升田幸三全局集(疑わしいところ)

2006-12-18 12:53:30 | 倉庫
昨日の続き。とりあえず考え付いたところからメモ。間違いがあればどんどん修正する。全局集を持っていない人間がなぜこういうことを言うか、そのあたりはお察しください(笑)。
まず 山本武雄『将棋百年 改定新版』(1981 時事通信社)から第1回王将戦選抜リーグと第1期王将戦挑戦者決定リーグ(これが誤り)の成績表を掲げておく。

第01回王将戦選抜リーグ戦
 大山升田丸田塚田高島 
大山康晴2勝2敗
升田幸三2勝2敗
丸田祐三3勝1敗
塚田正夫2勝2敗
高島一岐代1勝3敗

第01期王将戦挑戦者決定リーグ戦
 丸 田升 田大 山坂 口塚 田 
丸田祐三11002勝6敗
升田幸三12227勝1敗
大山康晴10203勝5敗
坂口允彦20013勝5敗
塚田正夫20215勝2敗


まず第1回王将戦、升田が先番で高島一岐代に勝利した棋譜は毎日新聞に掲載されている(1950/11/01-09 対局日10月26日109手まで)がこれは収録されていない。
次に1950/08/08 塚田正夫vs升田幸三 王将戦 74手で後手の勝ちという棋譜が収録されている(以下これを棋譜Aとする)。これは上記第1回王将戦リーグの表に照らし合わせると一見正しい。しかし、対局日に問題がある。毎日新聞では10月4日付で丸田祐三vs塚田正夫をもって王将戦が開幕したと報じている。これより前に王将戦があることがおかしい。その後毎日新聞を読み進めると、翌年1951年8月8日の対局であることがわかる。第1期王将戦リーグの升田塚田の1局目(この王将戦は先後を替えて2局ずつ各人8局)にあたる。ところが、1951/11/00の王将戦として塚田正夫(先)vs升田幸三(188手で後手勝ち 棋譜B)と升田幸三(先)vs塚田正夫(105手で先手勝ち 棋譜C)が収録されており、共に第1期王将戦の棋譜であると思わせる。ABCともに第1期王将戦リーグの升田vs塚田だ。では何がおかしいか、上記第1期王将戦リーグの成績をよくみると、丸田2勝6敗=8戦、升田7勝1敗=8戦、大山3勝5敗=8戦、坂口3勝5敗=8戦、塚田5勝2敗=7戦。変だ。結論だけ書くと、棋譜Bは先手後手が入れ替わってしまっており、実際は11月1日前後に、升田5勝1敗、塚田5勝2敗で迎え、後手番の塚田が勝ったと報道されている(11月20日~29日掲載)。11月8日、升田は最終の大山戦を勝利で飾る。升田と塚田は共に6勝2敗でリーグ戦を終え、11月16日に同率決戦を行った。それが棋譜Cである。棋譜Aが表していたはずの第1回王将戦の升田vs塚田は見当たらない。新聞掲載もない。
どこで躓いたのかわからない。全局集作成スタッフだけのミスではないと思う。『将棋五十年』のところでおかしくなったのか、それとももっと前からなのか。そのあたりは資料を持っている人が考えてくれということで一つ。(2006/11/09)

(追記)
『将棋世界』さえ揃えればこんなの簡単に解決するでしょうな。

第3期王将戦にないはずの高島一岐代戦があり、あるはずの小堀清一戦がない。
第5期九段戦の挑決第2局の日付がおかしかった。
第4期王位戦リーグ白組 vs灘の日付がおかしい。残決でもないのに七番勝負の最中(9月25日)にやっている。可能性は2つあると思う。一つは単に6月25日を間違えている可能性。もう一つは9月25日の日付は正しいが、後手は灘ではなく神田鎮雄であったという可能性。第4期白組は升田・二上・神田が2勝2敗で並び、トップ抜けした佐藤大五郎は別として、もう一つのシード枠を争うことになったいたはずだが、神田鎮雄戦が記録からも消えてしまっている。どちらにせよ、1つ棋譜が消えていることになる。升田幸三年代記は上記間違いを引き継いだ上で、神田鎮雄の雄が男になっている。
1964/02/29の王将戦、vs丸田祐三戦。リーグの時期ではないし、残決をやるような成績でもない。2月18日の五十嵐戦も同様。共に第13期王将戦リーグと思われる。日付の根拠は今のところ不明。(2006/11/23)

第13期王将戦リーグの日付について。この日付を信用することにした。このリーグ戦の経過を辿ると大山が5回戦まで全勝。それを追うのは升田に敗れた1敗のみの松田。12月11日の直接対決に松田が勝ち、決着は14日に持ち越される。14日、大山は芹沢に勝利、有吉が師匠の援護射撃に成功し松田を撃破、挑戦者は大山に決定した。仮に大山も敗れていれば大山・升田・松田の3人が2敗で並ぶことになり、升田の残りの2局が急遽行われただろう。実際にはこの時点で升田の王将戦残り2局は挑戦には関係なくなったので、升田が大山と十段戦・棋聖戦でタイトルを争っていたことと升田の体調を考え合せて先送りしたとしてもおかしくはない。この時代は次期二次予選の直前に残決(シード戦)が行われたが、有吉・灘の残決があったのかは今のところ不明。升田が丸田・五十嵐のいずれかに敗れた場合には、有吉・灘・升田の三者で二つの席を争ったかも知れない。(2006/12/18)

大正十年東京朝日新聞第13局

2006-12-18 01:43:33 | 棋譜
開始日時:1921/03/17
棋戦:その他の棋戦
戦型:その他の戦型
手合割:角落ち
下手:木村義雄
上手:矢島五香

場所:東京市麹町区平河町「関根将棋所」
*放映日:1921/03/17-22
*棋戦詳細:(東朝)高段勝継特選将棋
*「木村義雄四段」vs「矢島五香七段」
△6二銀 ▲7六歩 △5四歩 ▲5六歩 △7四歩 ▲7八銀
△8四歩 ▲5八金右 △9四歩 ▲6六歩 △6四歩 ▲6七金
△4二銀 ▲4八銀 △5三銀右 ▲2六歩 △6二金 ▲2五歩
△3二金 ▲7九角 △6三金 ▲2四歩 △同 歩 ▲同 角
△2三歩 ▲6八角 △9五歩 ▲7七銀 △4四歩 ▲3六歩
△4三銀 ▲7八金 △7二飛 ▲8六銀 △4一玉 ▲6九玉
△3一玉 ▲4六歩 △1四歩 ▲1六歩 △2二玉 ▲4七銀
△8二飛 ▲7九玉 △8五歩 ▲7七銀 △7二飛 ▲3五歩
△7五歩 ▲同 歩 △同 飛 ▲3六銀 △7一飛 ▲7六歩
△7四金 ▲8八玉 △6五歩 ▲同 歩 △7三桂 ▲4五歩
△同 歩 ▲同 銀 △4四歩 ▲3六銀 △8六歩 ▲同 銀
△6五金 ▲6六歩 △6四金 ▲2四歩 △同 歩 ▲2五歩
△同 歩 ▲2四歩 △3一玉 ▲2五銀 △2二歩 ▲2三歩成
△同 歩 ▲2四歩 △同 歩 ▲同 銀 △2二歩 ▲2三歩
△同 歩 ▲同銀成 △2二歩 ▲3二成銀 △同 玉 ▲1五歩
△4五歩 ▲1四歩 △1二歩 ▲1三歩成 △同 歩 ▲1二歩
△同 香 ▲1一金 △4四銀右 ▲1二金 △2三銀 ▲2七香
△1二銀 ▲2二香成 △4二玉 ▲1二成香 △4六歩 ▲同 角
△5五歩 ▲2一成香 △5三玉 ▲2二飛成 △3二金 ▲1二龍
△4五歩 ▲3七角 △2八歩 ▲5五歩 △同 金 ▲5六歩
△4六金 ▲同 角 △同 歩 ▲4五歩 △同 銀 ▲3七桂
△3六銀 ▲5五銀 △5四歩 ▲4五桂打 △6三玉 ▲6四金
△7二玉 ▲5四銀
まで134手で下手の勝ち
 年内朝日開通は不可となった。あと3年分くらいだがまとまった時間がとれなくなった&やる気が少し失せているので少しの時間を割かなくなった。これから年内に貼る棋譜は全部(倉庫で)既出だが、怒らないように。
 望夫ブログ(ブログ名を覚えないでこう呼んでいる)で金子金五郎の観戦記が取り上げられていて何となく嬉しい。やはり最強の観戦記者。金子は戦前の観戦記でも一読の価値がある。以前にも書いたが煩雑な解説は小活字にしている。あれは観戦記で記者の文+評者の講評というスタイルが他で見られた影響かも知れないが、全体のまとまりという点では他の筆者+講評者の比ではない。
 私の評価している観戦記者は、筆力で倉島竹二郎、開拓精神で奥山紅樹、トータルバランスで金子金五郎。菅谷北斗星は開拓者であり別格だが、面白いか?と問われると私としては今ひとつ。現代の観戦記者では(と語れるほど網羅的に目を通しているわけではないが)、年を喰って説教臭さが出てきてしまったのがよろしくないが東公平(紅)がわりと好き。今年の私的ワースト観戦記は鈴木大介vs北浜健介の棋王戦。筆者は指導棋士だったと思う。名前は忘れてしまった。あれを読んだ前後に竜王戦の第2局があって、「観戦記ってほんとに無意味だな」と思わされた。