文庫 麦わら帽子

自作小説文庫

秘密の花園 番外編 『TRAP 騙し合い』

2019-04-30 | 詩歌
【 Bad Trip 】




 猫足のバスタブに浸かっていたヴィオラは、レイが服のまま入ってきたのを見ていぶかしんだ。

「一緒に入らないの」

 少年は無言で笑うと、サイドテーブルにふたり分のミント水を置いた。

「これからはひとりで入るように」
「な、なんで」
「最近のヴィオラは、ぼくを見て配慮に欠けた質問をしたり、悪戯がすぎるから」
「いやだったの」
「当たり前です」
    
レイは椅子に座って鷹揚に足を組み、持って来た本を開いた。本気らしい。
 ヴィオラは、自分だけ裸になっている現実に突然抵抗を感じた。慌てて相手に背中を向ける。
     
「…なんか恥ずかしい」
「信じがたいはなしだろうけど、ぼくにも羞恥心がある」
「気づかなくて悪かったわ」
         
 バスルームは当然ながらひどい湿気だった。
ヴィオラの髪だけは洗ってやろうと待機する少年は、いくらもたたないうちに汗をかきはじめた。
どちらかと云えば寒がりの彼は、ヴィオラがノースリーブで過ごしていても、しっかりと長袖を着こんでいるたちだ。
そのかっこうでここにいるのは間違っている。
しかも、彼は本など読んではいなかった。
読んでいるふりを装い心は別のところにあるようだ。
その証拠に、本が逆さまになっている。
ヴィオラは盗み笑いをし、そっとあるモノに手を伸ばした。

レイの頭を支配していたものは、クラウンベリーおじさんからもらった、あの碧い錠剤だった。
 捨ててもいいと彼は云ったが、本気で捨ててしまうほどバカでも優等生でもない。
 こんなチャンスは二度とないに違いなかった。
 その「凄惨極まる」と云われる効果のほどは、風の噂に聞いたことがある。
 与えられるものは、究極の快楽。
 その効果に恐れ入った者たちは、この薬物の正式名など無視して、
『死』を意味するDとか、なにかの状態を表すOと呼んでいた。
 クラウンベリーおじさんは、帰り際に、「酒精飲料と併飲すれば、効果は倍増」と教えてくれた。
 本当にいいひとだ。

 確か、キッチンの棚に製菓用のチェリーブランデーがあった。
 計画を練りながら次第にドキドキしてくる。
 無論、実行に移す算段だ。知ることは罪じゃない。
 それは一体どんな快楽だろう…。
             

 その時、バスタブの中で、ヴィオラが弱々しい声を上げた。

「気持ちが…悪い…」

 ふと眼を上げた少年は、眼の前の惨状に一瞬言葉を失った。
 バスタブは血の海になっていた。少女は口の端から血を流している。
            
「ヴィオラ…!」
             
 レイは本を放りなげて駆け寄った。
 大量吐血だ。少女はぐったりしている。
 しかし、ローズを呼ぼうとして、ふとある事に気づいた。
 血は大量だったが、まったくにおいがしない。
 バスルームを飽和状態にしているのはラズベリーの甘い香りだった。
 立ち往生しているレイの腕のなかで、ヴィオラは笑っている。
            
「これは一体どういう…」
 床にバスキューブを包んでいた銀紙が落ちているのを見て、少年は全てを察した。
 クラウンベリー御用達の、ラズベリーのバスキューブだ。それにしたってひどい色。
            
「血に染まって見えたよ」
「迫真の演技だった?」
「お風呂のお湯を口に含むなんて」
            
 脱力している少年をあざ笑いながら、ヴィオラはミント水を飲み干した。

             
 まあ、それはよしとしよう。

      
 ヴィオラが大人しく自分の部屋へ引き上げてくれたので、レイは機嫌を直すことにした。
 ローズはキッチンで読書にふけっていたが、長湯する旨を伝えて少年は再びバスルームに向かった。
 もちろん、チェリーブランデーも忘れてはいない。
 バスタブにはまだ、血の海のようなお湯が残っていた。よく見れば、深いローズピンクだ。
 熱い湯を注ぎ足すと、少しやさしい色に変化した。
             
 クラウンベリーおじさんが犯した失態とは、どんなものだったんだろう。
 さらにおじさんは、「試すならバスルームで」と意味ありげな発言をした。
             
「間欠泉状態になりますので」

 怖気づきそうになったが、もうここまで準備をしてしまったし、ここでやめたらそれこそ「腰抜け」だ。
 レイは服を脱いでバスタブに浸かり、もう何も考えずに『D』を口にした。


 甘い。
 ブルーベリーの味がする。
 眼の健康にはいいかも知れない。
             
 そう思っているうちに、突如クラッときた。
 しかし、その眩暈のような感覚が、果たして『D』の効力なのか先に飲んだチェリーブランデーの作用なのかは判然としない。
 その眩暈は次第に激しくなってきた。





 そのとき。
 ローズはどうにも嫌な予感をぬぐいされず、本を閉じて立ち上がったところだった。
 戸棚を開け、チェリーブランデーがなくなっていることを確認する。
 やはり、あの子が持って出たのは間違いない。
 ローズはなんとなく少年の挙動不審な動向に気づいていたのだ。
 ローズは気持ちを固めると、まっすぐにバスルームに向かった。
          
 彼女の判断は正しかった。
 バスルームの少年は、抜き差しならない状況に追いこまれていたのだ。
 血の海のなかに(正確には、ラズベリーの湯のなかに)、沈没すること数分。
 ローズの判断が遅れていたら、少年は不慮の死を遂げているところだった。
(しかも溺死。シャレにもならない)

「レイ、なにをしているの!」

 ローズは少年を湯の中から引っぱりだし、手馴れた手つきでお湯を吐かせた。
 真っ赤なお湯に混じって、碧い石が吐き出されたことには、残念ながら気づかなかった。
 どうもバスルームが騒がしいので、ヴィオラは寝台を抜けだした。
 ちょうどレイがかろうじて上着を羽織ったあられもない姿で、バスルームからまろび出てきたところだ。
 ヴィオラが駆けつけると同時に、彼は大量の血を吐いた。

「お風呂のお湯よ」
      
 悲鳴を上げかけたヴィオラは、母親の言葉に赤面した。
 …そうだった。


「なにをするつもりだったの」
            
 珍しくローズの口調が厳しい。
 レイはまだショック状態から抜けだしていなかった。            
 一体、なんだったんだろう。よく判らない。良かったのか、悪かったのかも。

「間欠泉に、なりたかった…」

             

 ろれつの回らない口調でつぶやくと、少年は前後不覚に陥った。
 
「間欠泉って?」
             
 無邪気にたずねる娘に、ローズはピシャリと云い放った。

「貴女は知らなくてよろしい」




『キャンディーの秘密』続く
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秘密の花園 番外編 『TRAP 騙し合い』

2019-04-29 | 秘密の花園 別章

【クラウンベリーおじさんの憂鬱】
       
 週に一度巡回してくる、物売りのクラウンベリーおじさんは、《総管理局》の回し者である。
《中央》は(善人面をして)国の利益を、国民に等しく(?)還元しておきながら、
その一方ではこのような人間を使って、個人の財産を回収しようとしている。
そしておそらくは、抜け目なく個人の生活を監視しているに違いなかった。
しかしながら、その回し者の口車にまんまと乗せられてしまう人間を、
「騙される方が悪い」などと、容易に否定しないで戴きたい。
とりわけ『箱庭生活』というものは、想像以上に退屈で過酷なものであったからだ。
今日もまた、クラウンベリーおじさんがやってきた。
彼はいつも生け垣の向こう側で、カウベルを振って合図する。
子供たちの反応は敏感だ。
先に外へ飛び出すのは決まってヴィオラ。
その後にそそくさと庭の主であるローズが続く。
一番敏速なはずの剣士のレイが出遅れるのは、注文書を用意する手間に足をひっぱられる所為だ。


       
              

「おはようございます、ローズ様」
クラウンベリーおじさんは礼儀正しい紳士だ。
年齢不詳だと噂されるのは、そのダサいスタイルの所為。
くたびれて色落ちした作業服に、帽子を目深くかぶっている。
時折ちらりと素顔がのぞくが、そんなに「おじさん」ではないかも知れなかった。
この国特有の孔雀石の眸はきれいだし、一応長い髪も手入れは行き届いている。
もっときちんとすればいいのに。そう思う者も少なくない。
「今日も余計なものを色々持ってまいりました」
それはおじさんの常套句。これから商談をはじめる合図となった。
おじさんが用意している品物は、不思議と買い手の嗜好や趣味を心得ていて、
ついつい予定外のものを買うはめに陥ることになっている。まさに相手の思う壺。
美しい更紗布。虹色の刺繍糸。銀細工の指ぬき。ドライフラワーに、花の精油。
ターゲットにされたローズは、手芸に興じる予定はなかったのに、手作りリースキットから目が離せなくなった。
玄関先を模様替えしようかな、なんて思いはじめる。
間違いなく配給の対象外になるであろうお菓子も、籠いっぱいに用意されている。
(このあたりは絶対に計画的。やりかたが汚すぎる) ヴィオラはお菓子しか見ていない。
ローズの服を引っぱってせがんだものは、毒々しい色のラムネ菓子だった。
ふたりが品物を物色している間、レイは辛抱強く後ろに立って待っている。
彼がクラウンベリーおじさんとこっそりアイコンタクトをとったのに、女性ふたりは気づかない。
「いつもご利用いただいているお礼です」
今日は、おじさんがヴィオラになにかをサービスした。
小さな紙袋に入っていたので、中身は不明だ。
「どうもありがとう」
少女は大喜びで家のなかへ戻っていった。
ローズは袋の中身を確認する必要に駆られ、娘の後を追っていった。
「ご苦労様です」
レイは、今週の注文書と引き換えに、頼んでおいた生活備品を受け取った。
「それで、例のものは」
 声を潜めると、おじさんは心得たもので、無言で笑ってそれを手渡す。
 錠剤の入った小瓶だ。
「こんなものが役に立ちますか」
「気分が腐ったときはこれに限ります」
 レイはどこかうっとりとして錠剤をながめた。
 それは合法スレスレで認可されている、云わば公認ドラッグ。
《中央》が行った調査によると、この国の殆どの者が、慢性的になんらかのフラストレーションに悩まされている現状が明らかになった。
そこで《医務局》は、軽度の鎮静剤を解放。
それを《研究院》が、「いつでも手軽に使えるドラッグ」に作り変えて販売した。
特徴は一粒でスカッとできること。しかも短時間でケリがつく。中毒症状は皆無。
絶対安心のドラッグだ。                
しかし、公認はされていても、そんなドラッグに手を出していることなど、なるべく人には知られない方がいいに決まっている。
知ればローズだって気を病むだろう。
例え、少年が抱えこむ「モヤモヤ」や「イライラ」が、思春期にありがちな、ごく自然な症状だと判っていてもだ。

      
               
「ところで、あのゲームの調子はいかがですか」           

クラウンベリーおじさんは、話題を転じた。先週購入した、駒を使う簡単な陣取りゲームの件だ。
 二重商称でもある、俗称「cheat」の名のごとく、対戦相手を最初から欺いて絶対に勝たせない、イカサマゲームだった。
 その門外不出のカラクリは最大企業秘密であるため、買い手にも明かされないが、
マニュアル通りに駒を進めれば、何故か不思議と勝てるのである。
 先攻後攻問わず、相手の機略も及ばず。ただし、理屈が判らないのでマニュアルを丸ごと頭に叩きこむ必要が生じる。
 面白半分でゲームを購入した少年は、このイカサマをうまい具合に日常面で活用した。

 最近、ローズは子供たちに食事の支度をさせるようになった。
 ヴィオラも年頃の娘になったし、レイだって、一応は守人としての立場がある以上、身の回りのことをこなさなくてはならない。
 しかし子供たちにしてみれば、それは悲劇の発端でしかなかった。
 毎日続くと本当に気が滅入ってくる。
 そこでふたりは交代で食事当番をすることにした。
 そしていつからかそこにゲーム的要素を加えては、ささやかなスリルを味わうようになっていたのだ。
 簡単なゲームで勝敗を決め、負けたものが一日の食事当番を担うというルール。
 できるなら、その手の面倒は避けて通りたいのが人情というもの。
 ましてや、男の自分が料理の腕を上げるよりも、ヴィオラの将来を考えて、当番を「譲ってあげる」方が、親切というものだろう。
 少年はもっともらしい理由をでっちあげて、このゲームを使った。
 今のところ、連敗するヴィオラはその真意に気づいていない。
 負ける方に落ち度があると思い、自分を呪い続ける日々が続いている。
「お陰さまで、楽をさせて戴いています」
 レイは真面目くさった表情で告げた。クラウンベリーおじさんは心得顔でうなづいた。
     
「今日はもうひとつ、とっておきのモノをご用意しました」
 合法ドラッグの決して安くはない料金を受け取りながら、彼は云った。
「そんな安っぽい快感よりも、もっとすごい体験ができる」
 彼が差しだしたのは、明らかに「ヤバイ」雰囲気を醸しだしている、碧い錠剤だった。
 自分が手に入れたものとは、雰囲気からして違う。
「こいつを噛み砕かずに、ゆっくりと口の中で溶かすんです。アノ感覚が味わえますよ」
 クラウンベリーおじさんの孔雀石のような眸が、少年を探るようにきらめいた。
「アノ感覚?」
「そう、アレです。判るでしょう」
 思い当たったらしいレイは赤面して眼をそらした。
「ああ、アレね。…でも、ぼくは」
 思わず後退した。「まだ、こんな年齢なので」
「庭を管理しているからって、将来の伴侶が得られる可能性まで保証されたわけではないのですよ。
貴方だって、もしかしたら一生、それを経験することなく死んでゆく運命かも知れない。知りたいと思ったことはないですか」
 ないわけがないではないか。しかし、はっきりあるとは云えない。
 クラウンベリーおじさんはやや砕けた感じになって、懐から煙草を取りだした。
 いつも通り少年にも気前よく分けてくれる。
「…《軍部》のキャンプの惨状には眼も当てられません」
 彼は暗澹たる気分で云った。《軍部》に籍を置きながらも、レイはあまりキャンプには出向かない。
あそこはどうも陰険で、男くさくて嫌なところだ。
薔薇の香りとお菓子の甘いにおいに飼いならされた者には、生理的な拒絶反応が出るような場所だった。
 しかし興味はある。少年はクラウンベリーおじさんが時折入手する《軍部》情報を聞くのがたのしみだった。
「狂気に陥った男社会というものはむごいものだ」
 おじさんは嘆息する。「私はその現状を目の当りにしてきました、貴方の所属する
《軍部》はその最たるもので、行き場をなくした欲望をもてあます若者は、同性の仕事仲間に慰めを求めて徘徊する…」
「マジですか」
 レイは真っ青になった。
 あの《軍部》の荒くれ者たちが? 
 なんて気色の悪い話だろうか。
「軍のキャンプなんてもはや無法地帯のようなものです。
 クラウンベリーおじさんは、自らの体験を物語っているかのように、物憂げな表情だった。
「貴方ももうじき十三の節目を迎える。国が貴方を大人として扱うようになれば、連中の視線も変わってきますよ。
くれぐれも警戒を怠らぬように、ということですな」
 レイは最悪の状況に追いこまれている自分を想像して身慄いした。
 おじさんは少年の反応を見て笑う。
「貴方のように無菌状態で育った子供は、闇に囚われる傾向が強いといいます。知りたいと思うことは悪いことではない。
むしろ無知であることの方が罪です」
 クラウンベリーおじさんは、いつも饒舌だ。そこには不思議な説得力があった。
「これを貴方に差しあげましょう」
 彼は、ふたつの錠剤をパラフィン紙に包んで手渡した。キャンディーのように見えなくもない。
「サービスです。ただし、絶対秘密にしておいてください。こいつは違法行為になります」
「受け取れません」
「それでは捨ててしまってけっこう。これくらいの量では中毒にはならないし、後々料金を請求するつもりもないことだけは云っておきます」
「貴方を疑っているわけではないんです」
「判っています。君は、いい子だ」
 突然、おじさんの口調が変わった。「他の庭の管理者ときたら、傲慢でとりつくしまのない連中ばかりでね。
この庭は唯一、心が和む場所だ。私は君に逢えるのがたのしみなんだよ」
 口調が砕けてくると、身近な兄のような感じがしてくる。
 白状してしまうと、本当は、レイは少しこのおじさんに惹かれていた。
 時折見せる素顔は端整でなんと云っても頭がいい。彼の深いバリトンは、聞いていると気持ちがよくなってくる。
それに、時折垣間見せるあの物憂げな表情。
それは露骨に心臓を突いてくる。            
「陶酔」とか「心酔」とかいう言葉を、少年が知らないのは不幸な事実だった。
おじさんの持つ独特な波動に、すっかり毒気を抜かれていた。
 少年がここまで警戒を解くのは珍しいことでもあった。        
 周りの女性たちはみんな文句なしにやさしい存在だったが、やはり時には、同性の力に頼りたくなることもある。
(もっとも、カルパントラばあちゃんなんかは、オールマイティーで頼りがいがあるのだけども)
 レイは、心のどこかで兄のような存在を求めていた。
 クラウンベリーおじさんは、それにぴったりの人材だった。

「私は君に、ちょっとしたプレゼントをしたかっただけだから」
「貴方は、これを使用したことがあるんですか」
 おずおずと少年が聞いた。
「ありますよ。ただ、私は重大な過失を犯した。場所と時間を選ばなかった。おかげで、大衆の面前で大恥をかきました」
「それって、一体どういう…」
 そこへローズがやってきたので、ふたりはすばやく「商談中」の顔を作った。
「クラウンベリーさん、娘が戴いたものはなんでしょうか」
 何故かヴィオラは、それを秘密にしておきたいらしい。自分の部屋に入るなり鍵をかけてしまった。
「ラズベリーのバスキューブです」
 おじさんはにっこりと笑って答えた。



 『Bad Trip』へ続く 



           
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アンとサーシャ 『未来』

2019-04-29 | 秘密の花園 別章
「それでね、サーシャが外の世界に連れて行ってくれると云うのよ」

無邪気な娘の笑顔に、シェフレアは笑顔でうなづいた。

「わたし、外の世界で誰にも遠慮せずに歌えるの」
「良かったわね、アンジェリカ」

母親に頬を撫ぜられたアンジェリカは、少し心配になって言葉をつぎ足した。

「母様も一緒に行こう」

しかし、シェフレアは首を振る。
彼女はこの国のシステムを全て理解していた。
庭の剣士が、乙女を連れて国外逃亡を図るのは、想像以上のエネルギーを要する。
そこに自分が加わることは、現実問題として、不可能なことなのだ。
可能性の幅を広げるためには、自分はこの地にとどまった方がいい。
それが、娘の未来につながるのなら。

「私は外の世界には興味がないから」

シェフレアはそう云って本心をごまかした。

「この世界にいた方が、楽でいいわ」
「でも母様、サーシャがいなくなるのよ。SEXPARTNARを失って、大丈夫なの」
「本当にませた子供ね、貴女は」

シェフレアは苦笑した。

「相手はいくらでもいるわ。それにあれは、サーシャの思いやりに過ぎないのよ」

アンジェリカは、不思議そうな顔をして聞いていた。

「うまく受精すれば、私は毎月あの冷たい椅子に座る義務から解放される」

母娘は、しばらく見つめあった。

「あれは単なる仕事。心を重ねているわけではないの」

時折、あの子は心まで求めることがあったけど。シェフレアはそれを秘密にした。

娘はほんのりと頬を染めてうつむいている。

「判るでしょう、アンジェリカ。サーシャは私たちに希望を与えてくれる。
あの子の愛に気づいたなら、貴女はあの子に従うべきだわ」


国外逃亡の計画を最初に打ち明けた相手は、もちろんカルパントラだった。
サシオンから話を聞いたカルパントラは、思わずのけぞって笑った。

「それで?」

老婆は泪をぬぐいながら、サシオンに問い返した。

「おまえは、いつ、どんな方法でこの国を出るつもりなんだい?」

サシオンにはまだ具体策がなかった。
「よく判らないので教えてください」と云う剣士に、カルパントラは、ますます笑い死んだ。

「乙女を連れ出すには、生け垣の鍵を外す必要がある。そういうことはなにも考えてないわけだ」

いくら笑われても、耐えるしかなかった。
この世界で頼れるのは、この老婆だけだ。

「どうか、ご指導を」

サシオンは深々と頭を下げた。

「まあ、いい」

カルパントラは、散々楽しんだ後に、ようやく承諾した。

「おまえたちは、この国の未来を変える。特別に秘密を教えてあげよう」

カルパントラの秘密は、サシオンではなく、アンジェリカに伝授された。




「冗談ではないわ。死んでもそんな言葉を口にするものですか」

カルパントラの話を聞いたアンジェリカは、ひどい拒絶反応を示した。

「だけどすぐにでもこの庭を出ると云うのなら、この暗示呪文を使うしか手はないよ」

老婆は楽しそうだ。
アンジェリカは、かつがられているのではないかという不安をぬぐいきれない。
この老婆は、思いの外、悪戯好きだったりするのだ。

「お上の催眠システムは複雑かつ巧妙でね、解読するのも容易なことではないんだよ」
こんなおばあちゃんが、入手できる情報などこの程度のもの」

アンジェリカは、「鍵の解除呪文」の一例を眺めやって、嘆息した。

「考案者の神経を疑いたくなるわ。ラベンダーではないでしょうね」

カルパントラは微笑した。
谷の血は、少しずつでも外へ逃がしてやる必要も生じてくる。
《中央》にはこうやって、故意に秘密を漏洩させる反対勢力も存在するわけだ。
そしてまた、その機に乗じる第三者も介入してくるから話はややこしい。
カルパントラが入手した解除呪文には、ふたつの効力が内包されていた。

「この呪文には副作用がある。そちらの作用を封じる呪文までは判らなかった。
後のことは自分たちで処理するようにね」
「まずはこれを唱える側の気がふれるわ」

アンジェリカはすでにおかしくなり始めていた。

「おまえの庭が用意されるまでに急がなくてはね。
迷ってる時間はないよ。箱庭の意図は《上》に筒抜けだ。
おまえたちの企みに、連中は気づきはじめている。
新しい鍵をかけられたら逃げ場はないよ」

アンジェリカはしばし思案した。

「おばあちゃん、これ、歌にしても構わない?」
「問題ないでしょう。大切なのは、思念よ」
「歌にすれば、少しはやりやすいかも」

少女は笑った。彼女が少し表情豊かになったことに、カルパントラは気づいていた。

「サーシャに変に勘違いされても困るしね」


睡眠時に語りかけても効果があるというので、アンジェリカはその機を待つことにした。
いくらなんでも、面と向かっては口にしたくない言葉の羅列である。
あきれ返るほどサシオンはよく眠る体質だった。
しかも、一度眠るとなかなか覚醒しない。
昼食のあとは、大抵、庭木の下で昼寝をする。
彼が眠ったのを確認して、アンジェリカは用心深く近づいて行った。
本が落ちている。
『天使の歌声』
アンジェリカは何故か、胸がキュッと痛くなるのを感じた。
こんなにまじまじと、彼を眺めるのは初めてだった。
きれいな顔立ちをしている。
もう少し丁寧に、髪の手入れをすれば、もっときれいなのに。

そして、おずおずと、歌いはじめた。


愛だけが この空洞を満たす

オアシスの縁に それは 芽吹いた

身体が熱くなって、自然に涙がこぼれた。

この感情は、何…?


私を 呼んで カギを外して

私は 誓う

防衛手段のない 王国に立ち

タブーに 挑もう

貴方が教えた この血の 教示に従って


突然、サシオンが目を開いた。
孔雀石の眸に射られたアンジェリカは赤面した。

「誤解しないで、これは、ただの歌なのよ」
「泣いてる」
「これは…」

しかし、彼は聞いていないらしい。手首をつかまれると、
力まかせに抱き寄せられた。
アンジェリカはたちまち恐慌をきたした。

「離せ…」
「ダメだ、俺は恋に落ちた」
「ふざけるな」
「おまえはやはり、天使だったんだな」
「寝ぼけているの?」

そうらしかった。
サシオンはそれだけ云うと、パタリと力を抜いた。
アンジェリカは飛び起きて、彼から離れた。
冗談にもならない事態が起こっていた。
この呪文の副作用は、呪文を唱える側にも作用するのだろうか。
意志に反して、泪が止まらない。
果てしなく愛の告白に近い、暗示呪文。
まるで、頭のいかれた人間が書いたような散文なのに、胸が熱くなる。
自分ならもっとまともなものが書ける。
こんな下らないものに、意識をかき乱されるなんて。
耐えがたい侮辱を受けたような気分だった。

「…これが恋なんて、誰が認めるものですか」
アンジェリカは泣きながら、サシオンの胸の上へ倒れこんだ。
とても抵抗できないほどの、睡魔が襲ってきた。
こんなに泪が止まらないのに。

でも。

確かに、『鍵が外れる音』を聞いていた。


作動させてはならない想い。
わたしたちはきっと、ずっと以前から心を重ねたかった。
大地として生きるわたしは、天水としての貴方を必要とする。
わたしがこのボディに抱えこんだ種を育みたいと、何よりも願うの。
貴方はそれを理解している。
わたしのことで判らないことなんて、何一つないくせに。

わたしたちの未来に、誰が罠を仕掛けたのだろう。
なんて素敵な魔法を用意してくれたの…?




サシオンがアンジェリカを呼んでいる。
部屋にも庭先にも、彼女の姿はなかった。
シェフレアはのんびりと花壇の手入れをしていた。
麗らかな午後。
風は少し、雨のにおいを含んでいる。
予想通り、少女はテーブルの下にいいた。
譜面を抱えて眠っている。

「アン、目を覚ましなさい。外へ出たら、眠りたいときに眠るなんて贅沢はできないぞ」

サシオンは、静かにアンジェリカの肩を揺すった。

「ほら、頑張って目を開けて。カルパントラに胎内時計を修正するように云われているんだろう」

アンジェリカは苦しそうに薄目を開けた。

「サーシャ…」
「眠気覚ましにお茶でも飲んだら。それとも庭で剣術の指導でもしてやろうか」

うっすらと、彼女は笑った。うっすらと、泪を浮かべて。

「本当は、わたし、すごく怖いの。外へ出て、わたしたちうまくやっていけるのかしら」
「なにを今更」

サシオンは呆れながらも、アンジェリカを抱きしめた。

「心配するなって云っただろう、絶対にお前の『秘密の花園』を探してやるよ」

アンジェリカは、幼い女の子のようにサシオンに抱き着いた。
彼女はちゃんと約束を守っていた。
素直に、怖いことは怖いと云えるようになった。
驚くほど、少女の表情は穏やかになった。
その変化を、シェフレアも、サシオンも心底嬉しく思っている。

「アン、外の世界いで沢山歌えるといいね。おまえは地球を救う歌姫になるかもしれないよ」

それが、故郷を捨てる前日の出来事だった。






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アンとサーシャ 『丈比べ』

2019-04-29 | 秘密の花園 別章
《医務局》へ向かう道すがら、アンジェリカは珍しくサシオンに甘えた。
手をつないで欲しい、と云われた時は、かわいいと思ったものだ。
しかし、それは彼女にとって異常な状態。
普段決して、弱みを見せない少女が、なにかに縋りつきたくなるほど、怯えていたいたのだ。
サシオンは何度も、その理由を問いかけた。
しかし、アンジェリカはついになにも云わずじまいだった。


『丈比べ』を終えたアンジェリカは、見ようによっては平然としていた。
いつの間にか、白い病棟服に着替えていた。
診療室から出てきた少女は、引率係のプリムラに笑顔さえ向けていた。

「これからちょっとした授業を受けさせるから」

プリムラがサシオンに告げに来る。
アンジェリカは、、何故かサシオンとは目を合わせなかった。
使用していた診療室から、ドクター以外の人間までもがぞろぞろと出てきた時には、
さすがのサシオンも驚いた。
あれは明らかに《研究院》の学者たちだ。
その時になって初めて、嫌な胸騒ぎを覚えた。

何故、守人の自分が踏みこんではならない領域に、
まるで赤の他人の学者たちが大勢呼ばれていたのか、考えてみれば理不尽なものを感じる。
それに自分は『丈比べ』の真意すら知らないでいる。

サシオンは意を決して、診療室のドアを開けた。

そこに居残っていたのは、《医務局》のDr、ヴァレンシアと《研究院》のラベンダー博士だった。
カルテをのぞきこんで話をしていたふたりは、
突然の侵入者に驚いた様子だったが、すぐに笑顔で取り繕った。

「やあ、Sion。君の庭の乙女は合格点に達した。おめでとう。すぐに新しい庭を与えられるよ」

ラベンダー博士が朗らかに云った。

「おめでとうございます。あの子は稀に見る健康体でした。いい母親になるでしょう」

Dr、ヴァレンシアも笑顔である。
しかし、どうしたってサシオンは笑えなかった。

『丈比べ』の内容を教えていただきたい」

単刀直入に云った。
途端に、ふたりの表情が硬くなった。その沈黙は長かった。
やがてラベンダー博士が、ドクターに何事か耳打ちした。
ドクターは、なにかを承諾した様子だ。
彼女がうなずくと、ラベンダー博士は黙って部屋を出て行った。

「よろしい、そこにおかけなさい」
Dr,ヴァレンシアはサシオンを促した。

「これは単純な身体測定とは意味が異なります」

彼女は、アンジェリカに使用した医療器具を持ってきた。」

「もちろん、基本的な計測は行いますが、本来の目的は乙女が妊娠可能な器官を持っているか調べるものです」

目の前に置かれた器具を見て、サシオンは一気に血の気が引くのを感じた。

「卵を採取する必要があるので」

Dr,ヴァレンシアは、見ようによっては非難をこめた眼差しをサシオンに固定したまま、

「多少の苦痛は伴います」

彼女の目は云っていた。男にこの苦痛を理解するのは無理だろうと。

「個人的な意見を述べさせていただけるのなら、確かにこの『丈比べ』には問題点が多い。
多感な年ごろの乙女の精神衛生についてです。私たちドクターは、再三そのことについて意見を述べてきました。
しかし、遺伝子管理を担う《研究院》は、なかなか私たちの主張を受け入れようとはしない。
このシステムに、両局の協力は必要不可欠です。私の一存では通らないことも多くてね」

サシオンは身体が震えだすのを止められなかった。

「これを、彼女の胎内に」
「その通りです」

Dr,ヴァレンシアは声に力をこめた。

「これが、女たちに課せられた義務なんですよ」
「だけど、アンは…」
サシオンは云いよどんだ。「その、乙女の純潔の証は、どうなるんです」

「そんなものが、《研究院》の学者たちを前にして、何か意味を持つとでも?」
「しかし、彼女の気持ちは」
「乙女の気持ちも、純潔の証も、彼らにとっては、無意味なものなのです」

サシオンはようやく理解した。
しかし、事は起こった後だ。
アンジェリカは、救いの手を求めていたのに。

「あの娘の、精神的ケアは貴方に任せます」

急にDr,ヴァレンシアの口調が穏やかになった。
彼の心情を察したのだろう。

「ここまで踏み込む剣士様は珍しい。頼みましたよ。あの子はとても傷ついています」




頼むと云われても、サシオンはどう切り出していいのか判らなかった。
庭園に戻る道を辿りながら、しばらくふたりは無言だった。
アンジェリカは、前を歩いている。
滅多に箱にはを出られない乙女が、珍しい外の風景に全く無関心になっているのも気になった。
彼女は傷ついているのだ。
酷い苦痛を味わった。
それも大勢の男たちに囲まれて。
そして、純潔の証まで奪われたのだ。
それはどれ程の屈辱だっただろうか。
散々迷い続けたサシオンの口から、最初にこぼれ落ちたのは、謝罪の言葉だった。

「ごめんよ、アン…、俺は何も判っていなかった」

アンジェリカは歩みを止めた。

「多分、真実を知っても、本当のお前の苦しみは理解できない」
「わたしが何をされたのか聞いたのね」

アンジェリカは怒りに震えながら、振り返った。

「そうよ。貴方は、何も判らない」

突然、険しい表情が崩れた。

「助けて欲しかったのに」

そこにあるのは、本当に十三の少女らしい素顔だった。

「どうして助けてくれなかったの!」

アンジェリカは堰を切ったように泣き出した。

「わたしは、貴方にすがるしか術がないのに!」

少女の慟哭は、樹海中に反響した。
樹木という樹木が、彼女の哀しみに同調した。
その哀しみの衝撃波の中で、サシオンはこの身を砕いて欲しいとさえ思った。
最初から判っていたなら、ここへは連れてこなかったのに。
できるなら、代わってやりたかった。

「ごめん、アン…」

サシオンはアンジェリカを抱きしめた。
少女は怒り狂いながらも、自分に縋りついてくる。

「もうこれ以上は、絶対におまえを傷つけない」

それからふと思い出して、ポケットの中のマシュマロを取り出した。
シェフレアが持たせてくれた、彼女の好物だ。
シェフレアも、十三の節目に、この屈辱を味わったのだ。
だけど、性別の壁はどうしたって超えられない。
例えいくら話し合ったとしても。
それでも、歩み寄る努力だけは、怠ってはならない。

「アンも、約束してくれるかい?」

マシュマロを握らせながら、サシオンは云った。

「もう隠し事はやめよう。おまえの弱いところも、全部俺が引き受けるから」

それから、唐突に胸に湧いてきた考えを、ひとつの約束に変えた。

「アン、この国を捨てようか」

それは枯れ果てた大地の深部から、自然に湧きだした水源のような想いだった。
水が高い方から低い方へ流れ落ちてゆくように、自然に湧きだした感情だった。

「外の世界で歌わせてあげる」

その想いは、緑を育む力に変わる。
無自覚なままに、サシオンは云った。

「約束するよ、アン。俺を信じなさい」




『未来』に続く

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アンとサーシャ 『決闘』

2019-04-27 | 秘密の花園 別章
アンジェリカは、自分の誕生日を自ら「決闘」の日と決めたらしい。
生け垣越しに、カルパントラから剣術の指導を受けている少女を見て、
サシオンは次第に気が滅入ってきた。
彼女は本気だ。
誕生日が、自分の命日になる可能性だってあるのに。
もちろん、サシオンには乙女を傷つける気などなかったが、
扱うものが真剣である以上、予想外のことだって起こりうる。
少女の気性の激しさは、自分の血に由来している。
だからこそ、サシオンはその日が怖かった。
一度剣を握ったら、自分だってどこまで正気を保っていられるか判らない。
刺しちがえて死んだら、それこそお笑いネタだ。
指導に訪れるカルパントラは、この決闘についてどう考えているのだろうか。
サシオンと視線が合っても、特に何も語らなかった。
一番不可解なのは、シェフレラだ。
まさか、本気で娘が勝てると信じているわけではあるまい。

「娘が賭けているのは純潔だぞ。少しぐらい取り乱したらどうなんだ」

サシオンは落ちつかない気分で、決闘当日を迎えた。



「何故、普段着でいるの」
剣を手に、向かい合った時の、彼女の第一声がこれだった。

「わたしをなめているわけね」
「そんなことはありません」

サシオンは真面目に答えた。
アンジェリカは、数年前までサシオンが着ていた戎衣を
どこからともなく引っ張り出してきたらしい。意外によく似合っていた。
長い髪は高い位置でひとつに結ってある。
サシオンは、中でも一番ラフな長衣で、、髪もほどいたままだった。
バカにされていると糾弾されても、文句は云えない。
「そちらは凛々しいね。その服を剥ぐのが楽しみだ」
嫌味のひとつでも云ってもバチはあたらないだろう。
アンジェリカは、顔色ひとつ変えなかった。
サシオンを凝視しながら、何かブツブツと独り言を云っている。
寒気がしてきた。
ふたりがしばらく対峙していると、シェフレラが出てきて、
キルトの布を芝生の上へ広げた。
お茶とお菓子を並べて、まるでピクニック気分だ。
サシオンはますます嫌な気分になった。

「約束よ、サーシャ」

アンジェリカが云った。「わたしが勝ったら、貴方は《中央を》を敵に回すのよ」

「承知した」

少女はサシオンを睨みつけながら、真剣を抜く。

「やめるなら、今のうちだぞ」

サシオンの最終警告は、届かなかったらしい。
覚悟、と叫んで少女は剣を振り上げた。

予想通り、彼女は隙だらけだった。
しかし、予想以上の気迫と、パワーがあった。
一切の手加減なしに、がむしゃらに突っこんでくる。
間違いなく本気だ。
殺意を感じた。
それだけで、ピリピリと緊張が走った。
やはり、長衣では動きづらい。
しかし、相手は細腕の乙女だ。
これくらいのハンデがなければ、フェアじゃない。
攻撃をかわしながら、サシオンはこれからどうしたものかと思案した。
隙をみて、みねうちにする。
手首くらいは折ってやるのが礼儀だろうか。
それとも、脱臼あたりで勘弁してやろうか。
問題は明日に『丈比べ』を控えていることだ。
下手に負傷させて、叱責をくらうのはこの自分。
生け垣の向こうにカルパントラが立っていた。
にこにこしながら見学している。
笑い事じゃないのに。
その横にはレイがいた。
こちらは、事の重大さを認識しているらしく、
腕を振り回して叫んでいた。

「やめろ、サシオン! 乙女に剣を向けるなんて何事だ!!」

少年の動揺ぶりがおかしかったおかげで、ふと集中力が乱れた。
アンジェリカはその隙を突いた。

「本当にバカね」

彼女は、意外な霊力を放った。
凄まじく熱く、激しい圧力の塊が、サシオンを吹き飛ばした。

…なるほど。その手があったか。

失神寸前だった。

「殺してしまいなさい、アンジェリカ」

シェフレアが云った。

「命令しないで!」

アンジェリカはが叫んだ。「云われなくても殺すわ」

殺される。
女にやられるなんて。
人生は何があるか判らない。

しかし、止めの瞬間はなかなおとずれなかった。

薄目を開けると、アンジェリカが仁王立ちになっている。
剣の先は、心臓の上。

やれるものならやってみろ。
サシオンは心の中で云った。
アンジェリカは、青い顔をしている。
できるわけがない。
それは確信に変わった。

サシオンは目にも止まらぬ速さで、乙女を一蹴した。
ここは手加減するわけにはいかない。
アンジェリカは、芝生の上に倒れこみ動かない。
気を失っている。
その時になって、はじめてシェフレラが動いた。
「アンジェリカ」

娘のもとへ駆けつけてきた母親を、サシオンはぞんざいに追い払った。

「残念だったな。娘の純潔はもらった」

サシオンはアンジェリカを抱き上げた。

「一瞬の迷いが命取り」

シェフレアは追ってはこなかった。

「どうせ、明日は丈比べよ」

それだけを呟くように云った。





目を覚ましたアンジェリカは、自分が寝台に横たわってるのに気づいた。
サシオンが椅子に座って自分を眺めている。
これまでの経緯を思い返して、カッと身体が熱くなった。

「もう済んだの」
「いや、まだ何もしてない」
「どうして、意識がないうちに済ませてくれないのよ」
アンジェリカは枕に顔を埋めて、恨み言を云った。

「鬼、悪魔、舌を噛み切ってやる」

サシオンはため息をついた。

「本気でそんなことをすると思ったのか」
「わたしは本気だと云ったでしょう」
「では、何故止めをささなかった」

アンジェリカは沈黙した。
サシオンは一気に、感情の抑えが効かなくなった。

「俺はおまえを愛している。ヴィオラなんてレイにベタベタなんだぞ。
俺だって精一杯の愛情を注いで育てたつもりなのに、どうしてこんなことになるんだよ。
俺に不甲斐なさを感じるなら、正直にそう云えばよかったんだ。おまえはいつだってそうだった。
全部自分で抱えこんで、不満ばかりを募らせる。云わなきゃ判らない方が多いんだぜ。
そうだろう。俺はおまえが望むことだったらなんだってできる。
《中央》の方針が気に入らないなら、俺がつぶしてやるよ」

サシオンの剣幕に、アンジェリカはすっかり戦意を喪失していた。

「外に出たいと云うなら、どうにかしてやる。見返りなど求めるものか」
「でも、明日は丈比べよ」

アンジェリカの声は震えていた。

「それがどうした。女たちは一体何に怯えているんだ」

サシオンは少女の手を握った。

「話してみろ」

アンジェリカは何度か、口を開いては閉じるのを繰り返した。
必死に言葉を探しているようだ。
サシオンは辛抱強く待っていたが、ついに彼女は何も語らなかった。

「男に何が判るのよ」

サシオンの手を振り払った。

「もう何も話したくない。出て行って」


そして、翌日は予定通り『丈比べ』が行われた。







『丈比べ』に続く





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