ビッグサイトでやってた文具とかの展示会で、「アンジュ」っていう会社のブースがあったんだけど、名刺交換したら商品カタログを送ってきた。
んで、ふぅーんとか見てたら姪が来たので見せたら「えなにこれちょーかわいい。」とかいって食いついてきた。結局カタログは持って帰ってしまった。
以前、紫外線硬化エポキシ樹脂について紹介したことがあるんだけど、もう一度。
http://www.ange-pro.co.jp/d_catalog/index.html#8
ちっちゃな容器で¥1500くらいするので、透明ポリエステルなんかと比べると結構高い。けど計量撹拌とかしなくていいので、まるで木工用ボンドみたいに使えるのでゴミも出なくて扱い易いと思う。うっかりこぼしても紫外線で固まってしまうので、いつまでもベトベトしなくていいし。
泡が入っちゃってもドライヤーで熱すると粘性が下がって泡が割れるそうです。
紫外線で固まるので、日光が入る場所とか蛍光灯の下では作業中に固まってしまうのでダメなんですが、紫外線さえ当たらなければ基本的にずっと固まらないので作業に焦らなくて済みます。
透明でちっちゃいものをつくるには良さそうな樹脂です。
古い写真用レンズの中には、バルサム張り合わせが剥がれてしまうことがあるんだけど、これを使えば再接着することも可能なのかな。光軸を合わせるのが難しそうだけど。
んで、ふぅーんとか見てたら姪が来たので見せたら「えなにこれちょーかわいい。」とかいって食いついてきた。結局カタログは持って帰ってしまった。
以前、紫外線硬化エポキシ樹脂について紹介したことがあるんだけど、もう一度。
http://www.ange-pro.co.jp/d_catalog/index.html#8
ちっちゃな容器で¥1500くらいするので、透明ポリエステルなんかと比べると結構高い。けど計量撹拌とかしなくていいので、まるで木工用ボンドみたいに使えるのでゴミも出なくて扱い易いと思う。うっかりこぼしても紫外線で固まってしまうので、いつまでもベトベトしなくていいし。
泡が入っちゃってもドライヤーで熱すると粘性が下がって泡が割れるそうです。
紫外線で固まるので、日光が入る場所とか蛍光灯の下では作業中に固まってしまうのでダメなんですが、紫外線さえ当たらなければ基本的にずっと固まらないので作業に焦らなくて済みます。
透明でちっちゃいものをつくるには良さそうな樹脂です。
古い写真用レンズの中には、バルサム張り合わせが剥がれてしまうことがあるんだけど、これを使えば再接着することも可能なのかな。光軸を合わせるのが難しそうだけど。
社会の幸福というのは、あくまで個人の幸福の総和であって。個人の幸福を無視して社会の幸福などというものは成立し得ない。
何をしているのが幸福なのかは人それぞれであり、他人との比較からは個人の幸福は抽出することはできない。
なぜなら幸福を感じる脳自体が個体差に依って全て異なるからである。
細かくて地道な作業が好きな人もいれば、力仕事で汗を流すのが好きな人もいる。暑いのが苦手な人もいれば、寒いのは平気という人もいる。これは同じか。
とにかく枚挙していけばキリがないが、人というのは好みがそれぞれなのである。
「社会的成功。」というものは個人的な好みとは無関係なものである。ところがヒトという種の生物には習性としての「社会性。」が存在するために。個人の主体的幸福よりも他人との比較に由来する競争心、順位欲によって「社会的成功。」に意識を奪われる傾向習性がある。
「だって、みなさんお金が欲しいでしょ。」とはホリエモンの迷言である。何のためにお金が欲しいのかを考えずに、ただ漫然と金を欲しがるのは、そこに合理的思考が存在していないからである。
お金がたくさんあれば、生活上の気分的安心を得られるであろう。だがそれは気分の問題であって、合理性に基づいた「考え」ではない。
潤沢にお金があって、それで何をするのか。何も考えないヒトであれば、「寝て暮らす。」ということになるだろう。そんなに「寝ていたい。」のであれば死ねば永遠に「寝て。」いられるのである。
脳というのは本能的に定常安定状態を欲するようにできている。ドーパミンが作り出す「常習性」というのは、生物生存における結果的に組み込まれてしまった本能習性だからである。
金が潤沢にあり、なをかつ生存し続ける状態において。一体何をすることが自己の生存において「意味。」を持つであろう。
結局は「個人的に好きなことに熱中する。」ことになるのである。本当は「寝て暮らす。」ことなど誰もしたくはない。酒で意識を失うことばかり考えてしまうのは、個人的に好きなことには意味がないと思い込んでいるからである。
人はいつか必ず死ぬ、「ヒトの死亡率は100%」であり、今のところ100年程度以上生き続けているヒトはいない。
死に臨して、酒に溺れて寝て暮らした者が幸福な人生であったと思えるであろうか。実際にはこういう者のほとんど全員は生気のない魚の腐ったような表情をして、他人の悪口ばかりを並べているのである。
それに対して、自分の好きな研究などに没頭して暮らしている人はどうであろう。歳をとっても元気で意欲的に研究を続けているではないか。
自分が死ぬまでに、どうありたいか。その自己の最も大局的な選択こそが人格を作り出すのである。
目先の快楽に流されるというのは、「自由」ではない。
既に存在する自己の無意識本能に流されていることが最も不自由なのである。
自己の本能というものを自由に制御できること、それが本当の自由というものなのである。
何かちょっと格言風味で嫌だな。簡潔に言うとどうしても格言風味になっちゃうのよね。
わかりやすいからいいか。
何をしているのが幸福なのかは人それぞれであり、他人との比較からは個人の幸福は抽出することはできない。
なぜなら幸福を感じる脳自体が個体差に依って全て異なるからである。
細かくて地道な作業が好きな人もいれば、力仕事で汗を流すのが好きな人もいる。暑いのが苦手な人もいれば、寒いのは平気という人もいる。これは同じか。
とにかく枚挙していけばキリがないが、人というのは好みがそれぞれなのである。
「社会的成功。」というものは個人的な好みとは無関係なものである。ところがヒトという種の生物には習性としての「社会性。」が存在するために。個人の主体的幸福よりも他人との比較に由来する競争心、順位欲によって「社会的成功。」に意識を奪われる傾向習性がある。
「だって、みなさんお金が欲しいでしょ。」とはホリエモンの迷言である。何のためにお金が欲しいのかを考えずに、ただ漫然と金を欲しがるのは、そこに合理的思考が存在していないからである。
お金がたくさんあれば、生活上の気分的安心を得られるであろう。だがそれは気分の問題であって、合理性に基づいた「考え」ではない。
潤沢にお金があって、それで何をするのか。何も考えないヒトであれば、「寝て暮らす。」ということになるだろう。そんなに「寝ていたい。」のであれば死ねば永遠に「寝て。」いられるのである。
脳というのは本能的に定常安定状態を欲するようにできている。ドーパミンが作り出す「常習性」というのは、生物生存における結果的に組み込まれてしまった本能習性だからである。
金が潤沢にあり、なをかつ生存し続ける状態において。一体何をすることが自己の生存において「意味。」を持つであろう。
結局は「個人的に好きなことに熱中する。」ことになるのである。本当は「寝て暮らす。」ことなど誰もしたくはない。酒で意識を失うことばかり考えてしまうのは、個人的に好きなことには意味がないと思い込んでいるからである。
人はいつか必ず死ぬ、「ヒトの死亡率は100%」であり、今のところ100年程度以上生き続けているヒトはいない。
死に臨して、酒に溺れて寝て暮らした者が幸福な人生であったと思えるであろうか。実際にはこういう者のほとんど全員は生気のない魚の腐ったような表情をして、他人の悪口ばかりを並べているのである。
それに対して、自分の好きな研究などに没頭して暮らしている人はどうであろう。歳をとっても元気で意欲的に研究を続けているではないか。
自分が死ぬまでに、どうありたいか。その自己の最も大局的な選択こそが人格を作り出すのである。
目先の快楽に流されるというのは、「自由」ではない。
既に存在する自己の無意識本能に流されていることが最も不自由なのである。
自己の本能というものを自由に制御できること、それが本当の自由というものなのである。
何かちょっと格言風味で嫌だな。簡潔に言うとどうしても格言風味になっちゃうのよね。
わかりやすいからいいか。
文字化けってたまにある。

なんとかならんのかね。
文章自体から文字コードを予測するとか出来るんじゃないのかね。
文字が化けている時特有の傾向性ってないのかね。
ブラウザ変えても化けっぱなしだとどうにもならん。

なんとかならんのかね。
文章自体から文字コードを予測するとか出来るんじゃないのかね。
文字が化けている時特有の傾向性ってないのかね。
ブラウザ変えても化けっぱなしだとどうにもならん。