統率的協調性というものは必ずしも人間性に適するわけではない
協調性というものは同調性や迎合性も含まれており むしろ個人の自律的な社会的判断選択を阻害する性質でもある
「敵」とみなした対象を 集団で協調的に攻撃することで仲間意識(無意識な行動バイアス)という感覚的快楽を醸成することができる
こうした仲間意識(先天的快楽)というものには中毒性があり その中毒性ゆえに暴走の原因ともなる
ヒトがなぜ 実証不能の観念を振り回し他人に多大な迷惑をかけるのかと言えば そもそも実証不能の観念とは先天的本能習性によって促される行動バイアス(快楽)が作り出すものであり それゆえ極めて動物的な野蛮性をも持ち合わせているからである
学級内や職場でのイジメや ヘイトスピーチ ISILやオウム真理教によるテロなど これらに共通するのは統率的協調性に対する快楽への中毒であり 個人が自律的な社会的責任判断を放棄出来るという無責任さを促すことが可能だからである
ヒトは 誰かの命令に唯々諾々と従っていた方が気分が楽なのである
自分で行動選択に責任を負い 多数他人に迎合せずに自律的に「どうすべきか」を選択することは ヒトという種の生物には先天的習性として組み込まれてはいないからである
自律的判断を行う理性や客観性というものは先天的なものではなく むしろ環境によって後天的に発揮するかどうかが大きく左右される性質のものでもある
幼児期から虐待されて育った子供が 大人になって自分の子供に対しても同じように虐待を繰り返し連鎖するのも その行動を自己検証する客観性や理性が働かなくなっていることが大きな要因である
自分が親から虐待されて育った事実を認知的不協和的に解消するためには 虐待行動は正当化しなければ「気分的にやってられない」からである
主観的な気分や感覚が優先することによって 自己客観性というものが失われるのであり 客観性がなければ理性も働くことはない
理性が働かなければ無意味な因習の類いであっても漫然且つ必死になって継続しようとする
伝統だの文化だのに異常な執着や正当化をしたがるジャレド:ダイアモンドやダニエル:デネットといった保守的生物学者や哲学者達は「ヒトという種の生物は先天的に常に正しい行動しかしない」という進化万能論という非科学的妄想に基づいた観念に囚われており 気分的安心と論理的安全性を完全に取り違えている
文明から隔絶された原住民の文化や伝統というものは 要するに「結果的に絶滅せずに済んだ」集団に遺された文化や伝統だからこそ上手く機能しているのであって 文明から隔絶された原住民の全てが常に平和であるわけではなく 人肉を喰らう集団や 割礼(幼女の性器を切り取り縫合する)を行う「文化」や「伝統」というのも実在しているのである
たまたま平和な集団だけを都合よく抽出してきて あたかも「文化や伝統の全てが常に正しい結果をもたらす」かのように解釈するのは もはや科学でも何でもないオカルト宗教である
遺伝的進化というものは あくまで「膨大な失敗」の上に成り立つものであって 「進化にまかせておけば全てうまくゆく」などというのは 「うまくいっている結果」だけを抽出したこじつけに過ぎない
伝統などと称して機械手続き的に「これさえやっときゃ 全ては解決」という妄想を促しておけば バカな大衆の多くはその場限りに気分的に安心満足し そこに普遍的な論理的根拠に基づいた安全性が存在するのかどうかは誰も考えなくなるのである
伝統的手続きさえこなしておけば ヒトは安心する
永く続いていることというのは それだけで気分的安心という中毒を促すからである
しかし その気分的安心という中毒こそが個人から自律的な論理的安全性の追求を喪失させるのである
断片的 且つ一面的な結果だけを都合よく抽出してきて あたかも文化や伝統の全てが常に正しい結果しかもたらさないかのように言い張るジャレド:ダイアモンドらは もはや老害と言う他ない
Ende;