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書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

Chaos

2022年01月19日 13時53分07秒 | 日記

中国でのオミクロン株感染源が国際郵便だったらしい

国際郵便なんて そんなに即日届くわけでもなかろうに 一体何を注文したのかはわからんのだが 郵便物を調べたらオミクロン株が検出されたんだそうで それ以外の感染経路が全く特定できなかったという

ウチの親父が「郵便物は大丈夫」などと何の根拠もない決め付けをしていたことがあったが 郵便に対する根拠のない信頼みたいなものがあるのかしら

ウーバーイーツとか出前館とかで注文する食べ物も 感染拡大している期間中だけでも非加熱で食べるなまものは避けた方が良いかもしれない

誰が無症状感染者なのかわからんもの

電子レンジで加熱する食べ物なら多分大丈夫 「コロナウイルスは熱には弱い」って専門家が言ってた

パッケージにウイルスが付着している可能性はあるかもしれないので 除菌シートで拭いてしまえば良いと思う

 

社内で共用していた水道の蛇口のハンドルから感染したとか

医療従事者の靴から家族が感染したなんていう話もあったな

何せ見えないってのが厄介だよなぁ

放射線なら計測器が売ってるけど

ウイルスは感染して発症するか 検査するまでわからない

 

オミクロン株の中に強毒変異を起こしているらしい変異が見つかっているというが 感染力が他のオミクロン株と同等なら特に拡がることはないと思うんだが

変異自体は何が起こるか全く予想がつかない

村山輝星ちゃんじゃないけど「Chaos」だもの

そういやヒトの細胞内でコロナとインフルエンザが「交配」しちまったウイルスも発見されたなんていう記事もあった

90歳のウチの親父にはもうブースター接種の接種券が来ていて 1月13日から予約は受け付けているという

実際の接種は2月からだそうだ

 

オミクロン株の話ではないのだが 新型コロナのウイルスの感染例では 妊娠後期になるほど重症化リスクが高くなる傾向があるというので 妊婦さんや周囲の人は特に警戒が必要だと思う

 

そういや居酒屋とかが軒並み潰れて閉店しているんだとか

空き店舗があるなら情報共有して新しい何かができないものかと

「スキルの棚卸し」って言ってた人がいたけど 街全体でのリソースも棚卸しすれば 環境に適応した産業活性化も促進できそうな気がする

居酒屋の空き店舗を写真とか動画撮影用のスタジオに改造するとか

パーティションで区切ってリモートオフィス的なものに改造するとか

ヤマト運輸の「PUDO」も設置場所を探しているんじゃなかろうか

他にも土地探している企業ってあるんじゃないのかな

できることって何かありそうな気がするんだが

ヒトの脳って どうしても「今までやっていたこと」に縛られてしまって発想の柔軟さを失う傾向が強いもんだから 「できないこと」ばっかり数えちまって「できること」に意識が働かなくなる

東大で刺傷事件起こした17歳も 「できない」ことばかりを嘆いて自暴自棄になったんであって 今できる範囲のことをゼロベースから一回見直して「できること」を考えた方が良い

道徳教育の指導要領に「苦手を克服」みたいなことが書いてあったけど 益川敏英は「嫌いないことや苦手なことは そんなにやらなくて良い」って言ってたぞ

具体性のない抽象的な「お花畑」ばっかり陳列している文科省のバカ役人のカオスな「指導要領」よりも 益川敏英の言っていることの方が具体的で意味があるだろ

それぞれの能力が違うからこそ 互いに助け合うことが「普通」になるんであって

全員が同じ価値基準を持つから順位序列の競争的に「蹴落とし合い」が始まる

お互いにできることと できないことを補い合えば どうしたって蹴落とし合いにはなりようがない

だけど ヒトってのは先天的に他人を蹴落として環境資源を独占しようとする野獣の末裔なもんだから どうしても非合理な蹴落とし合いに陥ってしまい 「奪い合いになって足りなくなる」

本当は「分け合えば余る」のに 無駄に独占することに異常執着してしまうという認知的欠陥がヒトには先天的にある

それが一番社会効率を悪化させる原因

 

 

 

Ende;


野獣の末裔

2022年01月18日 14時32分20秒 | 意識論関連

野獣というのは凶暴である

過酷な自然環境の中における生存競争に勝ち抜いた生物への収斂進化が起きた結果だからであり

自然環境化では凶暴でないと生き抜くことができない

草食動物であっても凶暴性というのはあって むしろ同種同士でのメスの取り合いでド突き合ったりする

自分よりも弱い相手に暴力を振るい メスを独占する欲望を満たす

しかし これは別に「強い遺伝子を遺そう」といった意図目的戦略に基づいて能動的に選択した習性ではなく 独占欲の強い暴力的なオスの行動習性が結果的に強い個体への収斂を引き起こした「結果」でしかなく 結果に対する必然性はあっても 目的や合理性があるわけではない

オスはメスとの交尾をしたがる習性はあるものの 別に子供を育てるとは限らず ヤリっぱなしでメスにワンオペ育児を丸投げする種の方が圧倒的に多い たまに例外はあるものの それは環境依存性のものであって あらゆる先天的本能習性や形質は全て環境依存的結果以上の意味はない

ヒトにおいても「誰彼構わずヤリまくりたい」という行動習性は見られても 育児に積極的に参加する男というのは稀であり それは先天的にはヒトの男は育児をする本能的習性があまりないからである

生涯一人の女性にしか興味を持たない誠実な男よりも 誰彼構わずヤリまくる不誠実な男の方が遺伝子が遺り易いため ヒトの男は浮気をする先天的本能習性を持った個体種への収斂進化が促されているのである

女性がどんなに月経の痛みを我慢しても 後天的苦しみが先天的遺伝に影響を及ぼすメカニズムがないのと同様

男がどんなに不条理で非合理な先天的本能習性を持っているとしても 後天的な迷惑行為は先天的遺伝には影響しないのである

むしろ 暴力的な男への恐怖心による脈拍や呼吸数の上昇から 「吊橋効果」的錯覚を促されてDV男を「好き」だと勘違いして自分からDV男と繁殖してしまうバカでもある

ヒトという種の生物のハードウェアとしての先天的本能習性というものは変えようがないが 後天的に理性を働かせてソフトウェアとしての修正パッチを当てることは可能である

 

世間的評価欲しさに「東大に入って医者になりたかった」のに 学力成績が下がって絶望して放火や刺傷事件を引き起こしたりするのは 学力成績がいくら高くでも理性が働かなくなっているからである

サルにエサを与えて芸を仕込めば 様々な芸を「学習」してくれるものの 芸をしたのにエサが貰えなければ怒り狂って暴れるだけである

日光いろは坂のサルにエサを与えてしまうと エサが貰えることが「常識」として「学習」されてしまうために 思ったようにエサが貰えないとヒトを襲撃するようになるのである

自然界においては 暴力的凶暴性は生存にとって有利に働くことが多い

自分よりも弱そうな相手を喰うことや 自分よりも弱そうな仲間を蹴落として環境資源や交尾相手を独占した方が 繁殖を継続する上においては有利に働いた収斂進化の必然的結果である

イジメや差別も同様で 社会的負担になりそうな弱そうな相手を排除し 自分よりも強そうな相手に媚び諂(へつら)い阿(おもね)り忖度して服従することで 結果的に統率的協調行動を採れることへの快楽が 民族浄化のバイアスとして働くことで ヒトは先天的にイジメや差別をすると「楽しい」のである

差別排除に「楽しい」と感じられるからこそ差別排除が促されるのであり 差別排除が促される個体種への収斂の結果として 差別排除が「楽しい」と感じる個体種への収斂進化が引き起こされたのである

ヒトという生物種には 別に「人間になろう」といった目的があるわけではなく 偶発的に「人間性とは何か」を考えること「も」可能になっただけであって ヒトの先天的本能習性に人間性など組み込まれてはいないのである

マトモに物事を「考え」られれば こうした先天的本能習性には合理性がないことを鑑みて社会的にも合理性のある行動選択をすること「も」可能ではあるが

バカだと欲望のままに順位序列を他人に押し付け 周囲の環境に流されるがままにイジメや組織腐敗に加担したり 傍観放置したりするのが「ヒト」という種の生物の普遍的習性というものである

 


既に存在している自己の先天的ハードウェアとしての本能習性の中から 合理性のある「人間」としての行動を選択するというソフトウェア的修正パッチを働かせることは不可能ではない

その意味においては「一切衆生皆成仏」だとも言えるのである

知らんけど

「欲望自体を欲することはできない」が 「どの欲望を優先するのかは選択可能」である

それができないからイジメや無差別刺傷事件なんぞを引き起こすようなバカになるのである

バカのままでいるか

それともバカから脱却しようとするか

その違いは「意識(客観的論理検証性:理性)」の有無によるものである

 

 

 


Ende;


ヒトという種の生物の習性

2022年01月18日 12時51分03秒 | 意識論関連

岡山市内の建設会社で働いていたベトナム人技能実習生の男性(41)が、複数の日本人従業員から繰り返し暴行を受け、あばら骨を折るなどの重傷を負っていたことがわかった。男性は17日、岡山市役所で記者会見し、「家族や他の実習生に迷惑をかけたくなくて、我慢してきた。外国人にもっと思いやりの気持ちがほしかった」と述べ、会社などに対して謝罪と慰謝料を求めている。

 男性を保護する労働組合「福山ユニオンたんぽぽ」(広島県福山市)によると、男性はベトナムに妻と娘(5)を残し、2019年10月に来日。岡山市の監理団体の仲介で、11月にとび職の技能実習生として市内の建設会社に就職した。翌12月ごろから、複数の日本人従業員に殴ったり蹴ったりされるようになり、20年5月には足場の解体作業中、90センチほどのパイプ状の部品を顔に投げ落とされ、歯が折れ、唇を4針縫うなどした。同11月には生活指導員の同僚から胸などを蹴られ、あばら骨が折れた。


 21年6月、男性は監理団体にけがを撮影した写真をメールで送って被害を訴えたが、「暴力は注意するが、転籍は難しい」と返信があったという。男性は「『日本語の能力が低いから暴力を受けるのは仕方がない』という言い方をされた」と話している。その後1カ月程度は暴力が収まったが、同8月には足場の上段での作業中、ほこりが落ちてきたことに怒った同僚が男性の靴底の裏に針のような部品を刺すなど、再び暴行が始まった。暴力は日本語がうまく話せない時や作業が滞った時などに多かったという。

 同10月、フェイスブックで知り合ったベトナム人を通じて同ユニオンに相談し、保護された。現在はユニオンのシェルターで生活している。ユニオンによると、1回目の団体交渉で会社側は「けがをしたことはおおむね認めるが、暴行があったかどうかは詳細を把握していない」とし、監理団体も「知らなかった」と回答したという。男性はけがで病院を受診する際、会社から「自転車で転倒したことにしておけ」などと言われたと訴えている。20年5月ごろからはストレスで不眠症になり、監理団体の担当者が通院に同行したこともあったという。


 職場には他に3人のベトナム人技能実習生が働いていて、日本人従業員からたたかれるなどの暴力を受けていたという。男性は「日本に来る前は、日本人は優しく、安全で働きやすい国だと思っていたが、暴力を受けとても大変だった」と涙ながらに語った。「家族のためにもまだ日本で働きたい。他の良い会社に変わりたい」と望んでいる。

 会社側の代理人弁護士は「示談交渉中のため事実関係を含めてコメントできない。円満な解決に向けて早急に対応していきたい」、監理団体の代理人弁護士は「交渉中のため事実関係を含めてコメントできない」としている。同ユニオンの武藤貢執行委員長(71)は「全国的にみてもここまでひどい暴力はなく、明らかにいじめだ」と主張。団体交渉で解決しない場合は警察への被害届の提出や労働基準監督署への申告、訴訟なども視野に入れているという。【松室花実】

 

https://mainichi.jp/articles/20220117/k00/00m/040/133000c

 

 

これでもなを「ヒトには人間性が組み込まれているはずだ」などという御伽話を鵜呑みにするか

 

 

Ende;


学歴自慢

2022年01月17日 22時54分56秒 | 意識論関連

大学1年の時は仮面浪人をしようと、講義中に大学受験の参考書を持ち込んでいたほどです。多くはないですけど、周囲にも同じような人がいました。やはり国立大へのコンプレックスが強かったですね……。僕の地元では、卒業した私大はあまり知名度がなく、地元国公立大が『すごい』と思われる風潮があって、地元国立理系のいとこや親戚たちにマウントを取られるのが悔しかった」(Aさん)

 だが結局、仮面浪人は失敗に終わり、再受験は諦めたAさん。一流企業への就職で挽回しようと考えていたが、それでは根本的な「学歴問題」が解決しないと考え、自分の出身大学ではなく国立大学の大学院への進学を思いついたという。

----------------中略-----------------

 就職後にも「学歴ロンダリング」をいじられることがあった。慶應大院卒の上司が、Aさんを紹介する時に、「こいつ院だけ東大」「最終学歴は東大だけど、大学は違う」などと、わざわざ「大学院だけが東大」だという“いじり”を入れてきたそうだ。

 

「『学部は○○大なんです~、なんかすいません……』と苦笑いするのが定番の回答で、正直、面倒です。そもそも大学や大学院を人前でわざわざ言うことなのか疑問ですが、まるで『お前は東大を名乗るにふさわしくない』とでも言いたげで……。上司も僕と同じように、学歴コンプレックスがあるのかもしれません」(Aさん)

 

https://www.moneypost.jp/780065

学歴っていうのは他人と比較して自慢するためのものじゃないだろ

発想が幼稚過ぎて批判する気にもなんねぇよ

学歴で人間の価値が決まるわけでもないし そもそも学歴自慢なんぞしている幼稚さを公表しているようなもんだという客観的自覚はないのかね

こういう学歴が高いだけのバカしかいないから遺伝的進化における「典型的な間違い」が一向に訂正されないし イマヌエル:カントだのフリーリヒ:ニーチェだの養老孟司を鵜呑みにしているバカしかいない

 

 

Ende;


バカの幸福

2022年01月17日 14時30分20秒 | 意識論関連

子供の8割はイジメが起きていても傍観放置する

一般人の6割は権威の命令に服従して他人に危害を加える

SNS上では深層学習型ニューラルネットワークAIがヘイトスピーチを「正解データ」として認識してしまう程にヘイトスピーチが溢れかえっている

 

ヒトが主観的に安心満足だと感じるものには合理性は必要がない

主観的に安心な行動には 安全性の合理的根拠が伴う必要性がないのである

 

私が若い頃には まだ外国人というのは街中では珍しかったため 

副島淳みたいな子と街中で遭遇すると条件反射的無意識にビックリしてしまって 思わず二度見してしまったりすることがあった

これは単に見慣れていないからビックリしているだけであって 動物的な条件反射的行動に過ぎないので 他意はない

見慣れていないものは本能的に条件反射的に怖いだけなのだ

冷静に考えれば こうした自分のリアクションには意味がないことは 頭ではわかっていても ヒトという生物である以上は「つい」「うっかり」条件反射的無意識にビックリしていただけなのだ

しかし 近年はアフリカ系の人も街中で時折見かけるようになったこともあり 肌が真っ黒な人と至近距離ですれ違っても無用なリアクションはしなくなった

マスメディアで大坂なおみとか副島淳とか八村塁を見慣れてしまったので 違和感を感じなくなったというのも要素としてあるだろう

 

このようにヒトというのは慣れていないものには本能的に恐怖を感じてしまって 意味のない行動を促されてしまうことがある

自分の主観的感覚を 意識の本質だと勘違いしていれば 反射的恐怖感を短絡的に「危険」だと錯覚することは簡単である

簡単であるからこそ 人種差別のような理不尽で非合理な行動をするバカが後を絶たない

それは あたかも白衣を見ただけで泣きわめく幼児の行動とほとんど一緒である

 

ヒトは「多数で同じ」であることに対して主観的に安心する習性がある

多数のヒトが世間的成功を求めていれば 世間的成功こそが「人間として正しい」かのような錯覚を持つことも簡単である

簡単な傾向性に簡単に陥るからこそ「バカ」だと言える

「赤信号 皆で渡れば 怖くない」

逆に 怖いと主観的に感じてしまえば日大のような組織腐敗を告発することもできなくなる

ヒトは主観的に「怖い」ことは避けようとするものであり これはヒトが動物であることによる先天的情動バイアスによって促される本能的行動習性に依るものである

 

差別には色々あるが

女性は先天的に社会的ハンディキャップを負っている 月経などによって月のうち一週間くらいしか元気ではいられない上に 妊娠出産によって社会活動が制限されることもあるため 順天堂大学などでは女子受験生に対して一律に減点するという不公平な詐欺行為を平気で行っていた

平気とは 要するに「安心」して行えていたということであり 「安心」という主観的感覚によって非合理で不条理で不公平な詐欺行為が正当なことだと錯覚していたからこそ 一律減点などという卑劣な行為が教育機関で行われていたのである

ある企業では 社員の採用に人工知能を用いた際に 「正解データ」として過去の採用事例を用いた結果 過去の採用において女性の採用率が低かったことを「学習」する形で 「女性である」というだけで一律に採用バイアスが下げてしまう判定をしていたことが発覚し 採用にAIを用いることをやめたという事例がある

これは深層学習型ニューラルネットワークAIに限った話ではなく ヒトの「常識」の多くにも非合理で不条理な「常識」という名のバイアス(偏見)が存在しているからこそ 様々な差別が一向に改善しない大きな要因となっているのである

 

ハンセン病(癩病)患者に対する差別には 外見的な「見た目」に対する恐怖心も大きな要素を占めていたと言える

顔面の筋肉の形状を保つための神経が麻痺することによって 健康な「普通」の多数とは違うことに対する条件反射的無意識な恐怖心から 医学的には感染の危険性がなくなってなを隔離や断種といった非合理で不条理な差別が長年続いたのである

「普通」という「多数ではない」ものに対しての 条件反射的無意識な恐怖心によって 医学的には意味のない隔離政策が長年続いた大きな要因となったと言える

新型コロナウイルス感染者に対しても 非合理で不条理な差別が起きている

差別が差別として問題になるのは 差別の際に暴力的威圧を伴うからである

何せ自分の主観的感覚を絶対的なものだという自己過信が差別の原因である以上 「暴力で解決だ」という主観的報復懲罰感情をも鵜呑みにしてしまうから 暴力威圧による「解決」だけが「正義」になってしまうのである

 

肌の色が黒い人に対して 条件反射的無意識に「ビックリしてしまう」という自分の主観的(本能的)恐怖心というものを「絶対的に間違えることのない意識」だという自己に対する過信が働くことによって 黒人差別の大きな要因となる

繰り返すが そういった行動は「幼児が白衣を見て泣き喚く」のと同じ幼稚な判断である

 


「美人」の基準の一つに 「平均顔」というのがある

平均的な「普通」であることに対する安心感が 「美人」の一つの基準になりえるのである

「美人」とは 要するに「好き」な顔のことである

「美しい」と感じるのは主観であって 必ずしも全ての人が同じものに「美しい」と感じるわけではないが 多くの人が「美しい」と感じるものを「美しい」と共感していることこそが「正常」だという錯覚を促してしまうことによって 「醜い」と多くの人が感じてしまうと「異常」だと判定することで少数派差別の原因ともなる

ヒトという種の生物は 主観的に「美しい」と思ったことを短絡的に「正常」とか「安全」だと錯覚する習性があるため 論理客観的根拠もなく「特攻隊は英霊」などというラベリングを鵜呑みにするのである

「お国の為」とは 要するに「国益」のことであり 国益を優先するというのは単なる環境資源の奪い合いでしかない

自国の利益に供することなら 自分にも利益になり得るため 結局は「お国の為」とは「利己的利益追求」なのである

国や組織も含めて自分達が得になることは安心満足感がある その安心満足感こそが「美しい」という感覚を促すことで「特攻隊は英霊」というラベリングに疑問を持たなくなるのである

特攻隊は戦後に「荒れた」という

多数が「英霊」と称して尊敬した特攻自爆攻撃によって 世間からの評価が得られるものだという評価承認欲求による動機で特攻隊に志願しただけであって 別に社会的に特攻に合理的意味があるのかどうかといった主体的「考え」がなかったからこそ 敗戦によって突然世間的評価を失ったことに対する世間への報復感情によって特攻隊は「荒れた」のである

先日も東大赤門の前で障害事件が発生したが 犯人の動機は「東大に入って医者になりたかったが 学力が下がって絶望した」などというわけのわからぬものであった

「東大を卒業して医師になる」ことが世間的に最大の評価だという価値観だけが暴走し 「一体何のために医者になるのか」という主体的目的がないから放火だの無差別刺傷といった訳のわからぬ暴挙に出たのである

この犯人の親は謝罪文を公開しているが 一体どのような育て方をしていたのかについての詳細な説明をすることが重要である 謝罪は被害者の損失の回復にはならず 単に主観的に「謝罪したいから 謝罪している」という身勝手な満足でしかなく いうなれば「謝罪の押し売り」に過ぎない

この手のバカというのは 何年かに一度必ず出てくるものである

アメリカでも何度も銃乱射事件が繰り返されている

何度も何度も同じ様なバカげた犯罪が繰り返されるのは その根本原因を論理客観的に解明しておらず 刑法判決で「解決」だと制度上「片付け」られているためである

「(主観的に)思ったように世間多数からの評価が得られないことへの不満」から 世間に対する方向性も合理性もない無差別的報復懲罰(暴力)こそが「解決」だという錯覚によって バカはバカげた無差別攻撃をし始めるのである

だが こうした頭の悪さというものはグラデーションでありスペクトルであって 普通一般のヒトであっても何らかの頭の悪さに起因する差別的攻撃性は持っているものであって だからこそ梅沢富美男の「こんな奴は死刑にしちまえ」などという短絡的正義に衆愚人気が集まるのである

バカが考える形式(パターン)を どんなにたくさん集めてきても バカのままで構わない 多少バカであることが「正常」だの「健康」という話にはならない

養老孟司が「私は形式しか扱えない」と主張していたが 実際には「形式しか扱いたくない」という身勝手な我儘を まるで「解剖学者だから」などと称してこじつけただけであり 「形式」という「パターン」をいくら列挙しても そうした「数の論理」が「正常」であることの論証論拠には全くならない

「実証という名の神が許さない」などという話は 養老の「でっちあげ(根拠のない決め付け)」であり 実証に許す許さないという基準はなく 単に論理客観的な実証結果を提示するだけであり 実証は正義の観念を振り回して他人に多大な迷惑をかけるようなものではなく むしろ迷惑行為のメカニズム構造を解明することで実証不能のデマや嘘をフィックスする重要なものである

だが 衆愚一般のヒト達は こうした養老の「でっち上げ」を簡単に鵜呑みにし まるで科学的実証と宗教が同列であるかのような解釈をすることで何かを「わかった」ような錯覚に陥って主観的に満足したことを その気分の良さから「自分は頭が良くなった」と勝手に妄想して何も疑わなくなるのである

ヒトは 主観的に気分が良くなる「信じたい話」だけを信じていれば それで「自分の頭が良くなった」と錯覚する習性があるために バカが一向に治らない

 

 

 

Ende;


大型ブロア車

2022年01月17日 10時25分32秒 | 写真

荒川堤防で変わった消防車と遭遇したのだ

画像を開いてURLの末尾「?」以降を削除すると倍の大きさのオリジナルファイルが開くよ

 

東京消防庁本部所属の車両ではなくて 第六消防方面本部消防救助機動部隊(6HR:ハイパーレスキュー)に所属しているようである

第六消防方面本部消防救助機動部隊

江北橋周辺で時折特殊車両を見かけることがある

以前の記事

 

Ende;


津波?

2022年01月16日 11時43分32秒 | 日記

日本の高知県室戸で漁船が10隻転覆したり沈んだりしているのだが 観測潮位自体は90cmにも満たない

トンガから800キロ離れたフィジーでは 雷ような音が聴こえたそうで トンガ付近の噴火の衝撃波によるものらしい

フィジーでも津波は観測されているが 潮位自体は日本のそれとさして違わない

フィジーよりもトンガに近いサモアでは60cmしか潮位変化はないそうだ

日本の気象庁が言うには 「津波なのかどうかもわからない」んだそうで 「影響はない」から急に「津波警報」が発表されたり 混乱しているようである

トンガ現地からは「津波で車が浮いている」だとか「停電している」などの断片的な情報は来ているらしいので 被害はあるらしいが街が壊滅して情報が来ないわけではないらしい

トンガの大使館のTwitterも日本国内のニュースくらいしかリツイートしていない

 

深夜発表時の津波情報

 

Ende;


どかない

2022年01月15日 10時28分57秒 | 意識論関連

玉川徹がエスカレーターで「どかない」と言ったことに対し 衆愚は「冷静ではない」などという評価をする

衆愚は 「どけどけ」とばかりに無理やり追い抜いてくる危険で理不尽な行動を採る「怖い相手」に逆らわない自分の卑屈さを正当化したいがために 合理性のある「正しい行動」の方を「冷静ではない」ことにしておきたいのである

キレやすい「怖い相手」に逆らうと面倒なことになることは確かだが 面倒なことを避けてしまうことが人間として正しい行動であることの論拠にはならない

「ならぬものは ならぬ」と 悪いことに対して断固として対抗する意思や信念は 人間として必要である

何の信念も持たずにのらりくらりと嫌なことから逃げ出すとか 主観的に嫌いな相手を攻撃して満足するとか そういった衆愚特有の幼稚な行動を促す話の方が多数人気を得るのは必然ではあるが 正当なわけでも 人間として「正しい」わけでもない

自分が卑屈にも「怖い相手」に逆らわずに迎合し 危険で理不尽な行為を傍観放置することを正当化せんがために 「どかない」という正しい選択を主張した玉川の方を「冷静ではない」などと称して否定しておきたいのである

それをSNS上のエコーチェンバーで共鳴させておけば 気分的には安心して正しい行動選択を否定しておくことも可能になる

それは主観的には「安心」であろうが 社会安全性や公平性の観点からは全く非合理なものである

 

東京電力社内において 原発の津波に対する脆弱性を放置しておいた方が これからも自分が社内で働き続ける上において「安心」できたからこそ 原発の危険性は放置されたのである

日大の組織腐敗が放置され続けたのも 理事達という「怖い相手」に服従迎合している方が気分的に「安心」だったからこそ組織腐敗が温存され むしろ そういった卑屈な卑怯者の数の論理によって組織腐敗は助長されたのである

 

ヒトという種の生物は 自分にとって都合の良い行動の方を「正しい行動」「賢い行動」だと勝手に決め付けておいた方が安心満足なため 安心満足という主観によって身勝手な行動を正当化しようとするのである

それは極めて必然的なヒトの習性であるが これはあくまで「ヒトという種の生物の先天的な結果」でしかない

ヒトという種の生物が自律的な社会的責任判断よりも利己的判断の方を優先する傾向を利用すれば あたかも利己的判断こそが正しくて正常で「常識」的であるかのような錯覚に陥れることは簡単である

暴走族や暴力団同士が共鳴するのも 東電が原発の危険性を放置したのも 日大の組織腐敗も 全ては主観的な「安心」によって作り出されるものである

 

ヒトは物事を論理客観的に深く考えて 本当に正しい行動選択が何なのかを見極めようとはせずに

短絡的に都合の良い身勝手な判断だけで物事を判断するバカである

危険性を放置しておけば損害になるにも関わらず 目先の安心感を優先する形であらゆる悪事は傍観放置しようとするのがヒトである

それは かつて祖先が置かれた生息環境においては個体の生存にとって有利だったために起きた収斂進化の結果であって どんなに多数の身勝手さを陳列枚挙しても人間として「正常」な判断であることの論証にはならない

 

 

 


Ende;


厄介な可能性

2022年01月14日 23時18分24秒 | 日記

コロナウイルス -国立感染症研究所

コロナウイルスについてのお話

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新型コロナウイルスの追加接種(ブースター)について、欧州連合(EU)の専門機関、欧州医薬品庁(EMA)は1月11日、頻繁に繰り返すと人の免疫システムを弱らせる可能性があるとの見解を示した。

まだ「可能性」の段階ではあるが 一応注視しておいた方が良い情報

本当 コロナウイルスって厄介だわ

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「風邪」というのは「症候群(症状)」の事を指すので 病原体には様々なものがあるという

戸田ファミリア耳鼻咽喉科

それぞれの抗生物質は、服用する期間が決まっていて、どの種類でも10日前後は確実に服用する必要があります。症状がよくなったなど、自己判断で薬を飲むことをやめてしまうと、きちんと治りきっていないことで再発をしたり、急性糸球体腎炎(腎臓のっ病気)やリウマチ熱(心臓の病気)などの合併症を起こすことがあります処方された抗生剤は必ず飲み切るようにしましょう

耐性菌以外にも飲みきらないといけない理由があるんだね

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オミクロン株の重症化率が低いことは確かなようなのだが

あまりの感染力の強さ故に医療従事者が感染してしまったり 濃厚接触者扱いされることで 沖縄では既に治療に当たれなくなった医療従事者が1000人を超えたという

その上患者数もウナギのぼりで医療崩壊を起こしているという

コロナ患者だけでキャパシティがオーバーフローしてしまっていて 冬場に多い脳梗塞などの治療が間に合わなくなって 助けられるはずの患者が助けられない状態に陥っているそうだ

中等症患者が多いと誰が重症化するかわからないので人手が全然足りないという

マヂ卍(既に死語)

 

 

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落とし穴

2022年01月14日 20時02分35秒 | 意識論関連

落とし穴を知ることができる」(又吉直樹)

「落とし穴」という「失敗」を知ることによって 陥りやすい失敗を避けることができるようになる

 

 

己の欲せざる所は人に施すこと勿れ。(自分がされていやなことは、人にしてはいけません)

論語ですよ 孔子の言葉です

「私は教科書に墨を塗らされた」とか「自分の頭で考えるのは10年早い 丸暗記しろ」とか「迷惑な奴はザラにいる」とか

養老孟司とか宮台真司とか「へずまりゅう」は嫌じゃなかったんですかね

嫌だと思ったら他人にはしなければ良いんですよ

虐待をされて育った人が 自分の子供にも虐待を繰り返すのは 逆らえなかったという既成事実を事後正当化することで「自分はそういう育て方しかされていない」という言い逃れをするんですね

自分よりも序列順位が「上」と見なした相手の理不尽な命令に服従した過去を正当化してしまうから ヒトは嫌なことを連鎖するようになる

そういう「落とし穴」が ヒトには普遍的にあるんですよ

 

 

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タカシくんは楽しい気持ちになりました

2022年01月14日 18時02分41秒 | 意識論関連

なんだこの要領を得ない学習指導要領は

5,6年生向け道徳学習指導要領

 

ああしろこうしろと列挙した挙げ句に

「自己の生き方についての考えを一層深められるよう指導を工夫すること。」

などと現場に「工夫」を丸投げじゃねぇか

「自己の生き方についての考え」が薄っぺらなバカ役人が一体何を指導するつもりなのか 意味がわからない

内容のほとんどは主観的で抽象的な観念ばっかりで 大人にとって都合の良いよう子供を誘導したい「願望」の列挙に過ぎない

こんな意味不明で支離滅裂な「道徳」教育なんぞしているからイジメ差別もなくならないし いざイジメが起きれば教育者側が「死んだ被害者よりも 将来がある加害者の方が多数だ」などという言い逃れを平気でし始める始末である

ふざけてんのかと

なめてんのかと

もうツッコミどころが多すぎて どっから手をつけていいのかわかんねぇよ

 


1:主として自分自身に関すること。

(1) 生活習慣の大切さを知り,自分の生活を見直し,節度を守り節制に心掛ける。

(2) より高い目標を立て,希望と勇気をもってくじけないで努力する。

(3) 自由を大切にし,自律的で責任のある行動をする。

(4) 誠実に,明るい心で楽しく生活する。

(5) 真理を大切にし,進んで新しいものを求め,工夫して生活をよりよくする。

(6) 自分の特徴を知って,悪い所を改めよい所を積極的に伸ばす。

2:主として他の人とのかかわりに関すること。

(1) 時と場をわきまえて,礼儀正しく真心をもって接する。

(2) だれに対しても思いやりの心をもち,相手の立場に立って親切にする。

(3) 互いに信頼し,学び合って友情を深め,男女仲よく協力し助け合う。

(4) 謙虚な心をもち,広い心で自分と異なる意見や立場を大切にする。

(5) 日々の生活が人々の支え合いや助け合いで成り立っていることに感謝し,それにこたえる。

3:主として自然や崇高なものとのかかわりに関すること。

(1) 生命がかけがえのないものであることを知り,自他の生命を尊重する。

(2) 自然の偉大さを知り,自然環境を大切にする。

(3) 美しいものに感動する心や人間の力を超えたものに対する畏敬の念をもつ。

4:主として集団や社会とのかかわりに関すること。

(1) 公徳心をもって法やきまりを守り,自他の権利を大切にし進んで義務を果たす。

(2) だれに対しても差別をすることや偏見をもつことなく公正,公平にし,正義の実現に努める。

(3) 身近な集団に進んで参加し,自分の役割を自覚し,協力して主体的に責任を果たす。

(4) 働くことの意義を理解し,社会に奉仕する喜びを知って公共のために役に立つことをする。

(5) 父母,祖父母を敬愛し,家族の幸せを求めて,進んで役に立つことをする。

(6) 先生や学校の人々への敬愛を深め,みんなで協力し合いよりよい校風をつくる。

(7) 郷土や我が国の伝統と文化を大切にし,先人の努力を知り,郷土や国を愛する心をもつ。

(8) 外国の人々や文化を大切にする心をもち,日本人としての自覚をもって世界の人々と親善に努める。

 


「自由を大切にし,自律的で責任のある行動をする。」だとか言っているが 自律というのは強要されたら自律じゃねぇだろ

「誠実に,明るい心で楽しく生活する。」それも強要されるもんじゃねぇ

「真理を大切にし,進んで新しいものを求め,工夫して生活をよりよくする。」だとか言っているが 真理とはすなはち「本当のこと」であり 論理客観的根拠に基づいて見極めなければならないが その重要な部分が抜け落ちている

「新し」けりゃ何でもいいわけでもないし 「工夫して生活をよりよくする」なんてのは言われなくても誰もが求めているものだろ

「自分の特徴を知って,悪い所を改めよい所を積極的に伸ばす。」などと言っているが 先天的に文字が識別困難な生徒なら もはや改めることなど不可能であり 一律に平均的能力に揃えようとする文科省の身勝手な観念に他ならない 益川敏英は「嫌いなことや苦手なことはそんなにやらなくて良いから 好きなことや得意なことを伸ばした方が良い」と言っていたのである バカ文科省役人共の身勝手な観念に何の価値があると思っているのであろうか

「生命がかけがえのないものであることを知り,自他の生命を尊重する。」などと言っているが ヒトは誰しも必ず死ぬ運命にあるものであり ただ「生命を尊重」しているからこそ「死んだ被害者よりも 将来がある加害者の方が多数だ」などという屁理屈が出てきてしまうのである

「自然の偉大さを知り,自然環境を大切にする。」などと言っているが ほんの0.数%の二酸化炭素の増大だけでも大規模気候変動を引き起こすことがあり 自然というものは極めて微妙なバランスの上に成り立つ脆弱で儚い存在であるからこそ「大切に」しなければならないのであって 「偉大」などというのは主観的印象であって 到底客観的「真理」とは言えないものである

「美しいものに感動する心や人間の力を超えたものに対する畏敬の念をもつ。」などと言っているが 「美しいものに感動する」かどうかは完全に主観の問題であって 誰が何を「美しい」と思うかは他人から強要されるべきものではない

「人間の力を超えたものに対する畏敬の念」などという抽象概念を押し付けておいて「真理」もヘッタクレもあったものではない

「公徳心をもって法やきまりを守り,自他の権利を大切にし進んで義務を果たす。」などと言っているが 「公徳心」すなはち「規範意識」に則って機械手続き的に「法律やルールを遵守」しておけば良いというものではない

「進んで義務を果たす」といっても ナチス政権下のユダヤ人絶滅収容所における「義務を果たして」しまったからこそ非人道的行為に邁進したのである

「だれに対しても差別をすることや偏見をもつことなく公正,公平にし,正義の実現に努める。」というが 何が差別や偏見であるかを見極める能力について全く論じておらず 公平公正もスッタクレもあったものではない

「正義の実現」を振り回してしまうからこそ「私刑」などという身勝手で卑劣な行為も起きるのである

「身近な集団に進んで参加し,自分の役割を自覚し,協力して主体的に責任を果たす。」などと言っているが 「身近な集団」なら振り込め詐欺集団や暴力団や暴走族に「進んで参加参加し,自分の役割を自覚し,協力して主体的に責任を果た」されたら迷惑にしかならない

「父母,祖父母を敬愛し,家族の幸せを求めて,進んで役に立つことをする。」親族ばかりを優先すれば 公平性や公正性は後回しにされてしまう

「先生や学校の人々への敬愛を深め,みんなで協力し合いよりよい校風をつくる。」などと言っているが 校風を作るのは教師や親などの大人の義務であり 子供に丸投げするべきものではない

それこそ「死んだ被害者よりも 将来がある加害者の方が多数だ」などと言い出す教育者が悪い校風を作り上げる最大の原因である

「郷土や我が国の伝統と文化を大切にし,先人の努力を知り,郷土や国を愛する心をもつ。」などと強要されても「死んだ被害者よりも 将来がある加害者の方が多数だ」などという教師がいる国を 一体どうやって愛しろと言うのであろうか

完全に頭がおかしい

「希望と勇気をもってくじけないで」

「誠実に,明るい心で楽しく生活する。」

「思いやりの心」

「謙虚な心」

「感謝」

「偉大さ」

「感動」

「畏敬」

「公徳心」

「正義」

「敬愛」

これらは全部主観であって 真理を見分けるための論理客観性を蔑ろにする文科省のバカ役人共による「はぐらかし」に他ならない

「時と場をわきまえて,礼儀正しく真心をもって接する。」だけなら 法廷だけで「反省している風味」を装っていた「へずまりゅう」も正当化されてしまう

「挨拶」も同様で イジメなど 大人の見ていない場所で悪事を働いていても外見だけ善人を装うことは簡単であり 外見的な形式に過ぎない「礼儀」が人間性の論証には全くならない

挨拶などの外見的形式を装うことが苦手な生徒もいるのであって そんなことで生徒を評価するのはバカな大人の身勝手な観念でしかなく 外見的形式なんぞを鵜呑みにしているからこそ振り込め詐欺なんぞに引っかかるのである

法律やルールにさえ従っておけば社会問題が解決するわけではなく 何が本当に重要なのかという真理(本当の目的)を見極めるためには 個人の主観的印象や常識を疑う客観性が必要不可欠である

既存の刑法では犯罪の根源的原因究明や再発防止にはつながらないのであって 呆然と法令遵守だけしておけば問題解決になるわけではない

実際の道徳の教科書では 「タカシくんは 優しい気持ちになりました」などと大人にとって都合の良い身勝手なファンタジー妄想しか書かれてはいないのであり これはもはや「子供騙し」にすらなっていない

実際のイジメというものは 加害者が家庭内でのヒエラルキー(序列順位)が低く扱われていることを 学級内で正当化するための「憂さ晴らし」が原因であり 一度イジメが始まると集団内部でイジメ競争が価値観になってしまい より酷いイジメをすることこそが「正義」にすり替わってしまうことで暴走的に過激化が生ずるのである

8割の生徒が傍観放置するのも 自分が被害者になりたくないという利己的な「主観的感情」によるものであり むしろイジメを止めたりすれば「無駄なことをするバカだ」というレッテルを貼られてイジメの標的にされている正直者の方をバカ扱いするようになるのである

イジメなどというものは 別に目的があってやっているわけではなく 単に主観的に「楽しい」から無意識にやっているだけであって 「ヒトとは誰かを差別してイジメることが先天的に楽しいと感じる欠陥品である」という論理客観的事実(真理)を周知すべきなのである

同級生を自殺にまで追い込んでしまえば自尊心の回復は困難になり 「自分はどうせクソみたいな奴だ」という決め付けに満足し 虚無的感情論が優位になれば物事を論理客観的に検証して真理を求めることを放棄するようになるのである

文科省のバカ役人が勝手にでっち上げた「都合の良い子供像」に基づいた身勝手な道徳観を 論理的根拠もなく子供に押し付けているのが現状の道徳教育である

それは衆愚が「ヒトには先天的に人間性が組み込まれているはずだ」という身勝手な妄想ファンタジーを信じ込んでいるただの衆愚迎合的妄想に基づいたものである

イジメというものが どのような情動バイアスによって促されてしまうのかを 論理客観的にメカニズムを教え 過激化するプロセスを子供自身が理解していれば 無意識に集団心理に流されて誰も望んでいない結果に陥らないようにもできるはずである

危険学や失敗学というのは 失敗から学ぶためには失敗を正確に知る必要がある

成功例だけを押し付けておいても失敗からは学ぶことは出来ない

「タカシくんは優しい気持ちになりました」などという「お花畑」事例ではなく 「タカシくんは皆でヒロシくんをイジメていると楽しい気持ちになりました」という失敗事例を教えるべきなのである

ヒトの先天的危険性を教えないから バカみたいな無差別殺人まで起きることになる

ヒトは「自分だけは絶対に大丈夫だ」と錯覚させておいた方が衆愚人気を得ることは簡単である 養老孟司だの読書猿だのマルクス:ガブリエルの衆愚人気は 衆愚の論理客観的検証性を剥ぎ取ることで得ているものである

衆愚は「世界は存在しない」だの「客観的事実は存在しない」だのといった荒唐無稽なデマの方が脳が気持ちよくなる話を鵜呑みにしているから衆愚なのである

本当にヒトが過ちに陥らないようにするために必要なのは ヒトの危険性 ヒトの先天的欠陥について客観的事実を知ることである

「真理(本当のこと)」を見極め識別できないからこそ バカげた事象が何度も繰り返すことになるのである

「真理」を見極めるためには 主観との区別が大前提であり 「刑法罰で解決だ」などという衆愚の「正義」を放置しているから イジメや差別がなくならない根本原因となっているのである

 

 


Ende;


人間の証明(そんなタイトルの小説あったな)

2022年01月14日 00時50分45秒 | 意識論関連

自然界にいおいては 面倒臭い事態に陥ったら客観的に検証して合理的に解決するよりも 短絡的に暴力で解決する方が生存にとっては有利である

ヒトも含めて生物というものは暴力的解決の方が生存にとっては有利な環境においての収斂進化を経ているため 暴力的に物事を解決する行動バイアスが組み込まれているものである

生存そのものが「目的」ではない以上 生存にとって有利なことが合理的であることの論拠にはならない

個人の人生において最も重要なのは 単なる生存ではなく 「どのように生きるか」という選択にある

多数衆愚に阿って忖度して迎合同調服従忖度しておいた方が その場限りには気分的安心満足感は得られるであろうが その選択に人間としての尊厳がなければ自己を肯定することはできない

その人生に いかばかりの「意味」があるであろうか

「どう生きるか」とは すなはち「どう死ぬか」と同義である

野垂れ死にしてでも尊厳を守ることが人間としての「目的」であり

人間としての尊厳を棄ててまで生き延びても それは人間として生きる価値の論証にはならない

 

 


Ende;


先天的人間性という妄想

2022年01月14日 00時25分37秒 | 意識論関連

知識の「量」をひけらかして「俺は頭が良いんだ」と称して 他人が知らないことをバカにするバカは多い

また 知識の「量」だけひけらかして池上彰のように識者を装うことも簡単である

 

自分の頭でちょっと考えれば真実か間違いや嘘なのかが見分けられるにも関わらず 考えない奴こそが本当のバカなのである

イマヌエル:カントの「純粋理性批判」における「叡智界」には 論理客観的根拠がなにも示されていないにも関わらず それを指摘できなくても大学の「修士」はとれるものである

現状の哲学界というのは そういうデクノボウの集まりに過ぎないため 池上彰的に知識の「量」だけで偉そうにマウントをかけてくるバカしかいないのが原因である

 

「教わっていないことを知らない」だけなら それはバカではない それは「まだ知っていなかった」というだけのことであり 知るきっかけがなかったに過ぎず 知能のポテンシャルとは無関係である

だが 教わった内容が間違っているかどうか 論理客観的根拠を伴った論証であるのか それとも合理的根拠を伴わぬただの決め付けに過ぎないのかを判別できないからバカなのである

話を聞いてなを「わからない」なら それはそれで間違った判断ではないのだが 本当は何も論理的には理解していないのに気分的に安心満足したことで「わかったような感覚(錯覚)」に陥って嘘やデマを信じ込んでしまえばバカである

主観的感覚としての「印象」には 錯覚が伴う可能性が否定できない だから論理客観的根拠に基づいて真実かどうかを検証判断しなければならないのである

しかし ヒトという種の生物の主観的「印象」というものは 他の脳を持つ動物の情動と同じものであり 主観的「印象」を作り出す情動自体は大脳辺縁系は野獣のそれとほとんど一緒である

遺伝的進化の過程を鑑みれば その過程のほとんどはヒト以前の「祖先」の生息環境における収斂進化過程を経ているのであって 自然界における過酷な生存競争 他の種の生物を喰い 同種同士でも環境資源の奪い合いに勝ち残った生物の末裔が「ヒト」なのである

現代においてもミャンマー政府軍やアフガニスタンのタリバンのような野蛮行為が起きるのは 祖先から受け継いだ先天的本能習性によって促されている主観的情動や印象や気分を 意識の本質だと錯覚しているのが原因である


ヒトは誰一人として自らの意思で産まれてきた者はいない

自分の遺伝子は自分では選択不可能であり

自分が生まれ育ってきた社会や時代や親などの生育環境も選ぶことは出来ず その生育環境から刷り込み「学習」的に刷り込まれた価値観「常識」もまた選択不可能である

シエラレオネのゲリラの育てられれば残虐な行為が「常識」になるののも 太平洋戦争終結前の日本の「常識」に基づいた暴走も 本当はそうした「常識」には論理客観的根拠が何もなかったことにほとんど誰も気付かなかったという頭の悪さが根本原因である

 

ヒトという種の生物は 先天的にはバカである

だが 先天的(ハードウェア的)にバカであることを客観的に認識し 後天的(ソフトウェア的)にパッチを当てることは可能である

それが可能であることが ヒトとヒト以外との生物との最も大きな違いであり 優位性でもある

 

遺伝的進化というものは目的がない

だから進化の果てに絶滅しても何の不思議もない偶発的自然現象であって これを「賢い」と形容するのは遺伝的進化に対する「典型的な間違い」である

ヒトの個体 一人のヒトとして なぜ生き続ける必要性があるのかと言えば 生きていて楽しいからである

だから 楽しくないなら生きていても意味などない

それなら 全てを失ってなを生き続けている松永莉子パパが生き続ける意味はないかと言えば 逆に言えば「失った幸福な時間の記憶」があるからこその地獄でもある

松永利己パパにとっての「生き続ける意味」とは まだ残されている他の人達の「幸福な時間」を守ることであり そのささやかな「望み」だけである

地獄を感じるというのは 地獄ではない幸福状態を知っているからこそ地獄だと認識できるのであり 幸福状態を知らなければ地獄も感じることはない

「自分の方が不幸だ」などという他人との比較を基準にしているから「生きている意味がわからない」などと称して他人に方向性のない非合理な暴力によって報復感情を満たそうとするようになるのである

自分が生きている意味というのは自分で見つけるものであり 他人に生きている意味を求めたがるのは 他人からの評価でしか幸福を感じたことがないためである

他人から誉められることで何かを覚えたりできるようになるだけであれば 他人からそそのかされる事しかできなくなり 主体性を失うことで「生きている意味がわからない」不満を「他人の所為」にするため 方向性のない非合理な無差別殺人は行われるのである

「本当の目的」を見極められれば 松永莉子パパのように地獄であっても「生き続ける意味」も見出すことはできるのである

莉子パパが求めているのは「再発防止」である

「上級国民」の家にラクガキをしたり無言電話や抗議電話といった私刑(嫌がらせ)で満足しようとするのは再発防止にとって何の合理性もない「実証不能の観念の振り回し」にしかならない

「上級国民」が運転技能が衰えているにも関わらず 自分の運転能力を過信して運転を続けたことや 周囲の家族が忖度して止めなかったことが大きな要因である

このどちらも主観的気分によって客観性を後回しにしたためである

客観的に判断していれば 運転能力が低下していることを自覚することも 本人が自覚しなくても周囲の家族が止めることもできたはずである

原発事故の要因となった「組織の利益」として 上司からの「津波の影響を考慮に入れたら日本のどこにも原発は作れない」という非合理な観念を受け入れてしまったのも 上司の顔色を窺った「忖度」によるものである

怖い相手 ヒステリックに非合理な拒絶してくるパワハラ野郎に対して合理的で正当な批判をするのは気分(主観)的に嫌なものである

玉川徹がエスカレーターで「どかない」と言ったことに対して「冷静ではない」などと称して非合理で理不尽な行動を傍観放置したがるのも 「どけどけ」とばかりにエスカレーターで追い抜いてくる威圧的なバカに卑屈に阿(おもね)ることを正当化するためである

「怖い」という主観的感情を優先することで 衆愚は論理客観的に合理性のある行動選択を自律的にすることを放棄するようになるのである

ヒトという種の生物は 先天的行動バイアスとしては社会的責任を優先するようには出来ておらず あくまで主観的に安心満足ができる行動に流されがちなものなのである

そういう人間としての欠陥を ヒトは先天的に持っているものなのである

にも関わらず「ヒトには先天的に人間性が組み込まれているはずだ」などという論理的根拠のない山極寿一のデマをマスコミ衆愚は満足して鵜呑みにするのである

人間性というものはヒトでありさえすれば発揮できるわけではなく 後天的に自分から「何が本当の人間性なのか」を区別できてこそ発揮すること「も」可能となるのである

 

 


Ende;