文庫 麦わら帽子

自作小説文庫

緑の指と 魔女の糸 「オレンジの日記帳」

2016-06-18 | 小説 緑の指と魔女の糸 シ

部屋を案内した手前、 あの母子が気になってしかたのない猫平さんである。



数日前「異変はないか」と電話したら、紫さんが、

「夜になると、うるさくて仕方ない」と眠そうな声で云った。

「やっぱり出るんですね」

「あの女性のものばかりじゃありませんよ。

この部屋に住んでいた人たちの、恐怖心とか、

不安などの残留意識がうるさいんです」

それで、壁紙も折角きれいだけど、替えてもいいかと云うので、

ご自由にどうぞと返答した。

どうせもう誰も借りない部屋だ。

壁紙も張り終えたというので様子見に行く事にした。

事務のサヤカさんが、凛ちゃんに…と、たくさんのお菓子を持たせてくれた。

昔ながらの商店街を通り、田んぼが広がる未開発地に向かう。

この辺りは、最近、おしゃれなアパートが目立つようになってきた。

誰も、心霊スポットに住む訳がない。

例の201号室の入口には、きれいな円錐型の盛り塩が、ひっそりと置かれていた。

インターホンを押す前に、凛ちゃんが飛びだしてきた。

「猫さん、こんにちは!」

「こんにちはー。新しい生活はどうですか?」

「わたし、やっと、お姫様になれました!!」

その意味は、部屋にお邪魔して判った。

一緒に買いに行った、ピンクのローズラグ。天蓋つきの白いベッド。

部屋は、完璧なまでの姫系の部屋に変貌していた。

白いドレーッサー、猫脚のテーブル、これまた、ピンクのバラのカーテン。

あの日、揃えられなかったものは、全て通販で購入したという。

「うわあ…」

男にとっては、ちょっと入りにくい部屋だ。

「いらっしゃい、猫さん」

紫さんも、ニコニコしながら出てくる。

「お茶飲んでって、昨日、娘とたくさんクッキーを焼いたんです」

まるで、メイド喫茶だ、これ。

落ちつかない!

「食器はわたしの趣味ですが、部屋はもう思い切って、凛の好きにさせました」

ウェッジウッドのスウィートプラム のカップに、香りのよい紅茶が注がれる。

「本日の紅茶は、フォートナム&メイソンのアールグレイをご用意しました」

英国王室 御用達ですね!

「少々語ってもよろしいですか?」

紫さんは、紅茶マイスターか何かなんだろうか。

紅茶に対する眼差しが、普通じゃない。

「アールグレイというお茶のレシピは、実は失われていて、

現在のものは一種の復元なわけです。

だから茶のブレンダーによって微妙に違ってくる。

フォートナム&メイソンのブレンドは、品が良く、強からず弱からず。

ほどよい感じです。のんびりしたい休みの日にゆっくり飲むのがお気に入りです。

ミルクと砂糖はいりますか?」

「では、ミルクを。今まで、いろんな紅茶を飲んできましたが、

こんなに香り高い紅茶があったのかと感動しました」

先程の、メイド喫茶というのは撤回する。

ここは、立派な紅茶サロンだ。

「喜んでいただけて嬉しいです」と、紫さんはにっこり。

「こんな高価な紅茶…、紫さん、お金、大丈夫なんですか?」

「その質問は、無粋です」

「はい、すみません」

「ハートのクッキーはオレンジの味。星のクッキーはプレーンタイプだよ」

凛ちゃんも負けてない。

「うわああ、幸せだなあ…」

僕は、クッキーと紅茶を交互に口に運びながら、心からつぶやいた。

「今度は、スコーンをご馳走しますので、またいらしてくださいね」

「もう、喜んで!」

そこで、僕は話を変える。「ところで、どんな感じですか。…出ますか」

「壁紙を変えたら、静かになりました。彼女はいつも、天井を見ています」

僕は、突然ぞっとなって、後ろを振り返った。

「何か、天井にあるんでしょうか」

「…見てみますか」

紅茶のお礼だ。僕は凛ちゃんが指し示す、押し入れの中の天井を見た。

ここは、天井板が外れるようになっている。

嫌な予感はしたが、ここは男だ。

でも、生首が転がっていませんように。

しかし、そこには意外なものがあった。クッキーの缶だ。

「こんなものが」

「中を拝見していいでしょうか」

「見てみましょう」

中には …、オレンジ色のノートが一冊入っていた。それと、数枚の写真。

この女性は、ここで自殺したひとだった。

「これは、日記ですね。拝見しても…」

「いいですよ、多分」

しばらくの間、瞬きもせずに、紫さんはその日記を読んでいた。

それから、ゆっくりと眼差しを上げて云った。

「なるほど。いいものを見つけました」

にっこりと笑う。「これで、浄化します」

それから、凛ちゃんを振り返って付け加えた。

「凜、引き寄せの魔法を使うわよ」

「判った」

凛ちゃんは真剣な表情だ。「この母様を呼ぶのですね」

写真に、女性と一緒に映っている母親らしきひとを指でさした。

「まあ、魔法なんて冗談だけど、このお嬢さんのお母様はご存命でしょうか。

連絡先、判りますよね」

「もちろん、資料が残っているはずです。彼女を呼ぶんですね、ここに。

どうするおつもりですか」

「ですから、浄化ですよ」

紫さんは、カップを両手で包むように持って、紅茶を飲む。

「強からず弱からず。本当に、ほどよし」


続く







コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 緑の指と 魔女の糸 「満月... | トップ | 緑の指と 魔女の糸 「カノン」 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿