
津波被害を受けた宮城県山元町で、同町出身の大坪征一さん(74)らが町内の被災農地を使い、「復興芝生」と銘打った芝の生産を進めている。
塩害に強く、需要の見込まれる芝を町の特産品にしたい考えで、8月には愛知県内のスタジアムに初出荷した。大坪さんは「復興の象徴となるよう、2020年の東京五輪の会場にも使ってもらえれば」と夢を膨らませている。
仙台市に住む大坪さんは震災翌日、同町を訪れた。海から700メートルの実家周辺は一面、海のように冠水しており、「荒れ果てた古里の広大な土地を有効活用できないか」と考えた。
市内でスポーツ施設の施工会社を営む大坪さんが着目したのは、仕事柄なじみのある芝。津波をかぶった町内の農地で2012年6月、除塩せずに芝の試験栽培を始めたところ、2か月後には青々とした芝生に育った。そこで13年4月、市内の芝生設計会社や地元農家などと共同で生産会社を設立し、大坪さんが社長に就任。被災農家らから同町山寺の農地約6ヘクタールを借りて栽培を始めた。
近年はゴルフ場の新設が減っているものの、学校やスポーツ施設で芝生化が進み、需要拡大が期待されるという。8月には愛知県豊田市の豊田スタジアムに100平方メートルを出荷、今後も納入実績を重ねることで、東京五輪・パラリンピックに向けて建て替えられる国立競技場(東京都)の芝にも採用してもらい、町の復興を国内外に発信したい考えだ。
雇用創出も同社の狙いで、現在、被災者ら計10人の従業員が働く。
亘理町の太宰(ださい)斉二さん(62)もその一人で、町内の自宅が一部損壊した。震災前に衣料販売の仕事を失い、震災後、山元町でがれきを撤去する仕事をしていた時、知人に誘われて設立と同時に入社した。
芝生の栽培は未経験で、最初はまだらになったり、日に焼けて黒ずんでしまったりしたが、専門知識がある社員の指導を受け、今では芝を見るだけで状態が分かるようになったという。太宰さんは「朝は必ず芝に『おはよう』と声をかける。自然相手だから大変だけど、立派に育てて山元の名産品になるぐらいにしたい」と力を込める。
大坪さんは、農家を営んでいた町の旧友が被災して気力を失い、仮設住宅に引きこもりがちになる姿を目の当たりにしたという。将来的には栽培面積を100ヘクタールまで拡大する予定で、「もっと多くの被災者や高齢者が働きに出られるようにしたい」と話している。