文庫 麦わら帽子

自作小説文庫

緑の指と魔女の糸 「高尾山事変3」

2017-03-14 | 小説 緑の指と魔女の糸 シ

 朝、庭に出ると、真っ白なお婆ちゃんが立っていた。

「お、おはようございます」

 昨夜は、母さんが遅くに帰って来たから、私も寝不足だったけど、

 その人の眼を見たら、パッと目が覚めてしまった気分だ。

「おはよう、凛ちゃん。はじめまして」

 お婆ちゃんは、きれいな姿勢でお辞儀をする。

「私は、白水。貴女のひいばばよ」

「お婆ちゃん!?」

 わたしが駆け寄ると、お婆ちゃんはふわりとわたしを抱きしめた。

 植物の匂いがする。

「貴女が来てくれて嬉しいわ。ねえ、凛ちゃん。凛ちゃんは、

緑の指が欲しくないのかい?」

 こんな大事な話、二人でしていいんだろうか。

 でも、母さんはよく寝てるし。

「欲しいけど…、でも、友達と遊べないのは嫌だなあ。

学校にも行きたいし、母さんと旅行にもいきたいし、それに…」

「つまらぬことだよ」

 お婆ちゃんは、静かだけど、ピシャリと云った。

「おばばの夢はね、この緑の指で、世界を救うことなんだ」

「えええ、世界を?」

「ここで修行をして、砂漠へ行くのさ。緑のない砂漠に、オアシスを作るの」

「オアシスってなあに?」

「植物と、水が溢れる楽園だよ。世界には、飲み水すらない人が沢山いるんだ」

 聞いたことがある。泥水を飲んでいる女の子も、テレビで見たことがあった。

 あれは衝撃だったな。わたしは、あんな汚い水は、飲みたくないなあ。

 きっと、母さんが淹れてくれる紅茶も、おいしくならないだろうと思った。

「凜ちゃんも、おばばとこのお山で修行して、一緒に砂漠に行かないかい?」

「砂漠に…?」

「そう。沢山のひとの命を、貴女は救えるの」

 それは、確かに凄いことだ。

 でも。

 わたしは、直ぐには答えられなかった。

 そこへ、母さんが走ってきた。

「おばあ様! 直接凛と話すのはやめて下さいと、昨日云ったではありませんか!」

 母さんが本気で怒っているのは、その声で判った。

「昨晩、あれだけ話をしたのに、私たちはまだ、話し合う時間が必要なんです!」

「時間の無駄さね」

 お婆ちゃんは、一時も母さんを見ようとしなかった。

「お前の話を聞く気は毛頭ないよ。私の考えは変わらない。私が、この子を貰い受ける」

「そんなことが赦されるとでも? この子の母親は私。育てる責任があるんです!」

 母さんが、半ば無理やり、お婆ちゃんの手からわたしを奪い取った。

「お前はとんでもない出来そこないだ。お前の母親も愚かだった。

 緑の指の力を受け継ぐことすらできず、山を下って早死にした。犬死と同じことだ」

「母は、私をここまで育ててくれました。それに、私の神通力だって…!」

「穢れている。お前の力には闇が宿っている。神様ごっこはもう終わりにしなさい」

 そこへ、宝山殿がやってきた。

「白様。こんな場で、ましてや、幼子の前でおよしなさい。紫殿もこらえるのです」

 宝山殿は、私の手を取ると、有無を云わさず家の中へ戻った。

 振り返ると、母さんと、お婆ちゃんがまだ云いあっていた。

「今夜も、貴女を尋ねます。話を聞いて下さい」

「無駄だと云ったろう。…場合によっては、怪我だけでは済まないよ」

 ズキン。胸が苦しくなった。怪我では、済まない?

「お前が間抜けで、のこのことあの子をこの山に連れてきたのが運の尽きさ」

「私は、おばあ様なら理解を得られると、信じています」

 わたしは、宝山殿の手をぎゅっと握った。

「怖いです。何故、お婆ちゃんはあんなに怒っているの?」

 宝山殿は、わたしの頭を撫ぜると、温かいお茶を淹れてくれた。

「ひとの価値観はそれぞれだからね。二人の意見が合わなくても、それは不自然なことではないのだよ」

 わたしと、宝山殿は向かい合ってお茶を飲んだ。

 命が、わたしの膝の上に乗ってきた。

「白様の植物に作用する神通力は、神がかっている。

一時、この山の松の樹が、虫にやられて随分枯れ果てたのだが、

白様が、おひとりで死んだ樹々を蘇らせた。この山が豊かなのも、

白様の力のお蔭なのだ。彼女は、その力で、砂漠化した地球を救おうとしているんだよ」

「聞きました。わたしも一緒に行こうと、誘われました」

「あの方は、博愛主義なのだ。自分の人生を賭しても、困っているひとや、

この地球を救いたいのだよ。それは、並大抵の覚悟ではできるものではない」

しかし、と、宝山殿は言葉を続ける。

「きっと、紫殿は、凛殿の生活を、ありきたりな幸せを、望んでいらっしゃるのだろう」

「どっちが正しいの?」

「それは、先刻も云ったように、人それぞれだ。紫殿は、ただ普通の母親として、

凛殿の幸せを望んでいる。それは手前勝手な事では、決してない。普通の事だ。

人として、普通の事なんだよ」



 その後の お婆ちゃんと母さんの話し合いがどうなったのかは知れない。

 母さんは、昼過ぎに再び奥深い山に入っていた。

 二人は、わたしの未来について、話し合っている。

 ううん、戦っているんだ … 。

 そう想うと、わたしは涙を止められなかった。

 わたしは、どうしたい?

 学校にも行かないで、このお山で修行して、お婆ちゃんと、砂漠を目指す?

 それは、正直、とても魅力的な話だった。

 でも … でも … どうして?

 夏ちゃんの笑顔が、邪魔をするの。

「お土産? 木刀がいいな! 」

 そんな事を云って笑った夏ちゃんと、遊びたい。

「ねえ、一緒にオレとテコンドー習おうよ、凛ちゃん!」

「オレも一緒に、凛ちゃんのお母さん、守ってやるよ…もちろん、命の事も!」

「オレ達、最強のコンビになろうぜ」

 … 夏ちゃん。私がこのお山を離れられなくなったら、約束した事、全部ダメになる。

 わたし、夏ちゃんに会いたい。

 あの素敵なお家に帰りたい。

 猫平さんや、商店街の人たちと、今まで通り、会いたい。

 会いたいよ … !

 わたしが泣いていると、宝山殿が、無言で頭を撫ぜてくれた。

 わたしが決断できる事ではなかったのだ。

 だから、母さんが動いた。

 その時、母さんは、命を賭して、わたしの為に行動していた。




 山中が騒然となったのは、日付が変わろうとしていた時刻だった。

 山犬たちがけたたましく鳴き、宝山殿が家を飛び出していった。

 山の何処かで、お婆ちゃんが死んだのだ。




 眠れないわたしは、それでも子供は眠っていなさいという言葉に従って、

用意された布団の中にいた。

 お山の人々が騒ぎ出す直前、ふいに、一緒に布団に入っていた命が飛び起きた。

 命は、障子を開け放って月明かりを入れている窓の方を見て、毛を逆立てていた。

 母さんに何かあったことは明らかだった。

「命、母さんを護って … わたしは、何もできない … 」

 そう云うと、命は、わたしの鼻の頭を舐めてから、外に飛び出していった。

 母さんが、ボロボロの雑巾のようになって戻ったのは、その3時間後だ。

 家を飛び出していった命が、母さんを連れて戻ってきた。

 わたしは、部屋を飛び出して母さんに駆け寄った。

 着ている服はボロボロ。顔にも傷を負って、血が流れていた。

 わたしは、母さんの左腕にある痣に気付いて、鳥肌がたった。

 青黒い、文字のような痣…

「ああ … 凛、心配かけて…ごめんね。もう、心配はないから」

 弱々しく笑う母さんに、嫌な予感がした。

 お婆ちゃんは、死んだ姿で見つかったと、人々の押し殺した声で知った。

 …顔は、完全に潰されて…、あれは、妖の力を使ったのだろうな…。

 妖の、力。

 … 魔道を、開いたのだ、あの女は…
 
 母さんは、魔道を開き、妖魔を呼び寄せた。

 わたしにはすぐ、理解できた。

「どうして…」

 母の胸に顔を埋めて、云った。「どうして、お婆ちゃんを…」

 宝山殿は、それを静かに見ていた。

 母は、直ぐには答えなかった。

「普通に産んであげられなくて…ごめん、凛…」

 わたしは、十分に、普通だよ? 

 母さん、何故、泣くの? 何故、お婆ちゃんを … ?

「でも、もう、心配ない … 、貴女は、普通に、生きられる … 」

 それは、

 どういう意味?

 宝山殿が云った。

「魔道を開いたか、紫殿」

「はい …、 申し訳ありません … 」

「む…、そして、それは、閉じられたか? 」

 母さんが、訴えるように宝山殿の腕を、掴んだ。

「申し訳ない … そこまでの余裕もなく … 」

 わたしの脳裏いっぱいに広がったのは、閻魔大王の笑顔だった。…、何故?

「罪を犯してはならないと、…約束したんでしょう?」

 熱に侵されたような表情で、母さんはわたしを見た。

「閻魔様と!! 人を傷つけてはならないと、ましてや、命を奪うなどという…!」

 母さんの眸に、みるみるうちに泪が溢れた。

「これで、私は、いいの。私は、独りでも、大丈夫」

 こんな時に、笑わないでよ、母さん。

 ずっと、憧れて、想い焦がれてきた、閻魔様。

 いい訳がないでしょう!?

「わたしの為に、あの約束を破ってしまったのなら」

 わたしは、勇気を振り絞った。

「わたしが、閻魔様に赦しを乞う! 母さんは、わたしの為に罪を犯したんだって!

そう云うから!!」

「… 凛 … 」

 母さんが、優しくわたしの頬を撫ぜた。

「私も、修行を積み、凛殿と一緒にあの聖域に参ろう」

 宝山殿も云ってくれた。

 でも、何故か、母さんは笑うだけ。

「私はもう、独りで大丈夫だから … 」

 だからって、わたしは引かない。

「わたしは、決めたの。母さんを独りにはさせない」

 宝山殿も、云った。

「私も、決めたよ。人の世は、複雑なのだと、物申すつもりだ」





 

 この地球は…

 この地球に、住まう人々は、実に複雑な思考に支配されて、生きている…

 そこには、どんな信仰も理屈も、通用しないことがあり得るのです。


「凜殿、一緒に参ろうか」

「わたしは、妖には慣れていません」

「大丈夫。今の貴女にしかできないこともある」


 そう云われて連れて行かれた闇の中で、

 わたしは初めて、闇から呼ばれた妖の姿を見た。

 闇を、どこまでも深くする存在。

 たった独りで、この山のこの聖域を呑みこんでしまうような、

 深い深い、闇。

 宝山殿が手渡した、弓。

 目を見張るほどに輝かしい、光の矢。

 全てを、浄化する矢。

 少し重いので、彼の力添えも借り、山をさ迷い歩く、闇の妖を祓った。

 放った光と共に、わたしの中の何かが、叫んだ。

 それは、命の叫び。命の慟哭。命の執着、執念。

 わたしがあげた叫びが、闇の妖の力を奪ってゆく。

 痛々し気に響く、あの子の声。

 ごめんなさい。

 わたしの所為です、ごめんなさい。

 そう、唱えながら …

 わたしは、叫び続けた。







 わたしは、元の世界に戻ります … 。


 以上が、「高尾山事変」の全貌だ。








  続く



























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