開始日時:1940/03/23
場所:東京市麹町区「将棋大成会」
持ち時間:13時間
消費時間:▲268△221
先手:土居市太郎八段
後手:神田辰之助八段
掲載日:1940/04/07-17
▲2六歩 △3二金 ▲2五歩 △6二銀 ▲2四歩 △同 歩
▲同 飛 △2三歩 ▲2八飛 △5四歩 ▲5六歩 △5三銀
▲4八銀 △8四歩 ▲7六歩 △8五歩 ▲7七角 △3四歩
▲6八銀 △4一玉 ▲5七銀右 △7四歩 ▲7八金 △6四銀
▲6六歩 △5五歩 ▲同 歩 △同 銀 ▲6七銀 △6四歩
▲4六歩 △4四銀 ▲5八金 △5二金 ▲6九玉 △4二銀
▲3六歩 △5五歩 ▲5九角 △5三銀上 ▲2六角 △5四銀
▲5六歩 △8六歩 ▲同 歩 △同 飛 ▲8七歩 △8四飛
▲5五歩 △同銀左 ▲7一角成 △4四角 ▲5三歩 △同 角
▲同 馬 △同 金 ▲6二角 △8三飛 ▲5六歩 △4四銀
▲7一角成 △3三銀 ▲7七桂 △4二銀 ▲3五歩 △同 歩
▲5五歩 △6三銀 ▲6五歩 △7五歩 ▲同 歩 △5六歩
▲同銀直 △3九角 ▲3八飛 △7五角成 ▲7六歩 △8四馬
▲6四歩 △同 金 ▲6六歩 △3一玉 ▲3五馬 △5二銀
▲4五馬 △6二馬 ▲6五歩 △4四歩 ▲3六馬 △6三金
▲6六銀 △4三銀右 ▲6七金右 △2二玉 ▲7九玉 △3四歩
▲8八玉 △7四歩 ▲4五歩 △3三銀 ▲3七桂 △4五歩
▲同 銀 △3五歩 ▲4六馬 △4四歩 ▲5六銀 △3四銀右
▲5四歩 △同 金 ▲9一馬 △3六歩 ▲9二馬 △3七歩成
▲同 飛 △7三馬 ▲5五歩 △3六歩 ▲同 飛 △5三金
▲3五歩 △4三銀 ▲3四香 △4二銀 ▲3二香成 △同 銀
▲6四歩 △7二馬 ▲5四歩 △同 馬 ▲4五歩 △8四飛
▲5五銀左 △7二馬 ▲6五桂 △4三金 ▲5四歩 △同 金
▲6三金 △5五金 ▲同 銀 △7一馬 ▲8一馬 △同 飛
▲3四桂 △3三玉 ▲4二桂成 △同 玉 ▲5三桂成 △3一玉
▲3四歩 △8六歩 ▲4二金 △2二玉 ▲3二金 △1二玉
▲3三歩成 △8七歩成 ▲同 金 △同飛成 ▲同 玉 △8六歩
▲7七玉 △5九角 ▲6六玉 △4八角成 ▲5七銀 △6五歩
▲同 玉
まで169手で先手の勝ち
問題の対局まで辿りつきました。紙面は、神田vs斎藤と渡辺vs神田でリーグ戦の掲載、名人戦七番勝負へと移ります。
渡辺vs神田の対局日は不明ですが、13,14日に神田vs斎藤があったのですから3月下旬のどこかでしょう。本局が先に掲載されたのは優勝決定戦だったからみたいです。本来なら土居も七戦を消化するはずですが、土居がこの後3連敗しても、2位につける4敗の萩原と並ぶことはなくなりました。規定には“ 八段リーグ戦において勝星同率の者2名となりたる時は更に両者の決戦3局によって名人挑戦資格者を定むるものとす。”とありますが、その可能性がなくなったわけです。これを受けてリーグ戦自体が終了になったと考えるよりなさそうです。このリーグ戦には現在の順位戦のように次期の順位を決める意味合いはなく、残りの対局は消化試合になってしまうので、行わなかったということなのでしょう。厳密に考えると、土居が4連勝した時点で終っていても良さそうなのですが…よくわかりません。手合がついた後なのでとりあえずやっちまおーぜ、だったのかも知れません。