、海のように冠水しており、「荒れ果てた古里の広大な土地を有効活用できないか」と考えた。

  市内でスポーツ施設の施工会社を営む大坪さんが着目したのは、仕事柄なじみのある芝。津波をかぶった町内の農地で2012年6月、除塩せずに芝の試験栽培を始めたところ、2か月後には青々とした芝生に育った。そこで13年4月、市内の芝生設計会社や地元農家などと共同で生産会社を設立し、大坪さんが社長に就任。被災農家らから同町山寺の農地約6ヘクタールを借りて栽培を始めた。

  近年はゴルフ場の新設が減っているものの、学校やスポーツ施設で芝生化が進み、需要拡大が期待されるという。8月には愛知県豊田市の豊田スタジアムに100平方メートルを出荷、今後も納入実績を重ねることで、東京五輪・パラリンピックに向けて建て替えられる国立競技場(東京都)の芝にも採用してもらい、町の復興を国内外に発信したい考えだ。

  雇用創出も同社の狙いで、現在、被災者ら計10人の従業員が働く。

  亘理町の太宰(ださい)斉二さん(62)もその一人で、町内の自宅が一部損壊した。震災前に衣料販売の仕事を失い、震災後、山元町でがれきを撤去する仕事をしていた時、知人に誘われて設立と同時に入社した。

  芝生の栽培は未経験で、最初はまだらになったり、日に焼けて黒ずんでしまったりしたが、専門知識がある社員の指導を受け、今では芝を見るだけで状態が分かるようになったという。太宰さんは「朝は必ず芝に『おはよう』と声をかける。自然相手だから大変だけど、立派に育てて山元の名産品になるぐらいにしたい」と力を込める。

  大坪さんは、農家を営んでいた町の旧友が被災して気力を失い、仮設住宅に引きこもりがちになる姿を目の当たりにしたという。将来的には栽培面積を100ヘクタールまで拡大する予定で、「もっと多くの被災者や高齢者が働きに出られるようにしたい」と話している。


カクテルコンペ、多摩初の全国V…東京

2015-02-09 18:55:34 | キャリア・教育
カクテルコンペ、多摩初の全国V…東京 
  • <noscript></noscript>「お客さんの生の反応を見られるのがバーテンダーの魅力」と話す高野さん(国立市東で)
  •   東京都JR国立駅南口のバー「ジェムストーン」(国立市東)の店長、高野亮さん(37)が、今月開かれたバーテンダーの総合能力を競う「全国カクテルコンペティション」(NPO法人プロフェッショナル・バーテンダーズ機構主催)で優勝した。

      今回が自身10回目の挑戦で、同大会で多摩地区のお店から優勝者が出たのは初めてだ。

      大会は、筆記試験とカクテルの創作からなる予選を通過した上位5人が、決勝でカウンターを使った接客技術を競う。高野さんは過去3回決勝に進出。このうち2回は予選を1位通過していたが、接客技術で及ばず優勝を逃していた。

      かしこまらず、ざっくばらんな接客が売りの高野さん。だが、これまでの大会では「丁寧にやること」を意識してしまい、普段通りの接客ができなかった。

      転機は昨年9月。従業員の結婚式の2次会で司会として盛り上げ役に徹した。その際、バーテンダーの師匠や先輩らから「そういう『お前らしさ』を大会でも出せ」という助言を受け、今回は「お客さんに喜んでもらいたいという思い」を表現することだけを心掛け、栄冠を勝ち取った。

      高野さんは、「優勝は2003年の開店以来お世話になった地元商店街とお客さんのおかげ」とし、「店を繁盛させて、地域の活性化に貢献したい」と意気込んでいる。