文庫 麦わら帽子

自作小説文庫

緑の指と魔女の糸 舞台版 『巡る季節』

2018-09-24 | 小説 緑の指と魔女の糸 シ


 第一幕  第1場  紫と凛のアパート
              

 
 真夜中。ハッとして目覚める紫。酷い痣が広がった腕が痛む。
 目が覚めたのはその所為ばかりではない。嫌な予感がした。

 紫  嫌だ…、近づいてくる…、もうすぐそこにいる…。
 命  (眠たげに身を起こしながら)どうしました、紫殿。
 紫  いいえ。何でもない。心配しないで。凜が起きちゃう。

 命がいぶかしげに、紫から目を離さない。

 紫  貴方には隠しようがないわね。云っておくわ。私に何かあったら、
    凜を護って。この子は私を護ろうとするでしょう。でも止めて。
    万が一の時は、高尾山の宝山殿を頼ってね…。
 命  万が一とは…?
 紫  (力なく笑い)…万が一よ…。あのひとは、ここを見つけてしまった…。




 第一幕  第2場  小学校 昼休み

 凛と夏ちゃんが、日課のように続けている、テコンドーの稽古試合。
 その白熱ぶりに、もはや、誰も口も手も出せなくなっている。
 凛は攻めの一手。夏ちゃんは防御で精一杯の様子。

 夏ちゃん  凛! 少し手加減しろ。いくら俺だって、当たれば痛いよ!
 凛     夏川先輩、手加減はなしッス! 本気で攻めて来て下さい!
 友人1   毎日よくやるよ。明らかに凛の方が強くなってるな。
 友人2   凛のやつ、何をむきになってるんだ?

 ふたりの様子を立ち止まって見ているのは、百合亜だ。しかし、声はかけずに行ってしまう。

 百合亜   もうあの子は、私のアンじゃなくなった。

 舞台中に響くふたりの掛けあいの声。
 空気を切る音が、戦闘の激しさを物語っている。




 第一幕 第3場  町の不動産会社



 社員の猫平が、紫に恭しくお茶を淹れている。元気のない彼女が気にかかる様子。
 実際、紫は憔悴しきって、椅子に座っている。

 
 猫平  不審者のことは、警察にも相談しておくべきですよ。
     しかし、警察は事件が起きてからじゃないと中々動かないしなあ。
     ああ、でも、この商店街の交番のお巡りさんは熱血漢で頼りになりますよ。
     僕からも話をしておきますから、そんなに心配しないで下さいよ。

 紫   お願いします。それで、くれぐれも、私たちの居場所を尋ねてくるような人がいて 
     も、教えないで欲しいんです。
     急な用事だとか、親戚の者だとか、そう云っても絶対に。

 猫平  大丈夫ですよ。その時は、すぐ紫さんに連絡しますから。

 紫   ここは、観光スポットでもないし、
     ここに住んでいる人以外の人間が通ればすぐわかりますよね。

 猫平  僕は一目でわかります。その時は注意して、紫さんに知らせますから。
     それで安心するでしょう? 紫さん、心配しすぎですよ。

 何を心配しているのか。誰が彼女を怯えさせているのか、聞くに聞けない猫平。      
 それ程、彼女には深刻な事情がありそうだったのだ。

 紫   何も聞かないんですね。

 猫平  話したくなったら話して下さい。

 ありがとう。そう云って、紫は店を出て行った。
 夕刻。舞台はオレンジ色の光で満たされる。
 紫は、子供たちを迎えに、小学校の方面へ歩き出す。
 その肩を、誰かが叩く。振り返る紫の顔から、血の気が引いてゆく。
 黒い影が、彼女に張りつくように立っていた。
 場内に響く男の声。
 何を怯えているんだい、ユカリ。

 

 暗転。




 第一幕  第4場  草原のリゾート地 ペンション蒼 1989年



 夏の草原。                 
 バイト先のペンションで、客室を掃除する紫。
 見た目は変わらないが、長い髪をお下げに結っている。
 その姿を目で追う、阿久津の姿。


 阿久津  七字さんはよく働くね。
 紫    私、お金を貯めてオーストラリアに行くの。
 阿久津  コアラに会いに?
 紫    ワーキングホリデーよ。パースに行きたいの。
 阿久津  へえ。そんな女の子初めて見たよ。
 紫    家から離れたいんだ。厳しい家だから、息が詰まってしまって…
 阿久津  …俺も、似たようなものだよ。だからここへ逃げてきた。カッコ悪いだろ?
 紫    そんなことないよ。

 ふたり、顔を合わせて笑う。似た者同士なのかな。どちらからともなく云う。
 ふたりの距離が、季節に重なるように、徐々に縮まってゆく。
 夏から秋へ。舞台に赤い紅葉の影が回転する。手を繋いで歩くふたり。
 秋から冬へ。白い光が舞い落ちる。はしゃいで笑い合うふたり。
 冬から春へ。ピンク色の花びらが散ってゆく。
 もうふたりは、立派な恋人同士だった。

 阿久津  お金は溜まった?
 紫    うん。もういつでも旅立てるわ。
 阿久津  じゃあ、これでお別れ?

 紫は、ハッとして阿久津を見る。当然彼もついてきてくれると思っていた。

      私と、来てくれないの?
 阿久津  一緒には行けない。事情があって。親が病気で、仕送りしていたからお金もないし。

 うつむくふたり。紫が、舞台の前方に歩み出る。

 紫    家を捨てて、ひとりでここまで来た。
      もう少しだけ、もう少しだけ、一緒にいたい。
      一緒にいるのが、当たり前になっていた。
      初めて愛したひとだった…。どうしたらいいんだろう。

 阿久津  初めて、真剣に人を好きになった。離れたくないよ。
 紫    私も、初めて。こんなに優しい人に出会えた。離れたくない。
 阿久津  海外に逃げなくても、いいじゃないか。ふたりで何処かで静かに暮らそう。
      家からは、俺が護ってあげる。
      ふたりで、何処かに行こう。
 紫    …うん。

 ふたりは、巡る季節のなかで、抱き合った。

 

 暗転



 第二幕  第1場  小さなアパート

 子供を授かる紫。
 仕事をしている阿久津だが、時折帰りが遅くなる。

 紫    この頃、残業が多いよね。
 阿久津  子供が産まれるんだ。俺が頑張らなきゃ仕方ないだろう。それに、
      親にも金を送らなきゃ。
 紫    赤ちゃんが産まれるんだから、一度ご挨拶に伺いたいわ。
 阿久津  今はまだいい。それより、金がいる。紫、少し貸してくれない?
 紫    え…?
 阿久津  パースに行くのに貯めた金があるだろう? 必ず返すから。

 紫の不安が強くなってゆく。
 真夜中。今夜も、阿久津は帰って来ない。
 電話が鳴る。彼からだ。

 阿久津   急で申し訳ない。親が手術を受ける。数日帰れない。金がいる。
       振り込んでもらえる?
 紫     その話も少しおかしいよ。何故、ご両親に会わせてくれないの?
 阿久津   それはお互い様だろう?

 ふたりの間で、容赦なく時間が流れてゆく。
 雪嵐。吹雪く風の音の中、ひとりでいる紫。
 花嵐。舞い上がる花片のなかで、ひとり大きなお腹を抱えている。
 夏疾風。舞台の後方から、弱々しい赤ん坊の産声が聞こえてくる。
 紫は、ひとりで凜を産んだ。その頃の阿久津は、理由も云わずに戻らない事が
 当たり前になっていた。

 紫 あの人は、何かを隠してる…


暗転



 第二幕  第2場  小さなアパート 一年後


 疲れた様子で帰ってくる阿久津。
 凜は一歳になっている。
 紫は、もう彼の顔を見ようとさえしない。

 阿久津   また、金が必要になった。悪いけど、紫…
 紫     パースに行く為の資金は底を尽いたし、今月の家賃も払えない状態よ。
       貴方は、何をしているの。

 しばらく逡巡した後

 阿久津   借金をしているんだ。ごめん。ずっと、パチンコしていて。
 紫     パチンコ? 仕事は?
 阿久津   仕事するより稼げていたんだ。でも、段々、出なくなって…
 紫     仕事はしていなかったの?
 阿久津   ごめん。
 紫     もしかして、親御さんが病気っていうのも…
 阿久津   嘘なんだ、ごめん。

 紫は、言葉を失った。
 彼に対する全幅の信頼も、パースの夢も、未来の希望も、幸福な瞬間も、
 全てそんな下らないものに奪われてしまっていたのだ…。

 阿久津にはまだ云う事があった。

 阿久津  金がいるんだよ、紫。助けてくれ。
 紫    そんな…、私にはもう…、凛の事はどうするの…
 阿久津  今日中に用意しなければ、殺されるかもしれない。
 紫    何を云っているの? (笑いそうになるが笑えない)
 阿久津  闇金に手を出した。今日中に返さないと、この家に取り立てがくる。
 
 ふたり、押し黙る。
 紫の胸には、久方ぶりに妖の姿が浮かび上がった。
 幸せな毎日が遠ざけていた世界。
 何か危険なモノが近づいてきたら、魔道を開いてでも、この生活を護ってやる。
 しかし、そんなことを、阿久津に教えるわけにはいかない。

 紫    私にできることは、もうないよ。
 阿久津  それが、あるんだ。頼む、三日だけ我慢して、奴らの云う事を聞いて欲しい。
 紫    それは、どういう意味?


 答えはなかった。舞台に響き渡る、ドアの開くバタン! という音。
 舞台袖から、男たちの声が響いてくる。


 男1   阿久津~、用意はできたのか?
 男2   できてないなら、約束通り、奥さんを借りてゆくよ。
 紫    どういうこと!
 阿久津  (手を合わせて) 三日だけだ。頼む。大人しく云う事を聞いててくれ。

 舞台が突然、暗くなる。
 凛の鳴き声。
 男たちの足音。
 紫の悲鳴。

 紫    嫌、助けて! 助けて、タケシ!
 阿久津  ごめん、紫。ごめんね…、必ず、助けに行くから!

 凜が、激しく泣いている。



 第二幕  第3場  人のいない工場跡地。


 薄明りの中で、傷だらけの紫が横臥している。
 一際明るい光の窓が一つある。
 外に、舞い散る花びらの影が見える。
 三日が経っていた。
 紫は、呻き声を上げるだけで、動く事が出来ない。
 この三日間の間に、身の上に起きたことよりも、凛の事が先に思い起こされた。
 阿久津は何をしているんだろう。凜を護っていてくれただろうか。

 私は、何故、魔道を開かなかったんだろう…
 一日でも早く、凛のもとに帰らなければならなかったのに。
 そして、自分がされた事を思い出すと、気が狂いそうになった。
    
 嫌だ…嫌だ…嫌だ…!

 その時、工場の隅の方から、声がした。人ではなく、妖の声だ。

 妖   大丈夫かい、紫。
 紫   誰?
 妖   一度、紫と遊んだこと、ある。
 紫   遊んだ?
 妖   紫の子供、凛と一緒に、草を探す遊び、した。四つの葉っぱがある草。
 紫   四葉の、クローバー…?
 妖   私は、いつも、ひとり。紫、同情してくれた。一緒に、遊んだ。
 紫   あなたは、クサビラ…?
 妖   そう。遊んで、山まで送ってくれた。また会えるかと思って待ってた。
 紫   こんな町中に下りてきちゃダメって云ったでしょう。

 突然、泣きだす紫。奇妙な影が、そっと紫に近づく。


 妖  帰ろう、紫、家に。私も山、帰るから。
 紫  うん。帰る。


 紫は着衣を直して、よろよろと立ち上がった。工場の軋む扉を開けると、
 春ではなく冬だった。花弁に見えたものは、雪だった。
 警察に駆けこむこともせずに、紫は一心に家を目指した。
 クサビラが家路を教えてくれるように、手を引いてくれた。
 舞台には、切ないほど、ハラハラと雪の影が舞っている。



 第二幕  第4場  小さなアパート



 紫が戻ると、凛がひとりで泣いていた。阿久津の姿はない。


 紫   凛! お腹が空いているの?
 凛   ママ…ママ…
 紫   ごめんね、ごめんね、凛…、ごめんね…。

 凜を抱きしめる紫。
 そこへ、戻ってくる阿久津。

 紫     タケシ! 一体今まで…
 阿久津   ああ、紫。ごめん。本当に、ごめん。俺、また失敗した…
 紫     私を売って得たお金で何をしたの?
 阿久津   今度こそ大儲けして、全額返そうと思って、…
 紫     また、同じことを繰り返したのね。
 阿久津   ごめん、紫、俺、この先どうしたらいいんだろう。

 紫の怒りに火がついた。
 
 紫     もう貴方とは終わりよ。
 阿久津   そんなこと云わないでくれよ。家族が大事なんだ。
       この幸せを壊したくないんだ!
 紫     …地獄に堕ちろ。…私がどんな想いをしたか、判っているでしょう。
       こうなる事を承知で、私を売ったんでしょう?

 
 悲鳴に近い紫の声。


 紫    信じていたのに! 信じていたのに! 心から!
 阿久津  もう一度、俺を信じてくれよ。
 紫    大っ嫌い! 貴方なんか、消えてしまえばいい!


 紫は、化粧台の引き出しから取り出した黄金色の石を投げつけた。

 紫    石に眠る蟲よ、眠りに抗え! 我の盾となれ!

 琥珀が光を放って割れ、閉じこめられていた蜂が羽根を開いた。
 それが阿久津に向かって襲いかかる。
 小さな防御だった。
 阿久津が「痛い!」と声を上げる。
 紫は、そのすきに凜を抱えて外に飛び出す。


 舞台。再び、吹雪の影と音。
 紫の、悲痛な声が響き渡る。


 帰る場所が欲しい…! この子と、ふたりで!



 第二幕  第5場  人のいない工場跡地 2002年


 紫は、阿久津と向かい合って立ちすくんでいた。
 数年ぶりの阿久津は、全く変わっていない。
 悪びれた様子もなく、紫に笑いかけてくる。

 阿久津   探したよ、紫。
 紫     何故、私に執着するの。もう何処へ行ってよ。
 阿久津   だって、今でも君を愛しているから。
 紫     こっちは、殺したいくらい憎んでいるわ。
 阿久津   哀しいことを云うなよ。凜は大きくなっただろうな。
       なあ、もう一度やり直さないか。家族に戻ろう。
 紫     よくも、ぬけぬけと云えたものだわ。
 阿久津   君は、何処か好戦的になったね。


 あの頃の私と今は違う。紫は自分自身に言い聞かせる。
 大丈夫。もう、いいなりにはならない。
 時刻は夕刻。凜が家路につく時刻だ。
 舞台は、オレンジ色の光で溢れている。


 紫    痛い目に遭いたいの?
 阿久津  俺に怖いものなんてもうないんだよ。
      あの頃の奴らとは、今は友好的に付き合っているしね。
 紫    まだ、あいつらと付き合っているの? なんて愚かしいの?
 阿久津  今は、アニキなんて呼ばれてるんだぜ。
 紫    馬鹿にされているのが判らないのね。可愛そうに。
 阿久津  可哀想なのは、嫁さんと娘と暮らせないことだよ。
 紫    知るもんですか。


 そこへ、数人の男たちが現れる。
 あの日、紫を陵辱した男の姿もあった。
 それを見た紫が、ガタガタと震え出した。あの日の恐怖が蘇ってきた。
 舞台前方に、紫が歩み寄る。

 紫   どうする? 魔道を開く? こいつら全員の心臓を潰してやろうか?
     でも、閻魔は云った。
     人を殺めてはならないと。
     そんな危機が近づいたのなら、その場から逃げ出せと。
     でも、私ひとりでは、とてもたちうちはできない…!

 命。
 私の声が聞こえる?
 凜は今どうしてる?
 夏ちゃんと、家に向かってる? 家はもう危険かも知れない。
 家に帰らないで。
 命、お願いよ、凜を護って…!


 舞台を照らすオレンジが、次第に深い紅に染まってゆく。


 私は、魔道を開く。
 全員、ここで潰してやる。阿久津も一緒に。


 紫は、自分の両手を見た。そして、落ちていた木の枝で、陣を描き始めた。


 阿久津  紫、何をしているんだ?

 紫    ……。


 我は汝を求める。
 世紀末の天空(そら)のように、紅い御神よ、賢明で気高く、 献身的な御神 ...
 至高なる神の力に抗いて、我は汝に命じる、
 我の名は、紫。


 紫の目から泪が流れ落ちた。


 阿久津  紫…? おまえ、何をして…


 紫は、枝をまるで、魔法使いの杖のようにして、阿久津に向けた。


 我は反逆罪の椅子に座し、願い乞う。
 そして、全知全能の神に抗い、汝を呼び出す呪文によって、
 我は汝を召喚する。
 地獄の大御神、我心臓の血を此処へ喰らわす。


 舞台、過去、ふたりが駆け抜けた四季が、色彩を伴いながら移ろいでゆく。
 夏、秋、冬、春…夏…秋…冬…春…


 EME… RALD… ELUSIA…
 常に猛々しい三兄弟よ、最も強大かつ強力な神の名、
 汝、直ちに、我が場所、この円の前へと現れよ、


 紫の手が、ぶるぶると震えていた。
 この門扉を開くのは初めてだ。
 高尾山で召喚した妖とは格が違う。
 本物の悪魔だ。その代償を考えるのも恐ろしかった。


 そして…口にすべからず名、
 TE…TRAGRA…MMATON …IEHOVAH… によって、
 我は…汝に強く…命じ…る…


 もはや、声にならない

 その…た…四大元素…は…打ち倒され


 そこへ、飛びこんできたものがある。
 白い狐だ。
 狐は、紫の陣の中へ降り立つと、人間(ヒトガタ)となった。


 紫  命…!

 陣は踏みにじられ、一瞬青白い炎を放って消えた。
 命が、紫を背に、阿久津らと対峙する。
 すると今度は、工場の扉を蹴破って、小さな影がふたつ踊りこんできた。凛と夏ちゃんだった。
 夏ちゃんが、一番近くにいた男にためらいもなく、前回し蹴りを食らわせた。
 凜も、続いて隣の男に後ろ回し蹴りを決める。
 あっという間のことで、誰ひとりとして動く事すらできなかった。
 テコンドー攻撃技が次々、功を奏して、残るは阿久津ひとりになった。
 その阿久津に、凛が近づいてゆく。


 紫    凛、その人は…
 凛    知ってる。父さんでしょう。でも、わたしはこの人を赦せない。
 阿久津  何を云ってる、凛…
 紫    止めなさい、凛! それだけは、ダメ!
 凛    母さんだって、魔道を開こうとしたくせに!
 紫    私はいいのよ、でも、貴女がそうすることはとてつもなく不幸な事なの!


 凜は唇を噛んで、止まった。
 舞台袖から、パトカーの音が近づいてくる。
 どうやら、猫平さんが通報してくれたらしい。
 場所を特定したのは、命だ。紫の声は、ちゃんと届いていたのだ。

 紫  命、ありがとう…

 紫はその場に崩れ落ちる。



 第三幕  第1場  神社のある小山


 凛     クサビラ、いる~?
 夏ちゃん  俺にも見えるかな、クサビラ~。
 凛     クサビラ~。


 カサコソと音を立てて、草が揺れた。


 クサビラ  呼んだ? 凛、遊びに、来た?
 凛     うん。久しぶり。ずっとこれなくてごめんね。
 クサビラ  人間、毎日、忙しい。
 凛     うん。忙しかったんだ。
 夏ちゃん  俺にもみえるぞ、クサビラ。
 クサビラ  ふたりとも、妖力、強い。紫と同じ。
 凛     今日は三人で遊ぼう。
 クサビラ  四葉の草、探す?
 凛     うん。それが欲しくてさ。
 クサビラ  来て。あるところ、知ってる。


 三人は山の中を移動する。


 クサビラ  いつか教えたくて、内緒の場所にした。


 凛と夏ちゃんは、一面のクローバー畑を見た。


 ふたり   凄い…。
 クサビラ  四葉、沢山ある。探して、遊ぼう。


 三人は、夕方までに沢山の四葉のクローバーを見つけだした。
 それを命から借りてきた辞書に丁寧に挟む。
 命は、あの事件以来、体調を崩して寝こんでいた。
 命にも、ひとつ、しおりを作ってあげなきゃならない。
 クサビラ  こんなに沢山、どうするの。
 凛     お世話になった人にあげるのよ。
 夏ちゃん  手伝ってくれてありがとうな、クサビラ。
 クサビラ  もう少しだけ…


 何か云いたそうなクサビラ。


      もう少しだけ、一緒に遊んでいたい。
 凛    (愛しいものを見るような目をして) また、遊ぼうね。
 夏ちゃん 絶対な。



 第三幕  第2場  紫と凛のアパート



 凛と紫は、沢山のしおりを作り上げた。

 凛   誰にあげるの?
 紫   猫平さん、テコンドーの先生、夏ちゃん、クサビラ…
 凛   そう、クサビラ!
 紫   それから、宝山殿、命、百合亜ちゃん。
 凛   百合亜ちゃん…


 複雑な表情の凛。


 紫   それから、これから出会うひとたち。
     それと、もうひとり。秘密のひと。
 凛   誰よ。
 紫   内緒。


 凜はそれでもいいと思った。母さんが元気なら、それでいい。

 凜が寝入ってから、紫はある人物に手紙を書いた。
 その人物が何処にいるかは判らない。
 でも、確かな愛のあった、あの場所に立つ、あの人へ。

 夏。強い日差しのなかで、見失うのが怖かった。
 秋。涼やかな風のなかで、手を繋いだ。
 冬。凍える空気も寒くなかった。
 春。穏やかに、その恋は成就した。


 楽しかったよ。
 倖せだった。
 そして、凜をありがとう。

 さようなら、永遠に。



 第三幕  第3場  ポスト


 その手紙は、その夜、そっと投函された。
 穏やかで優しい、呪文を纏って。


 紫 (穏やかな表情で)

  汝は白き手の処女。
  我が消息となり、主(あるじ)の元に還れ。




                    幕

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