文庫 麦わら帽子

自作小説文庫

緑の指と 魔女の糸 「余波」

2016-06-19 | 小説 緑の指と魔女の糸 シ

凜が 保育園に通い始めた。

初めての集団生活に怯えていたけれど、

一日で、とても仲の良い友人を作って帰ってきた。

男の子で、夏川君という。「夏ちゃん」と凜は呼んだ。

保育園に着くと、先に来ていた夏ちゃんが飛んでくる。

「おはよう、凜ちゃん。待ってた!」

子猫みたいな子供だ、と、私は笑った。

「母さん、行ってきます」

凜が彼と手をつないで行ってしまうと、私はもうすることもなく、

ゆらゆらと、街を探検しはじめる。

事情があって、私はまだ、普通のお母さんのようには働けない。

一応、内職という名目で、パソコンでお金を稼いでいた。

丸一日も時間はいらないから、ほぼ、こうして街を歩いている。

凜の元気な声が遠ざかると、また、ピアノの音が聞こえてきて、

私の頭のなかいっぱいに広がった。

煩わしくて、時折、癇癪を起したくなるのだが、理由は判っていた。

今日は、街の小さなピアノ教室の前で、レッスンする音を聴いた。

「弾くなら、トルコ行進曲がいいかな」とひとりごちる。

それから、日陰のベンチに座って、しばらくピアノの曲を聴いていたのだが、

人ならぬものが、ひっそりと寄ってきて。 

…はああ。

人の霊魂なら、それなりの気配がある。

人の名残というか、人らしいもの。

どうやらこれは、妖の類だ。

焦点を合わせないようにした。

妖は、実に様々な形をしていて、未だに慣れることはない。

驚いて悲鳴を上げるほど、奇抜な形をしていたりするから、あまり見たくないのだ。

しかし、悪意は感じられないから、きっと、悪戯はしないタイプの子だろう。

そっと相手の足元を見ると、透き通った、人の足に似たものがあった。

消えかけている。

『そばに いっても いい?』

それは云った。『わたしが みえるのでしょう? わたしは もうすぐ きえるの』

「そう。どうぞ、隣へ」

『せっかくの妖力が あまってしまっているの

だから さいごにわたしにきづいてくれた

あなたに これをあげようとおもう』

消えそうな足が近づいてきて、淡く光る光の玉を渡された。

『あなたが いま いちばん ほしいもの。 あなたに あげる』

「何故、私なんかに?」

『ただ きえてしまうのは おしいでしょう?』

しばらく、黙っていた。その間に、妖は消えた。

音も立てず、声も上げず、誰にも知られず、風さえ揺らさず。

渡されたものは、長い長い半紙だった。白い半紙。巻物のように巻いてある。

「これが、今、私が一番欲しているもの?」

変な子…。

ピアノの音は、いつまでもなり続けた。



凜が帰ってくると、一気に部屋の空気が明るくなる。

今日も、夏ちゃんと沢山遊んだこと、新しい友人ができたことを話してくれた。

私は、今日会った妖の話をして、もらった半紙を見せた。

妖のことは、凜には隠さないでいることにしている。

「これが 母さんの欲しいものだって云ったの?」

「うん、そうなの。でも、意味がよく判らなくて。捨てることもできないし、

どうしたらいいのか、困ってるのよ」

「母さん、今日は一日、何していたの?」

「ん? … まず、少し仕事して、それから、この妖に会ってから、

ずっとピアノを聴いていた、かな」

「ピアノが弾きたいの?」

「うん。そもそも、私の意志ではなくて、

この前浄霊した女の子の思念が、残ってしまっているみたいなの」

「母さんのなかに?」

「母さん、ダメね。まだまだ、修行が足りないわ。

こんなことに振り回されちゃってるの」

その時、凜が厳しい表情になって、力強く云った。

「こんなこと、なんかじゃないよ」

そして、半紙をしばし、眺め、まるで宝物を見つけたような子供の顔になった。

「これ、ピアノだよ! 母さん!」

え…? 半紙が、ピアノ?

「保育園でもやってるよ。ピアノをみんなが弾きたがるの。

でもピアノはひとつしかないから、順番待ってる子は、紙のピアノで練習するの」

鍵盤を描くんだよ。

凜は、首尾よく物差しとペンを持ってきて「やろう!」と笑顔だ。

私たちは、時間も忘れて半紙にピアノの鍵盤を描きこんだ。

凜は、白い鍵盤の上に、小さな花のシールを貼った。

それをローテーブルに張り付けて見ると、本当にピアノを作ったような気分になった。

… 弾きたい。トルコ行進曲を。

「…凜。母さん、一か月だけ、ピアノ習っていいかな。

そうしたら、きっと本当に終われる気がする」

凜が、いつものように元気にうなづいて、私は、一か月の間に、

トルコ行進曲を弾けるように努力することになった。

先生のもとで一時間、帰ってから紙の鍵盤で、何時間も、

私は、目標のトルコ行進曲を練習し続けた。

妖がくれた、不思議な半紙は、指が触れて、声に出す調べを、

本物の音色に代えてくれた。

ありがとう。こんな素敵な贈り物を、私なんかに。

鍵盤を叩きながら、涙ぐむときもあった。

この一か月の間に、

不動産屋の猫平さんが数回、お茶をしにやってきた。

今度、商店街の人たちで飲み会があるから、是非、来てくださいと誘ってくれた。

凜は、夏ちゃんと保育園に通うことになった。

通遠路の途中だからと、夏ちゃんのお母さんが凜を迎えにきてくれた。

私に、初めて友人といえるべきひとができたのだ。

私は、自分でもどうかと思うくらい、必死にトルコ行進曲に没頭した。

私のなかに残った、彼女の残骸。

私は何処かで、彼女を引きとめておきたいと願ったのだろうか。

あの家族が、愛しくて。

もう本当に、終わりにしなくてはならないというのに。

例え、100年かかっても、あの母子を再会させなくてはならないのに。

本当の意味で、二人が抱擁できるように。

私が、紙の鍵盤を叩きながらメロディーを歌うと、凜も歌う。

紙が、甘味なる音を奏でる。

トルコ行進曲は、激しい音楽だ。

華があり、熱があり、全ての情念を焼く気尽くす。

最期の、最期の未練よ、焼き尽きるがいい。

私が、焼いてやる。私が、焼いてやる。私が、焼いてやる。

不安、焦燥、絶望 …、全てを燃やせ。

「燃え尽きろ…!」

私は、渾身の力で弾き続けた。




一か月後。

最後の仕上げは、先生のお宅のピアノをお借りした。

凛と、夏ちゃんと、先生、それと、猫平さんが同席した。

私の指は、もはや、楽譜も鍵盤も見ずに、自然に踊る。

何か熱いものが、傍にあった。

これは、あのお嬢さん?

それとも、半紙をくれた妖?

ノーミスで、全ての音符を叩いた。

西の空はオレンジで、カーテンもが、オレンジ色に染まって揺れていた。

凜が、いつものように、手を合わせているのだろう。

教えたわけではないのに。

全身を振るわせて、私の演奏に同調している。



演奏の途中で、

思いがけない、声を聞いた。

「お前に、子を産める力があるものか」

いつもの、取りつくしまもない冷たい言葉。

「産んだとしても、お前が、その子を護れるのか?」



私は、産んで見せる。

そして、護ってみせる。

そして、この業を、粉砕してやるわ…!



いつ、演奏が終わったか気づかなかった。

目を開けたら、応接室のソファーに寝かされて、凛が傍にいた。

「終わったよ、母さん」

凜が、微笑む。その横に、夏ちゃんの心配顔。

「おばさん、演奏が終わった途端、倒れて…びっくりしたよ。大丈夫?」

いつものことなの。

答えたのは、凛だった。「母さんは大丈夫。強いから」

凜は、いつも冷静だ。それが何より、心強かった。

「大丈夫ですか、紫さん…」

猫平さんも、心配そうにのぞきこんでくる。

私の心は、平穏に満ちていた。

「大丈夫です」

安堵の涙が、溢れてくる。

ひとつの魂を、(いや、正確には二つ)見送るのは、容易じゃない。

でも、私は狂うことはなく、凛がここにいる。

護れた…。

今回も、どうにか、護れた。

いつか、テレビで観た。大好きになった、スーザン・ボイルが、

歳を聞かれて「47歳よ」と答えて、会場が沸いた。

彼女は続けた。「それは、私のほんの一面だわ」

あの時の感動が、思い起こされる。

夢が破れる歌を歌って、彼女は、夢を拓いた。

あの時感じた感動が、私を満たしていた。


愛は、永遠だと、夢見ていた …。


この時は、まだ気づけずにいた。

「 けれども 夢は叶わず また 思いがけない 嵐 …

私の人生は 夢  だからこんなはずじゃなかった … 

人生は終わった 夢 破れて 」


でも それが  私たちにとって 素晴らしい人生となるのだ。




その日。

家に帰ってから、凛の伸びてきた前髪を切った。

右の、生え際にある痣が、色を増していた。

「母さん、魔法の契印の印は、強くなっていますか?」

凜が、無邪気に聞いてくる。

「そうね。次第に、強くなってるわね」

私の本心にはきづかず、凜は喜ぶ。

「いつ、魔法は発動しますか!?」

「そうね。もっと、身長が伸びて、体重が増えて…、

魔力に体力が持つくらい丈夫な体に育ったら。

だから、お肉も、お魚も、野菜も、

沢山食べなきゃダメ」

凜はすぐに、眠りに落ちた。

私は、恐々と、凛の人差し指を、床に押し当てた。

すると、そこから緑が吹き出し、

あっという間に、天井まで達したのだ。

私は、慌ててその力を封じた。

天井から、ピンクの花が落ちてきた。

スイートピー。

雪のように、ひらひら、舞い落ちる。

その花を受け止めながら、私は静かに落涙した。

スイートピーの花言葉は、

「 門出  別離  優しい思い出 」

私は、凛の小さな手を握りながら、しばらく泣いた。

凜は、『緑の指』を、受け継いだのだ。

母様。

私は、この子の人生が、ありきたりに幸せなものであるように、

心から、願う。

力など、必要なく、人間として、ありきたりの人生を望む。

護ってみせる。

燃え尽きるような、人生ではなく、

長く、普通の人生であるように。

長く、長く、

普通の人生で、あるように…。



緑の指と 魔女の糸 「余波」 完



























































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緑の指と 魔女の糸 「カノン」

2016-06-18 | 小説 緑の指と魔女の糸 シ


借主の保証人は、長崎の女性、母親だった

紫(ゆかり)さんにせかされて電話すると、疲れたような声で電話に出た。

そこで僕が、新しく部屋を借りる七字 紫さんを紹介し、

紫さんと電話を替わる。

彼女は、単刀直入だった。「無理なのも、辛いのも判ります」

静かに諭すように云う。「でも、来てください。飛行機に乗って、来てください。

必ずバイオリンを持って」

紫さんは、結構押しが強いということは判ったが、

事情は全く判らない。余計なことは云わない。

ただ、やらなければならないことがあり、

それが、亡くなった娘さんの為になるから、と云うだけ。

自殺した娘の住処に、親が来たがらないのは判りすぎている。

でも、そこを押し切って、紫さんは電話を切った。

「あとは、待ちましょう」

…それだけ。

しかしである。母親はやってきた。

はるばる長崎から、指示された通り、バイオリンを持って。

銀髪のロングヘアをひとつにまとめて、黒いスーツを着た、年老いた母親である。

紫さんは、いつも通り、おいしい紅茶でねぎらってから、

娘さんの残した日記を見せた。

母親を泣かせたのは、「最後にお母さん、会いたかった」というくだりだろう。

あの女の子は、最期の最期に、お母さんを想ったのだ。

「お母さんに 会いたかった ごめんなさい お母さん」

「判りました」と お母さんは云った。「この子が、何をしたかったか」

「では、お願いします」

紫さんが、そっと促すと、彼女は田んぼの見える窓に向かって立った。

バイオリンを、構える。

彼女が奏ではじめたのは、パッヘルベルのカノンだ。

僕らは、彼女の後ろに座って、黙って聞いていた。

紫さんは、目を閉じ、少し俯きながら。

凛ちゃんは、小さな手を合わせている。

僕は、目頭が熱くなってきた。

隣りから、鼻をすする音がすると思ったら、

凛ちゃんが、一心に手を合わせながら、大粒の涙をこぼしている。

僕の涙腺は、美しい旋律の中で、崩壊した。

情景が、見えるようだ。

母子家庭だったふたり。

懸命に働きながら、母親は、娘にバイオリンを習わせた。

やがて、生活に余裕ができると、母親もバイオリンを買った。

二人は、よく、この曲を弾いた。

辛いときも、哀しいときも、きっと、いつか幸せな時代がくるときも。

ここと同じような小さな部屋。

西日の入る窓。オレンジ色に染まる、空と空気。

二人の影が、濃く畳に落ちて、音色は近所にも響いた。

立ち止まり、聞き入る人。

そろそろ、人々が家路につく時間。

帰る場所が同じだったふたりが、やがて、別れる。

一人、部屋に残された母親が、嗚咽をもらしている。

旅立った娘も、人目を気にしながら泣いていた。

でも、また、会えるから。

帰ってくるから。結婚したら、長崎に帰る。

お母さんのそばに、帰るから…。

白い光が、バイオリンを奏でる母親の肩先に集まりだし、

次第に人型になっていった。きれいな、女の子だった。

甘えるように、母親の方に、よりかかっているように見える。

風が入ってきて、彼女の髪が揺れ、

髪の先から、今度は壊れはじめた。
 
「身はここに、心は信濃(しなの)の善光寺、

導きたまえ、 弥陀(みだ)の浄土へ 」

紫さんが優しく語り、自分の腕をそっとさすった。

白い光は、全て消えていった。

やがて、演奏が終わり、僕らは本来の目的を忘れて拍手喝采。

涙をぬぐいながら、母親が頭を下げ、

「本当は、娘の結婚式で弾いてあげたかった。一緒に弾きたかった」と云った。

「また、会えます。必ず、会えます」

紫さんが、そっと母親を抱きしめた。

「さあ、もう一度、お茶を飲みましょう」

その後、僕らは4人でアフタヌーンティーを楽しんだ。

三段のお皿に、小さなサンドイッチ、クッキー、

マカロンとスコーンが、色とりどりに並んでいる。

今日の紅茶は、マリアージュ フレールの茶葉で、ミルクティーを淹れてくれた。

僕もお母さんも、スコーンの食べ方は知らなかったが、

凛ちゃんが首尾よく教えてくれた。

スコーンは、クロテッドクリームに、イチゴのジャムをを乗せて頬張る。

もそもそしているけど、口の中では濃厚なクリームと、

ジャムの酸味と、スコーンが革命を起こしていた。

それを、ミルクティーで飲み下す。

うまい。最高にうまい!

「こんなおいしいもの、初めて食べたわ」

お母さんの涙は消えていた。

この部屋は、浄霊の場から、またあの紅茶サロンに変わっていた。

紫さんが、ヴィヴァルティの「春」をリクエストして、

今日は散会となった。

お母さんは、今夜はホテルに泊まり、明日一日都会を観光してから

明後日、長崎に帰るという。

「ありがとう、七字さん。猫平さん。

私は、やっと気持ちの整理がついたような気がします」

お母さんはそう云って、帰っていった。

その日以来、このアパートで怪現象は起こらなくなった。

紫さんは、一体何者だろうという疑問が残ったが、

それは、これから少しずつ判ってくるだろう。

季節は、春。

春、本番。



緑の指と 魔女の糸 ~母と娘と猫平さんの出会い編~ 完

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緑の指と 魔女の糸 「オレンジの日記帳」

2016-06-18 | 小説 緑の指と魔女の糸 シ

部屋を案内した手前、 あの母子が気になってしかたのない猫平さんである。



数日前「異変はないか」と電話したら、紫さんが、

「夜になると、うるさくて仕方ない」と眠そうな声で云った。

「やっぱり出るんですね」

「あの女性のものばかりじゃありませんよ。

この部屋に住んでいた人たちの、恐怖心とか、

不安などの残留意識がうるさいんです」

それで、壁紙も折角きれいだけど、替えてもいいかと云うので、

ご自由にどうぞと返答した。

どうせもう誰も借りない部屋だ。

壁紙も張り終えたというので様子見に行く事にした。

事務のサヤカさんが、凛ちゃんに…と、たくさんのお菓子を持たせてくれた。

昔ながらの商店街を通り、田んぼが広がる未開発地に向かう。

この辺りは、最近、おしゃれなアパートが目立つようになってきた。

誰も、心霊スポットに住む訳がない。

例の201号室の入口には、きれいな円錐型の盛り塩が、ひっそりと置かれていた。

インターホンを押す前に、凛ちゃんが飛びだしてきた。

「猫さん、こんにちは!」

「こんにちはー。新しい生活はどうですか?」

「わたし、やっと、お姫様になれました!!」

その意味は、部屋にお邪魔して判った。

一緒に買いに行った、ピンクのローズラグ。天蓋つきの白いベッド。

部屋は、完璧なまでの姫系の部屋に変貌していた。

白いドレーッサー、猫脚のテーブル、これまた、ピンクのバラのカーテン。

あの日、揃えられなかったものは、全て通販で購入したという。

「うわあ…」

男にとっては、ちょっと入りにくい部屋だ。

「いらっしゃい、猫さん」

紫さんも、ニコニコしながら出てくる。

「お茶飲んでって、昨日、娘とたくさんクッキーを焼いたんです」

まるで、メイド喫茶だ、これ。

落ちつかない!

「食器はわたしの趣味ですが、部屋はもう思い切って、凛の好きにさせました」

ウェッジウッドのスウィートプラム のカップに、香りのよい紅茶が注がれる。

「本日の紅茶は、フォートナム&メイソンのアールグレイをご用意しました」

英国王室 御用達ですね!

「少々語ってもよろしいですか?」

紫さんは、紅茶マイスターか何かなんだろうか。

紅茶に対する眼差しが、普通じゃない。

「アールグレイというお茶のレシピは、実は失われていて、

現在のものは一種の復元なわけです。

だから茶のブレンダーによって微妙に違ってくる。

フォートナム&メイソンのブレンドは、品が良く、強からず弱からず。

ほどよい感じです。のんびりしたい休みの日にゆっくり飲むのがお気に入りです。

ミルクと砂糖はいりますか?」

「では、ミルクを。今まで、いろんな紅茶を飲んできましたが、

こんなに香り高い紅茶があったのかと感動しました」

先程の、メイド喫茶というのは撤回する。

ここは、立派な紅茶サロンだ。

「喜んでいただけて嬉しいです」と、紫さんはにっこり。

「こんな高価な紅茶…、紫さん、お金、大丈夫なんですか?」

「その質問は、無粋です」

「はい、すみません」

「ハートのクッキーはオレンジの味。星のクッキーはプレーンタイプだよ」

凛ちゃんも負けてない。

「うわああ、幸せだなあ…」

僕は、クッキーと紅茶を交互に口に運びながら、心からつぶやいた。

「今度は、スコーンをご馳走しますので、またいらしてくださいね」

「もう、喜んで!」

そこで、僕は話を変える。「ところで、どんな感じですか。…出ますか」

「壁紙を変えたら、静かになりました。彼女はいつも、天井を見ています」

僕は、突然ぞっとなって、後ろを振り返った。

「何か、天井にあるんでしょうか」

「…見てみますか」

紅茶のお礼だ。僕は凛ちゃんが指し示す、押し入れの中の天井を見た。

ここは、天井板が外れるようになっている。

嫌な予感はしたが、ここは男だ。

でも、生首が転がっていませんように。

しかし、そこには意外なものがあった。クッキーの缶だ。

「こんなものが」

「中を拝見していいでしょうか」

「見てみましょう」

中には …、オレンジ色のノートが一冊入っていた。それと、数枚の写真。

この女性は、ここで自殺したひとだった。

「これは、日記ですね。拝見しても…」

「いいですよ、多分」

しばらくの間、瞬きもせずに、紫さんはその日記を読んでいた。

それから、ゆっくりと眼差しを上げて云った。

「なるほど。いいものを見つけました」

にっこりと笑う。「これで、浄化します」

それから、凛ちゃんを振り返って付け加えた。

「凜、引き寄せの魔法を使うわよ」

「判った」

凛ちゃんは真剣な表情だ。「この母様を呼ぶのですね」

写真に、女性と一緒に映っている母親らしきひとを指でさした。

「まあ、魔法なんて冗談だけど、このお嬢さんのお母様はご存命でしょうか。

連絡先、判りますよね」

「もちろん、資料が残っているはずです。彼女を呼ぶんですね、ここに。

どうするおつもりですか」

「ですから、浄化ですよ」

紫さんは、カップを両手で包むように持って、紅茶を飲む。

「強からず弱からず。本当に、ほどよし」


続く






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緑の指と 魔女の糸 「満月水と花ふきん」

2016-06-18 | 小説 緑の指と魔女の糸 シ

玄関を開けると カーテンで閉めきった薄暗い2LDK 。

そこには、まだ、あの死体の残香が残っている気がした。

嫌な汗が、首を伝って落ちる。

恐々と部屋を見渡した僕は、

「あの場所」に、黒い肉塊が転がっているのをみた。

畳の上。

それが、生首だと判るのに、時間はかからなかった。

あの日。

ぶら下がっている彼女を降ろそうとしたとき、

腐敗しきった遺体から、首がもげてしまったのだと聞いた。

それが、コロリと転がって、顔がこちらを向いた。

青い眸に、焦点が合った時、僕は悲鳴を上げて、尻餅をついた。

「どうしました?」

紫さんが、僕を押しのけて、部屋に入ろうとしていた。

一応、ハウスクリーニングは、過剰なほどにしてある。

前の住人が、全てを置いて逃げたので、

大抵の生活備品はそろっている。

スリッパも、新品だ。

それを足先に引っかけて、紫さんが一歩踏み込んだ瞬間だった。

眩い光が、炸裂したような気がした。

思わず、目を逸らす。

その光の中で、声を聞いたような気がした。

『 アナタニアイタカッタ アエナカッタ キョウモ アエナカッタ … 』

その声を、横に裂くように、また、光が走る。

『 コエガ キキタカッタ デモ キコエナカッタ … 』

何者かの意識が、僕の中に流れこんでくる。

それは、先程の恐怖をかき消し、透明な、祈りに似た『想い』に代わっていた。

『キョウモ アエナクテ デモ マダ アイタクテ 』

ドウシタライイノ … どうしたらいいの … ?

「そんな時は、誰にも、あります」

独り言のようにつぶやいて、

紫さんは、カーテンを開け、窓を開けた。

どっと、風が入ってきた。

「誰にも、起こり得ることです」

僕は、立ち上がって部屋を見渡した。

空気が違う。先程と、違う。今までと、まるで違う。

「そんな哀しみに、命までくれてやるなんて、あなたは、愚かです」

紫さん、誰に、話しかけてるの?

あの、禍々しい雰囲気が、もうこの部屋にはない。

「角部屋って素敵…お隣のお庭が見える。ガーデニングがご趣味なのかしら。

素晴らしい、ブルーガーデン!」

今、季節は、春。

隣家の庭は、蒼い花に埋もれていた。

「こっちの窓からは、季節を待つ、田んぼが一面。いい風が入ってくる!」

紫さんが、興奮して叫ぶ。

「母さん、遠くに海が見えます」

凛ちゃんも、上機嫌だった。「お日様の匂いもします!」

「素晴らしい … 」

母と子が、窓の外に見惚れているうちに、僕は畳のシミを確認した。

何度、新しいものに替えても、ここには不気味なシミが浮き上がってくるのだった。

それが、ない。これは、どういうことだ?

もちろん、生首もない。

そこは、ただの、小奇麗な小さな部屋になっていた。

「この揃っている備品は、使っていいのですか」と、聞かれ我に返る。

「はい。もし、気持ち悪くないなら」

「大丈夫。とっておきのアイテムを持っています」

紫さんは、大きなトートバッグから、ペットボトルに入った水を取り出した。

それと、手縫いだろうと思われる手ぬぐい。

「これは、昨夜のブルームーンで精製した満月水。

この手ぬぐいは、わたしが心をこめて刺した花ふきん」

白いさらし布に、紺の糸で刺繍されている。

「美しい布ですね」

「刺し子の花ふきんと云うんですよ。かわいいでしょ。

この柄は、千鳥つなぎといいます。

これで部屋のもの全てを拭いてゆきます」

「凜も手伝う!」

凛ちゃんは、満月水と花ふきんを持って、台所に走ってゆく。

「あの、ここに住むつもりですか」

僕は恐々と聞いた。

今はまだ明るいけれど、夜になって、またアレが戻ってきたら…

「まずは、使えるか試してみていいですか」と、紫さんが云う。

僕たちは、とりあえず、冷蔵庫や電球を拭きはじめた。

それら電化製品も、はじめからきれいにしてはいる。

でも、満月水で拭いたそれらは、明らかに、

眩しさを増し、新品同様のようにきれいになった。

「使える」

と、紫さんが云った。「ここに、住まわせて下さい」

もちろん、僕に断る権利はない。

結局、母子は今夜からそこで暮らしはじめることになった。

「布団は? 布団まではありませんよ」

「ベッドが欲しいな」

「じゃあ、僕が付き合いますよ。軽トラもありますし。どうせ暇ですから」

そうして、僕らは、3人で買い物に出かける事になった。

再び玄関を閉ざすとき、なんの根拠もないことだけど、

この人たちは大丈夫かも知れないと思った。

田んぼに向いた窓辺に佇む女性がいた。

この部屋で腐り落ちたひとだ。

でも、その後ろ姿から、悲壮感もなにも感じられない。

彼女は、初めてそれに気づいたように、

窓の外を、一心に見ていた。

外は、春。誰もが待っていた、春だ。

僕は静かに扉を閉める。

それから、凛ちゃんにそっと問いかけた。

「君のママは、魔女なの?」

「ママは、神様よ。やっと、ここで神様らしく暮らせる」

嬉しそうに凛ちゃんが笑う。

「素敵なお部屋をありがとう、猫のお兄さん」




続く






















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緑の指と 魔女の糸 「都市伝説の部屋」

2016-06-18 | 小説 緑の指と魔女の糸 シ

不動産には、いわゆる『いわくつき物件』というものがある。

前の住人が自殺していたり、

殺人事件が起きたなどの事故物件と呼ばれるものであるが、

我々、不動産屋さんには、事故物件は、

入居する前に入居者へちゃんと告知しないといけない義務がある。

(但し、自然死は告知義務がない)

そして、不動産物件にも、都市伝説なるものもある。

不動産屋でさえ、震え上がった話。

聞いたところによると、アパートの階段は、多くの場合14段。

しかし、珍しい事に、

「階段が13段」のアパートがあり、そのアパートの201号室はヤバイ…と云うのだ。

階段を昇った先の角部屋。201号室。

この街にも、その物件は存在していた。

いわくつきの物件であるから、もちろん、家賃は破格的に安い。

事情を説明しても、安いことをいいことに、数人が借りて住んでいたが…

僕は、悪寒を感じながら、その物件の資料を手に取った。

何年振りだろう。こんな日が、こなければいいと、願っていたのに。

僕の目の前には、年齢不詳の母親とおぼしき女性、

(10代ではないことは確か。しかし、異様に若く見える)

その横に、3才くらいの女の子が座っていて、ふたりとも能面のような顔をしていた。

「1万以下のお部屋って、ありませんか。どんなに古くても、お風呂がなくてもかまいません」

母親が云ったのだ。だから、これを出すしかなかった。

もちろん、事情は説明する。

この部屋で、5年前、一人暮らしの女性が自殺していた。

異臭に気づいた隣りの住人の報せで行ってみると、

首を吊った女性の腐乱死体が、動いていた。

ぶるっと、思わず身震いする。

動いているように見えたのは、沢山の、ハエと蛆虫だった…

体液が真下の畳を黒く染め、下の階の天井まで浸みていた。

この騒ぎで、隣りと真下の住人が逃げるように退去していった。

「その後、4人、若い人がこの部屋を借りました。

どれも長く暮らすことはできず、みんな引っ越しました。

そのうちの1人は、…変死体で発見されています」

「何故ですか?」

表情を崩さない母親。事務のおばさんが持ってきた麦茶を、

女の子はおいしそうに飲んでいる。

「やめた方がいい…やめた方がいい…」

おばさんは、そそくさと僕らから離れていった。

「何故って、想像に難くないでしょ。人が自殺した部屋ですよ。

気味悪くないんですか? 怖くないんですか」

「何がです?」

母親は、自分も麦茶を一口飲み、云った。「お化けがでるとでも?」

「お化け!?」

女の子が、パッと顔を輝かせた。

「母さん、それは、ひとのお化けですか? 妖ですか? 

それとも、悪魔? それとも、悪戯な妖精? 」

「ひとのお化けでしょうね」

僕は、何度も頷いた。

「やめましょう。こんな物件、どうせまたすぐ引っ越すことになる」

「…お金がないんです。この一週間、公園に寝泊まりしながら、この街に来ました」

「何か事情があるなら、警察に行った方がいいですよ」

「警察に行っても、助けてくれないんですよ。知らないんですか?」

「失礼を承知で伺いますが、DVから逃げてこられました? 

それなら、安心なシェルターだってありますよ」

「この街なら、見つからない。わたし、終いの住処を探しているんです」

「だったらなお更、この部屋はやめた方がいい!」

僕が、思わず立ち上がって机を叩くと、

それに呼応したかのように、母親がゆっくり立ち上がった。

「とりあえず、見せてください、そのお部屋」

それから、初めて笑顔を見せた。

「自己紹介もまだで…、わたし、しちじゆかりと申します」

手元の書類に書かれていた。

七字 紫。 娘の名は、凛。

「あ、僕は、ねこひら、猫平って云います。って、本当に行くんですか!?」

「行きましょう」

「ええええええええ………」

僕は、呆然と、事務のおばさん、サヤカさんを見た。

サヤカさんは、ため息をつきながらやってくると、

凛ちゃんのポケットに、沢山の飴玉を押しこんで云った。

「これは、元気がでるキャンディーです」



続く


























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