野獣というのは凶暴である
過酷な自然環境の中における生存競争に勝ち抜いた生物への収斂進化が起きた結果だからであり
自然環境化では凶暴でないと生き抜くことができない
草食動物であっても凶暴性というのはあって むしろ同種同士でのメスの取り合いでド突き合ったりする
自分よりも弱い相手に暴力を振るい メスを独占する欲望を満たす
しかし これは別に「強い遺伝子を遺そう」といった意図目的戦略に基づいて能動的に選択した習性ではなく 独占欲の強い暴力的なオスの行動習性が結果的に強い個体への収斂を引き起こした「結果」でしかなく 結果に対する必然性はあっても 目的や合理性があるわけではない
オスはメスとの交尾をしたがる習性はあるものの 別に子供を育てるとは限らず ヤリっぱなしでメスにワンオペ育児を丸投げする種の方が圧倒的に多い たまに例外はあるものの それは環境依存性のものであって あらゆる先天的本能習性や形質は全て環境依存的結果以上の意味はない
ヒトにおいても「誰彼構わずヤリまくりたい」という行動習性は見られても 育児に積極的に参加する男というのは稀であり それは先天的にはヒトの男は育児をする本能的習性があまりないからである
生涯一人の女性にしか興味を持たない誠実な男よりも 誰彼構わずヤリまくる不誠実な男の方が遺伝子が遺り易いため ヒトの男は浮気をする先天的本能習性を持った個体種への収斂進化が促されているのである
女性がどんなに月経の痛みを我慢しても 後天的苦しみが先天的遺伝に影響を及ぼすメカニズムがないのと同様
男がどんなに不条理で非合理な先天的本能習性を持っているとしても 後天的な迷惑行為は先天的遺伝には影響しないのである
むしろ 暴力的な男への恐怖心による脈拍や呼吸数の上昇から 「吊橋効果」的錯覚を促されてDV男を「好き」だと勘違いして自分からDV男と繁殖してしまうバカでもある
ヒトという種の生物のハードウェアとしての先天的本能習性というものは変えようがないが 後天的に理性を働かせてソフトウェアとしての修正パッチを当てることは可能である
世間的評価欲しさに「東大に入って医者になりたかった」のに 学力成績が下がって絶望して放火や刺傷事件を引き起こしたりするのは 学力成績がいくら高くでも理性が働かなくなっているからである
サルにエサを与えて芸を仕込めば 様々な芸を「学習」してくれるものの 芸をしたのにエサが貰えなければ怒り狂って暴れるだけである
日光いろは坂のサルにエサを与えてしまうと エサが貰えることが「常識」として「学習」されてしまうために 思ったようにエサが貰えないとヒトを襲撃するようになるのである
自然界においては 暴力的凶暴性は生存にとって有利に働くことが多い
自分よりも弱そうな相手を喰うことや 自分よりも弱そうな仲間を蹴落として環境資源や交尾相手を独占した方が 繁殖を継続する上においては有利に働いた収斂進化の必然的結果である
イジメや差別も同様で 社会的負担になりそうな弱そうな相手を排除し 自分よりも強そうな相手に媚び諂(へつら)い阿(おもね)り忖度して服従することで 結果的に統率的協調行動を採れることへの快楽が 民族浄化のバイアスとして働くことで ヒトは先天的にイジメや差別をすると「楽しい」のである
差別排除に「楽しい」と感じられるからこそ差別排除が促されるのであり 差別排除が促される個体種への収斂の結果として 差別排除が「楽しい」と感じる個体種への収斂進化が引き起こされたのである
ヒトという生物種には 別に「人間になろう」といった目的があるわけではなく 偶発的に「人間性とは何か」を考えること「も」可能になっただけであって ヒトの先天的本能習性に人間性など組み込まれてはいないのである
マトモに物事を「考え」られれば こうした先天的本能習性には合理性がないことを鑑みて社会的にも合理性のある行動選択をすること「も」可能ではあるが
バカだと欲望のままに順位序列を他人に押し付け 周囲の環境に流されるがままにイジメや組織腐敗に加担したり 傍観放置したりするのが「ヒト」という種の生物の普遍的習性というものである
既に存在している自己の先天的ハードウェアとしての本能習性の中から 合理性のある「人間」としての行動を選択するというソフトウェア的修正パッチを働かせることは不可能ではない
その意味においては「一切衆生皆成仏」だとも言えるのである
知らんけど
「欲望自体を欲することはできない」が 「どの欲望を優先するのかは選択可能」である
それができないからイジメや無差別刺傷事件なんぞを引き起こすようなバカになるのである
バカのままでいるか
それともバカから脱却しようとするか
その違いは「意識(客観的論理検証性:理性)」の有無によるものである
Ende;