正面に向かって左側の壁面
「日本青年館」金文字が美しい。
東京に来た当初、中央線にのり千駄ヶ谷付近になるとこの文字が
見えることがとっても印象的でした。
日本青年館て何だろうと思ったものです。
写真左上:正面入り口を示すロゴ、金文字と合わない気がするけど面白い。
右上:正面から見て右側の壁面、おしゃれなオープンcafeができてる。
前からあったかな?
下:フロントのある正面から見た外苑の緑
ひめのさんがここへ宿泊して上階から撮った
野球場の外野席の写真は面白いですね。
サッカーや野球が行われているとき観客が
いっぱいの写真だったらもっと面白いですね。
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また、いきたくなってきました。
なつかしい。東京なのに、田舎臭くて。
ほんとうにね、なつかしい香りがするんですよねえ。十四畳と八畳くらいの二間続きの広い部屋のまんなかに、前田先生と岡田麗さんの三人でふとんをしいて寝たことをふっときのうのことのように思い出します。
落武者の霊ではないけど、残留孤児の思いが残っていて、それが移ったような気分がしました。
あの色とかたちの若々しいロゴ、残したのですね。
きれいですものね。おしゃれだし。
だってさ、周辺が一等地だもの。
神宮の森に青山通り、明治神宮。
昨日一緒に仕事してるTさんが、この建物の
前身を知っているといわれました。
相当古い話。
(農協って、とってもお金持ちです。そのことに農協自身は無自覚かもしれませんが。
一等地にたくさん事務所構えている。とうきょうにもあるんだろうかな、農協、JAは?)
昨夜エヌエッチケイの戦争証言特集をみた。共食いの記憶や忘れられぬ罪の記憶。その映像をとって数か月後に亡くなった人の証言もとられていた。
とはいえ、日本はすごいのかもしれません。
七十年近くも戦争をやっていないのですから。
それは、地道にこういう番組を撮り続けたり、毎夏かならずやる、終戦記念日特集の戦争番組なども一役買っているのかもしれませんね。
サボってた家事をこなしつつ、ごろごろしていたのですが、昼、そこまで言って委員会を超久しぶりにみました。
すると皇室特集をやっていて、最近の雅子さま&皇太子一家があまりにも問題ありで、隠せない、かばえないラインを超したと。
ゲストがいろんな意見をおっしゃったのですが、デヴィ夫人のあからさまな意見は、とうてい日本人には受け入れがたいものでしたが、しかし、誰かが口にだしていうべきものであると思える意見で、その点ではデヴィさんというお方は適任だと感心しました。
共感をおぼえたのは、もっとも年長者とおぼしき学者さんの意見で、廃太子にするとかあきしのみやに譲位すべきとか、そんなことは滅相もない話で、千年も続いてきた制度であれば、長い視点で考えるべきことだと。大正時代だって病弱の天皇を支えてのりきった。そのおかげで昭和があるんですから、と。
昔、大学の教授が設計をしたという関係で、このホールを安く借りる事が出来たようです。我々はここで合唱とオーケストラの演奏会をやっていました。柱はロココ風になって居たように思います。客席の後方に柱が二本立っており、そこから後ろの席からは舞台が良く見えないと云う不思議な構造でした。二階席を支えていたのかも知れません。当時既に全体が古臭く、白い壁も薄汚れていました。客席数は700-1,000人位で、当時の我々にとって手頃な大きさでした。ホテル部も全体がくすんだ感じで、どんな方が泊まるのかなと、不思議な感じがしていました。その後間もなく改築されたようです。
Tさんの話は、それが古くて薄汚れたころ昭和50年代のお話です。
日本青年館
泊まりに行ってもいいよ~。
昨日の今日ということばがありますが。
さきほどかささぎの旗へおみえになった方、十六夜さんとおっしゃる方がコメントを寄せて下さったのですが、特攻隊だった伯父様、岡部三郎とおっしゃる方をネットで検索していましたら、なんということ。ここが出てきたではありませんか。。。。
はりつけますので、どうぞ読まれてください。