文庫 麦わら帽子

自作小説文庫

緑の指と、魔女の糸『高尾山事変2』

2016-12-13 | 小説

凜が、オレンジ色の電車や、ホームの天狗のオブジェにはしゃいでいた。

山は、予想以上に観光客でにぎわっている。

「いい匂い!  母さん、お蕎麦、食べたいです」

「お蕎麦は、帰り道に食べましょう。それと、モツ煮とビール」

「天ぷら!」

「必ず、帰り道に食べようね」

私はかがみこむと、凛の頬を両手で包み込んだ。

「手袋を外さないようにね」

凛の右手にだけ、ピンクのかわいい手袋。

先日、保育園で事件があった。

凛の悲鳴を聞いて保母さんが駆け寄ると、凜は植物のツタに撒かれて泣いていた。

側にいた、夏ちゃんが、

「急に… 植物が、襲って来た」

蒼い顔をしていたという。

ついに、凜の緑の指の魔力が、封印を解いてしまったようだ。

もう、私の力では抑えられない。

家に帰ってから、面倒な説明をしなければならなくなった。

七字家の女にまつわる、呪詛の話。

5歳の女の子には、過酷な話かも知れなかった。

「貴女の指には、植物を急成長させる魔法がかかっているの」

なるべく、優しい言葉を探しながら。

「遠い昔、高貴な妖と、私たちのご先祖様が契約を交わしたらしいのね」

「母さんと命が、何かの契約を交わしたように?」

命との間に交わした契約の話は、まだ詳しく話していなかった。

「…そうよ。恐らく大きな樹木を護ってきた妖なんだと思う。

ご先祖様はそれを、甘んじて受け入れて生きてきたの。

その契約は血の中に引き継がれ、生まれてくる女から女へと伝えられてきた」

「それが、凛のなかにもあるってことね」

「そう、手を」

私は、まだ頼りないほど小さな手をそっととった。

「こうして、地面に触れるだけ」

畳から、想像を絶するほどの植物が、芽を吹き、成長した。

植物の種は至極小さなものからから存在し、家々に存在する。

それら、見えないくらい小さな種に息吹を与え、成長させる。

この子には、その力が授かったのだ。

「凄い! もう、怖くないよ! 凄い魔法!!」

凜は、成長してゆく植物を引き寄せて、頬ずりした。

「なんて、素敵な、魔法なの」

命が、少し震えながら、その光景をみていた。

「でもね、凛。その力の代償として、失うものがあるのよ」

本題は、ここからだ。

「それは、命…」

凜が、動きを止めた。「その緑の指を持つ女は、長生きできないの」

抱き寄せた植物を、ポトリと落としてしまう。

「死んでしまうの?」

「下界…、普通の土地では寿命が短いわ。あらゆる邪気を浄化する余裕もないから」

「死んでしまうの?」

凜が、涙ぐんだ。

「ええ、だから、七字家の女は、あらゆる邪気が遮断された霊山に護られて、生きてきたの」

私は、そっと、凛の涙をぬぐった。「例えば、八王子にある修験道の霊場、高尾山」

ごめんね。

心が挫けそうになった。こんなことにまきこんでしまって、ごめんね。

「凜。その緑の指が欲しい? それとも、普通に、長生きしたい?」

凜は答えなかった。応えられないのは、当然だ。まだ5歳だ。

「貴女が、どう応えようと、私は貴方から、その力を奪う」

凜は震えていた。命が、キュンと鳴いた。

「緑の指を欲しいと願っても、力づくでも、奪ってみせる」

残酷なことなんだろうか。私には、判らない。ただ、凛には、ただ、

… 普通に、生きて欲しい。

「奪って…みせる。…ごめん」

「母さんは? 何故、生きてるの?」

凜が心配したのは、そっちだった。

「何故、七字家の母さんが、そのお山で暮らさず、ここで生きているの?

何故、生きていられるの?」

私は、一瞬あっけにとられた。この子は、自分のことよりも、

私ことを心配している…。

信じられない。自分の運命よりも、人を思いやれるなんて。

「わ、私は、大丈夫なのよ」

だから、私は、哀しい嘘をつく。

「私は、ほら、緑の指がないでしょう? 七字家の中でも異質なの」

「母さんは、妖が見えるし、霊力も強いのにね」

この子は、私が思っている以上に、物事を理解している…。

最近は、妖を見ても動じないし。

「凜 …、 貴女から、力を奪うように祖母に頼みに行くけど、いい?」

「祖母? おばあちゃん?」

「私の、おばあちゃんだから、凛のひいおばあちゃんになるのかな」

「生きてるの!?」

「多分ね …」

私は、暗澹たる溜息をついた。生きていてくれなければ、困る。

「凜には、普通の人生を歩んで欲しい。

沢山、恋をして、結婚して、もしかしたら、お母さんになれるかも知れない」

「凜は、夏ちゃんが好きだよ。お嫁さんにしてくれるか判らないけど」

凜は力強く頷いた。

「ハワイにも行きたいし、オーストラリアにも行きたい!

色んなおいしいもの食べたい。おしゃれもしたいよ。

それも、みんなでね! 母さんも、夏ちゃんも、命も、

みんな一緒だよ!!」

あの時の、凛の笑顔で、力をもらってここに来たのだ。



「まずは、リフトに乗ります」

初めてのリフト体験に、凜は興奮状態だった。

「落ちる! …落ちたら、どうするのー!!」

と、叫び、猿園をジロリと見て、「猿は、嫌い」と痛烈な一言。

天狗黒饅頭も食べた。

凛の冷静さを常に確認しながら、私たちは、

あまり知られない、山道に入った。

クマザサをかき分けて進むと、ふと、けもの道のような、小さな道に出た。

覚えている、不思議と。

何回も、何回も通った道。

道を、教えてくれる者がいた。

下界へ、導いてくれる者がいた。

忘れる事はない…。

「母さん、山犬が…」

いつの間にか、犬の群れに取り囲まれていた。

犬たちは、牙を剥いて威嚇してくる。

「どうしよう…」

「大丈夫よ」

私は、凜を抱き寄せ、その時を待った。

しばらくして、

山臥肩箱(かたばこ)を背負い、手に錫杖を持った山伏が現れた。

「ここは、一般の者は入れぬ霊場。直ちに、立ち去れ」

「宝山殿。私です、七字 紫。覚えていますか?」

山伏の名は、宝山(ほうざん)。古い知人だった。

「なんと、紫殿か? 」

彼は、犬たちをなだめると、真っ直ぐ私たちの前へ歩み寄ってきた。

咄嗟に、凛が私の背に隠れた。

「こんなに大きくなって。もはや、下界で生きていられようとは、思わなんだ」

それから、凜を見て、

「まさか、其方の子供か? 女の子ではないか」

「お陰様で、私もこの子も元気です」

「信じられない。まあ、紫殿の浄化は無比の神通力。

うまく、邪気を祓って生き延びてきたのだろうな。で、その子は」

「娘の凛です」

「その右手。緑の指を受け継いだのか」

流石に、話が早い。

「では、その子を白水(はく)様に?」

「祖母はご存命ですか」

「当然だ。もう、其方たちの気配を察しているであろう。

まあ、とりあえず、私の住み家においで。お茶でも飲みながら、ゆっくり語ろうではないか」

人の良さは変わっていない。凜もすぐに警戒心を解いた。

「母さん、そろそろ、命を出してもいい?」

「ええ、もう大丈夫よ。ここなら命も元気を戴けるでしょう」

凜がリュックから命を出すと、宝山殿は、直ぐに反応した。

「そのキツネ、棄つもの! 一体何処でそれを!?」

それから、真っ青になって、「まさか、まさか…紫殿!」

本当に話が早い。

「ええ。娘を預けに来たのではありません。緑の指の契約を破棄しに来たのです」



しばらく、宝山殿の住み家で、起居することになった。

宝山殿はマメな男で、山で採ってきた山菜やキノコで、もてなしてくれた。

山伏が食べている精進料理。

秋が近い今はキノコが中心。

この日のメニューは、舞茸と厚揚げの煮物、季節の野菜の天ぷら、

菊の酢の物、きのこの味噌汁など。普段は一汁一菜のはずだ。

とびきりのご馳走を用意してくれた。

凜はあちこちに箸をつけ、

「おいしい、おいしい」と繰り返し、宝山殿は楽しげだった。

食事を楽しみつつ、彼は幼い凜に修験道について、熱く語っていた。

「修験道は、山の思想と云われておる。

山を仏の母胎と見て、山に入って心身を浄化し、

人ではなくて山や大自然から学び、

自己を見つめ直すのだ。

森羅万象から授かった霊力で、人の役に立てるように、

日々、尽力するのだよ」

私も、かつてはこの山で修行を積んだ。

母は、身体が弱く、専ら家事にいそしんでいた。

母に、緑の指の話を聞いてことはない。

ただ、いつも祖母に連れられて、厳しい修行を積んだ。

母が何を考えていたかは知らない。

父も山伏だったが、山を下りたがっていた。

私たちを下界へ連れ出してくれたのは、

今は亡き、この宝山殿の父君だ。色んなことがあった…。

やがて、食後のお茶を戴き、私は、祖母を探しに行く事にした。

「夜の山は、危険だ。朝になるのを待て」

と、宝山殿は心配したが、もう、祖母の気配を身近に感じていた。

「白様の住み家は、誰も知らぬ。何を手がかりに探すつもりか」

「判るんです。少しも歩かないうちに、あちらから現れる」

私は、命の頭を撫ぜて云った。

「3時間以上戻らなかったら、命を外に放して下さい。

凜をよろしくお願いします」






【高尾山事変3】に続く










 














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