「ぼくら党」のブログ

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イスラエルのレバノン空爆について

2006-07-15 23:27:01 | イラク・中東問題
■記事によるとイスラエルが、レバノンに空爆をしているようだ。イスラエル兵が、ヒズボラに拉致された事が直接的な原因らしい。ヒズボラを調べてみると、イスラーム原理主義シーア派のゲリラ組織であり、レバノン議会に議席を持つ合法組織らしい。

合法組織でありながら、なぜテロ行為を行うことが出来るのか疑問ではあるが、イスラエルが圧倒的な力で、他国の不満分子を掃討している姿を見ると、不満を持つ勢力はテロ的な方法でしか、異議申し立てができない状態であることは理解できる。 (支持はできないが)

■イスラエルそのものが、テロによってイギリスを追い出している歴史がある。場合によっては暴力が許されるなら、同じ方法で、イスラエルに対してテロを行うことも、弱い立場の人々にとっての立派な権利となってしまう。

しかし、イスラエルにとってはその様な権利は認められるはずも無く、自らの暴力闘争は正義であって、他の国や勢力が行うイスラエルに対する暴力闘争は悪魔の所業であるとしなければならない。明らかに矛盾している理論であるが、自らの生き残りを考えればそうなる。

■イスラエルとヒズボラの応酬は殆んど戦争状態である。イスラエルは海上封鎖や幹線道路・空港の空爆を行ない、ヒズボラはイスラエルに100発以上のロケット弾を発射し、無人機で艦艇攻撃を攻撃して対抗している。

今の状態は、日本で例えるなら、テロ攻撃を受けた米軍が、巡航ミサイル等で東京にいる組織に攻撃を加えている様なものなのだろうか。この行為はその国の主権侵害にならないのだろうか。(たとえ合法であっても、やられる側には許せるものではない)。

日本では北朝鮮のミサイル実験について問題視しているが、これは冷戦状態ではなく、熱戦状態にいたっているのだから世界的にはこちらの方がより深刻な問題であるかもしれない。

― 00年5月のイスラエル軍のレバノン南部撤退はヒズボラが攻撃を激化する中で「敗走」する形となり、ヒズボラは「イスラエル軍に勝利した」と大々的に宣伝した。― とある事から、イスラエルの力によるテロ対策はうまくいっていないようだ。

強力な力でテロ組織を攻撃したとしても、その時点ではテロ組織を麻痺させる事は出来るだろうが、しばらくすると、またテロ攻撃を開始するようになる。これはイタチゴッコにしかすぎず、根本的な問題解決にはならない。しかし、相手がイスラエルの存在そのものを認めない状態(イスラエルも相手の存在を認めていない)であれば、これぐらいしか手立てが無い。

対処療法的に攻撃すればするほど、相手側にイスラエル攻撃の動機を与える事になり、傷口が広がる事になる。

■見た目は圧倒的にイスラエル有利に見えるが、ピストルで蚤を撃つような方法では、いつか行き詰る事になり、打ち負かされる事になる。もしかするとイスラエルは見た目ほど有利ではないのかもしれない。



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-以下参考記事-
http://www.sankei.co.jp/news/060714/kok038.htm
イスラエル首相、レバノンへの攻撃強化命令
【カイロ=加納洋人】
レバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラ軍事部門がイスラエル軍兵士2人を拉致した事件を受け、イスラエルオルメルト首相は14日未明(現地時間)、レバノンに対する軍事攻撃をさらに強化するよう命じた。ロイター通信が伝えた。 治安担当者との協議したうえでの判断で、イスラエル軍は同日未明、レバノンの首都ベイルートとシリアの首都ダマスカスを結ぶ幹線道路への空爆を行った。  

一方、ヒズボラ軍事部門は13日、レバノン南部からイスラエル領内に100発以上のロケット弾を発射。同通信によると、これまでにイスラエル人2人が死亡、90人が負傷した。イスラエル側は、レバノン国境から約30キロ離れた人口約25万人のイスラエルの港湾都市ハイファ中心部に13日夜、ロケット弾2発が撃ち込まれたとしているが、ヒズボラはハイファへのロケット弾攻撃の事実を否定している。 (07/14 09:57)

http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/mideast/isr/archive/news/2006/07/20060715dde007030039000
c.html

イスラエル:レバノン侵攻 ヒズボラ、イスラエル艦を攻撃 党首「開戦受けて立つ」 【エルサレム樋口直樹】
レバノンからの情報によると、イスラム教シーア派民兵組織ヒズボラは14日夜、首都ベイルート沖で海上封鎖を行っていたイスラエル軍艦船に爆弾を搭載した無人機を突入させ、大きな被害を与えた模様だ。これに先立ち、イスラエル軍はベイルートのヒズボラ本部などに大規模な空爆を行った。ヒズボラのナスララ党首は同夜、「開戦を望むなら受けて立つ」と対イスラエル攻勢の強化を宣言。レバノン情勢は一層混迷の度を深めている。 

地元メディアによると、イスラエル軍艦船は14日午後8時半ごろ、ベイルート沖約16キロの地点で無人機の攻撃を受けた。ヘリコプターの発着地付近から出火、数時間にわたって燃え続け、イスラエル側へ引き返した。アラビア語衛星テレビ局アルジャジーラはこの攻撃で乗組員4人が行方不明になったと伝えたが、軍当局は確認していない。 イスラエル軍によるヒズボラ本部への空爆では、ナスララ党首の自宅や事務所も破壊された模様だが、ヒズボラ側は同党首の無事を伝えた。この後、「(レバノンの)インフラや人々の家、民間人を攻撃してきたイスラエルの軍艦がベイルート沖で燃えるのを見よ」との同党首のコメントが放送され、ヒズボラによるイスラエル艦船への攻撃が明らかになった。 

ナスララ党首は「開戦を受けて立つ」と述べ、「(イスラエル北部の第3の都市)ハイファをはるかに超えて」同国を攻撃すると宣言。レバノン南部からのカチューシャロケットの攻撃範囲を国境から約30キロ離れたハイファよりさらに南側へ広める考えを示した。 14日夜にはイスラエル北部のレバノン国境近くの集団農場にカチューシャロケット1発が着弾し、5歳の少年と祖母の2人が死亡、別の子供3人を含む10人が重軽傷を負った。ロケット攻撃によるイスラエル人の死者は計4人になった。AP通信によるとイスラエル軍の砲爆撃によるレバノン側の死者は計73人に上っている。毎日新聞 2006年7月15日 東京夕刊

http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/news/20060715k0000e030029000c.html
イスラエル:安保理でレバノンと応酬、議長国が声明 
【ニューヨーク坂東賢治】国連安保理は14日、イスラエル軍の軍事作戦拡大で悪化するレバノン情勢をめぐり、緊急会合を開いた。当事国として参加したレバノンが即時停戦を求めたのに対し、イスラエルはイスラム教シーア派民兵組織ヒズボラの根拠地を対象にした軍事行動だと主張して対立した。 

協議後、安保理議長国フランスのドラサブリエール国連大使が、紛争当事者にアナン事務総長が派遣した国連特使への協力を呼びかける短い報道向け声明を発表した。 協議はレバノンの要求で開かれ、レバノンとイスラエルの代表同士で非難の応酬になった。理事国間でも意見が分かれ、米国がヒズボラや同組織と関係の深いイランやシリアを批判してイスラエルを擁護したのに対し、歴史的にレバノンと関係の深いフランスはイスラエルの軍事作戦を過剰な反応と非難した。毎日新聞 2006年7月15日 10時59分

http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/news/20060715k0000m030143000c.html
イスラエル:ヒズボラとの憎悪、敵意の紛争史 
イスラム教シーア派民兵組織ヒズボラによるイスラエル兵拉致に端を発したイスラエル軍のレバノン空爆が激しさを増している。80年代前半のレバノン侵攻泥沼化の苦い記憶を抱え、自国民を決して見殺しにできないイスラエル。6年前にイスラエル軍をレバノン南部から追い出し、今はパレスチナのイスラム原理主義組織ハマスに呼応するようにイスラエル兵拉致とロケット弾攻撃を繰り広げるヒズボラ。両者の間には憎悪と敵意に根差した紛争史が横たわっている。【前田英司】 

ヒズボラが誕生したのは82年のイスラエルのレバノン侵攻がきっかけだ。侵攻はパレスチナ解放機構(PLO)の排除が狙いだったが、最大の犠牲者となったレバノン南部のシーア派住民が中心となってヒズボラを結成。ベイルートからチュニスに退散したPLOと入れ替わる形で反イスラエルの武装闘争を継承した。ヒズボラはいわばイスラエル・パレスチナ紛争の落とし子だった。 

レバノンはキリスト教、イスラム教の各派が混在する「モザイク国家」だ。それゆえに各派の権力闘争が絶えず、利害の絡む周辺国の思惑が国の命運を左右してきた。シリアは05年の駐留軍撤退までレバノンを事実上、実効支配。ヒズボラはイランのイスラム革命(79年)の影響を強く受け、イランから支援を受けているともいわれる。 70年にヨルダンを追われたPLOがレバノンに入った当時はキリスト教マロン派とイスラム教ドルーズ派の対立が先鋭化、レバノンは国家崩壊の危機にひんしていた。PLOはキリスト教徒の反発を買い、75年に勃発(ぼっぱつ)したレバノン内戦に乗じてイスラエルへのゲリラ活動を激化させた。 

イスラム勢力と敵対するイスラエルはレバノン侵攻によってキリスト教マロン派支配の親イスラエル国家の樹立をもくろんだ。だが、思惑は外れ、ベイルート南郊の難民キャンプでイスラエル軍と友軍関係にあったマロン派民兵によるパレスチナ人虐殺が発生。当時、イスラエル国防相だったシャロン前首相らが責任を問われ、イスラエル国民に心的外傷を残した。 

精神的深手を負ったイスラエルは85年、レバノンの大半から撤退したが、自国北部の安全確保を理由に国境沿いに占領地「安全保障地帯」を設置。かいらい軍「南レバノン軍」(SLA)に武器や資金を提供、イスラエル兵との二人三脚でヒズボラなどと戦わせた。しかし、ヒズボラ相手の消耗戦が長期化するにつれ政府は撤退を求める世論に抗しきれなかった。 

00年5月のイスラエル軍のレバノン南部撤退はヒズボラが攻撃を激化する中で「敗走」する形となり、ヒズボラは「イスラエル軍に勝利した」と大々的に宣伝した。ヒズボラの戦略・戦術はアラブ・イスラム世界の一部で支持を得て、ハマスなどの組織に影響を与えたとされる。毎日新聞 2006年7月14日 22時54分