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アートと人を結ぶ“空間(space)”を作り出す画廊「ギャラリー・スペースM」のブログです。

十月の終わりに……Last Message

2010-10-31 20:45:06 | オーナーより


台風14号が関東地方上陸の予報が外れて、大きな被害もなく去って行った10月末は、慌しい数日間でした。
その中で29日は束の間の秋空らしい一日でした。
青々としたスカイブルーの下に、優しく穏やかにすじ雲が織り上げたばかりの絹布の如く、ゆっくりとひろがっている雲のすがたを見ました。

そしてこの時、一年前に駆け足で黄泉の国へ旅立ってしまった友人を思い出していました。
十月十五日は彼女の一周忌。
この彼女が逝って1ヵ月ほど経った頃、一枚の葉書が届きました。
そこには、別れの言葉と共に「空を流れる雲を見たら、私を思い出してください」としたためてありました。
この文に、私は不謹慎にも怒りの心が頭をもたげてきたのです。これには、私自身がびっくりしてしまいました。
平均寿命が85歳を越えた現代、そこまでの25年間の時間を飛び越えてしまって、遺された人たちは哀しみのどん底に引きずり落とされ、忘れたくても忘れられない辛い日々を送っていた中で、「思い出してください」とは……。

この友人の少し前に、やはり予期せぬ短期間の療養生活で旅立った友人からは、病室の窓辺に、たった一個の真っ赤なリンゴが置かれ、窓ガラスの向こうは陽だまりの見られる雑木林が描かれた、懐紙大の淡彩画の一枚の絵。
その絵に添えられた五文字の言葉「ありがとう」。
この別れのメッセージに溢れる涙が止まらなかったことがあります。
この一枚の絵は宝物として大切にしまってあります。

優劣をつけるつもりはさらさらないが、もしあなたがLast Massageを遺されるとしたら、どのような言葉を考えられますか?
私自身は心に決めてあります。家族やお世話になった方々へのLast Massageを……。

流れ行く秋雲の下で、こんなことを考えた十月の終わりでした。

秋の装い

2010-10-27 02:42:37 | ハルのページ


オーナーの愛猫、ハルです。

すっかり秋も深まってきましたね。

オーナーが先日、着古した洋服の整理をしていました。
そこで、ワタクシもお手伝いをいたしました。
オーナーの手元で様子を見たり、洋服の匂いを嗅いだり……一生懸命手伝っていたら、
「じゃあ、ハルにもお洋服のおさがりをあげるね」
と、オーナーが愛用していたTシャツの袖口を切って、着せてくれました。

似合うでしょ。


>>>ハルのご紹介はこちら

紅葉に映える妙義山

2010-10-12 18:27:19 | スタッフ・ブログ
妙義山中腹に窯場を構える吉田秀秋先生の作品展を、「妙義山から」と題してお届けしております。

秋の紅葉で名高い妙義山にちなみ、壁面には豊田一男の妙義山の絵を架けました。





吉田秀秋作品展は10月17日(日)までです。
皆様のご来廊をお待ちしております。

>>>吉田秀秋展「妙義山から」のご案内はこちら

浮城の町、行田

2010-10-10 00:00:00 | オーナーより
10月最初ぼ土曜日、気温は高めなれど、頬わたる風に空きの訪れを感じる。
友人とふたり、埼玉県行田市を訪ねる機会を得た。

“行田”と言えば、ある年齢層には懐かしさを覚える。
「足袋の町行田」として全国にその名を知られていた町だ。徳川時代後半から昭和30年代まで足袋は生産され、最盛期は全国シェアの80%をしめていたという。
完成した足袋を出荷まで収納したのが足袋蔵であり、現在市内に約70棟あると言われていて、和菓子屋、そば屋、レストランなどに活用されている。
この日、訪問した蔵もギャラリーとして市民に親しまれている所だった。

蔵ギャラリーでは、木工、染色、鍛金展を開催しており、各自の作品も体裁よくディスプレーされていて、気持ちよく個性を受けとめることが出来たと思う。
“用の美”として鍛金作品が気になり、何度も手に持つとスーッと馴染んでくる。真鍮の細いフォークを2本購入。
鴻巣市在住の女性作家の作品は、来年あたりギャラリー・スペースMでご紹介できたらいいナ……と企画中だということをお知らせします。

遅いランチは同敷地内のカフェでいただく。
行田市の初代市長の邸宅だった家。広大な敷地の中にある広い庭を見ながらの食事は、秋のきらめく木漏れ日に時が止まってしまったの?と思えるほど、静かに過ぎていった。

次に訪ねた場所は、かの有名な忍城(おしじょう)城。
市の商店街(左右に銅人形の童子達が建っていた)を通り抜け、5~6分。
駐車場も十分スペースがあり、いざ「お勉強を!」とばかり郷土博物館へ。

……いやに玄関が暗い。「2枚ください」「本日はもう閉館です」「エッ?」……時計を見れば午後4時5分。
「もう閉館?」「ハイ、4時で入場をしめ、4時30分に閉館します」「ウソー!今日は土曜日なのに」「……」。
目と鼻の先に5~6人たむろしている。資料を見ながらペチャクチャ。
「あそこで資料を調べたいのですが」「あの方達は4時前に入館されていて、4時半には出ていただきますっ!」と睨まれてしまった。
「あ、そうですか。失礼しました」……決まりごととはわかっていますが…ね。

仕方なく、時おり見える看板を頼りにブラブラ歩く。
赤松と、竹と楓、桜と多くの樹木の林。
“松風さわぐ丘の上…”今は亡き歌手の歌が自然に口とついて出た。

忍城は文明10年(1478年)、成田家十五代当主、成田親泰によって築城されたが、成田家の家系をさかのぼれば、大火の改新にて功を成し遂げた藤原鎌足にいきつく名家だ。

信長亡きあと、8年後に天下人となった豊臣秀吉は、関東に君臨する北条氏を気にかけていたが、いよいよ北条家打討ののろしをあげる。
北条勢の中心地、小田原を攻め、有名な石垣の一夜城を築いて北条氏を驚かせ、「城をあけ渡す、いや渡さない」の長いダラダラ会議「小田原評定」となる有名なたとえを後の世に残した。

北条方に味方する行田・忍城を攻めてきたのは、才智たけたる石田三成。
三成は備中高松城を水攻めにした秀吉の戦法が忘れられず、忍城は水攻めと決めてあった。

三成は城を半円形の土手で囲み、利根川から水を引き、本丸近辺まで水位をあげた。
家臣や領民は本丸いっぱいに逃げ込んできた。しかしやがて、この堤防を決壊した領民がおり、水は石田三成の陣営にどうと流れ込み、一度は水に浸かった忍城が再び美しい姿を見せ始めたのだった。

このときの忍城の総大将が成田長親であり、家臣・領民から「のぼう様」と呼ばれていた。
なぜ、「のぼう様」なのか?は、ここでは明かさないことにする。
2008年小学館から刊行出版された和田竜の『のぼうの城』をぜひ読んでいただけたらと思う。

「忍は浮き城なのか!私の負けだ!」と三成に言わしめた忍城の史実はとても面白い。昨今の時代劇ブームとやらで、さっそく映画化されたらしいが、関東武士の面目躍如。
>>>映画「のぼうの城」オフィシャルサイト



三層の櫓の白壁が、秋の夕焼けにあかね色に染まっていた。

城址に別れを告げる頃、つわものどもが夢のあと…には鈴虫の音が石垣にぶつかり、よりいっそう強く、はかなく響きわたっていた。

帰路は上武国道で前橋まで1時間10分。
今度は初冬の冬枯れの城址を訪ねてみようと思う。

2010年10月2日

【企画展】 吉田秀秋 展 「妙義山から」

2010-10-09 10:00:00 | 企画展のご案内


吉田秀秋先生は還暦を迎えられたという。
生まれは青森県三沢市、太平洋岸に生まれ育った人が、海無県の山国・群馬県に30年住んでいる。
妙義山中腹、海抜500mの見晴らし良く、椿の木に囲まれた地に窯場を構えている。
灰釉、焼締めによる花入れ、器など、約80点をご紹介。
妙義山の紅華色に焼締められた作品は、他に類を見ない吉田秀秋の世界だ。



【期間】
2010年10月9日(土)~10月17日(日)
10時~18時
※10月13日(水)休廊
>>>地図・アクセスはこちら