日次記

ダラ主婦の徒然

2011年3月11日のこと【4月6日に記す】

2011-03-11 14:46:09 | 徒然
気力もようよう回復の兆しなので、
思い出せる限り書いてみる。
3月11日からの徒然を。
ただしこちらは簡易版。
完全版はmixiで限定公開。

さて、震災当日は金曜日。
当然普通に仕事をしてました。
いつも通りにね。

あの日の晩ご飯は551の豚まんの予定だったんだよ。
それを楽しみに、わりと気分よく働いてた。
楽しみ過ぎて昼ごはんを減らすくらいだったね。

昼休みは、その日に書くブログのネタを考えてたりもしたなあ。
「ついにポーチひとつがリップメイクアイテムだけに占拠された」とかね。
そう、いつの間にやらリップメイクアイテムがこんなに増えてました。

4月はまたひとつふたつ増やしたいな。

そしてあの時刻。

もちろん仕事中。
最初はゆっくり小さく、いつもと同じくらいの地震かと思ってた。

だけど揺れはなかなかおさまらなくて。
だんだんと強く大きく!
かつて体験したこと無いほどに。

怖くなって、まずとにかく出入り口の確保をしなきゃ、
と大きく扉を開け放って、お客さんに声をかけながら外へ。
特に落ちてくるような看板もないし駐車場は広めだから、外の方が安全。

外へ出ても揺れは続き。

電線がたわむのが見えた。停車していた車が動きそうになるのを見た。
地面が波打つのを見た。
今まで見たことのないものを見た。

とにかく怖くて、飛び跳ねてた。地面に接してるのが怖かったんだ。
あんまり意味ないけどさー。

長い長い(本当に長かったね)揺れが収まって。
仕事場は停電してた。
というか、周り全てが停電してた。店も信号もなにもかも。

周りの店の従業員たちも外に出て不安そうにしていた。
どこも同じだ…。

とりあえず揺れが収まったと判断し、仕事場の中に戻る。
あたりまえだけど、中はグッチャグチャだった。
こんなのニュースの映像でしか見たこと無い…。
まさか実際自分の身に起こるなんて。

そして、これまたしっちゃかめっちゃかになった事務所から携帯を救出して、
店長やら自宅やらに連絡を取ろうとするも、まったく繋がらず。
不安を覚えるものの、どうしようもない。
家、潰れてんじゃないかなあ、と本気で心配だった。だって本が多い家だし…。
電話はいっこうにつながらなかったけど、ネットはつながったので手短にmixiに生存報告。

ただ、やっぱり家に連絡つかないのは、
とにかく落ち着かないし不安だったなあ。

しかし、そんな中でもお客さんってくるんだよね…。
というわけで、片付ける間もなく接客。

とうぜん停電中なので、レジは使えず電卓で。
必死になって電卓を打っていると、いつの間にか長蛇の列だよ!
ナニコレ!?

とにかく必死に電卓を叩く叩く叩く。

だんだん手元が暗くなってくる。
そして、日が落ちる。

普段仕事を上がる時刻にはやむなく一旦閉店。
だって懐中電灯もないからどうしようもない。
暗かったらソーラー電池の電卓も役に立たないからね。

暗い中、なんとなく片づけをしながら。
「ああ!551食いそこなった!悔しい~!」と思う。
まだ他の地域の情報が入ってきてないから、わりと精神状態は普通。
携帯に東北で震度7って情報は入ってきてたけど、
たいしたことないだろう、とか楽観的に思ってた。

暗くなってきて、当然エアコンは使えないわけで、しんしんと冷えはじめる。
興奮状態もおさまってきてたしね。寒いってことを思い出した。
車の中においてあった防寒具を全部引っ張り出して着こむ。
本来なら都内へ行く予定だったから、普段よりたくさん持ってて良かった。
あと、車の中にフリースの膝かけを常備しておいて本当によかった。

余震も断続的に。

合間合間にネットに繋いで友人知人たちの無事を確認。

…あれ?
友人たちの中じゃウチってわりと被害が酷い方だったりする?
ライフラインが普通に生きてるとこも多いぞ?

なにか不公平な気持ちに(苦笑)

そうこうしているうちに時間はどんどん過ぎ。
帰りたいような帰りたくないような。

いつもだったら、都内でひと息ついてる頃だなあ、なんて思ったり。
翻って、今のこの状況の現実味のなさといったら。
夢だとだれか言ってくれ、みたいな。

ぐずぐずしてる間に21時をまわり、
膀胱の限界を感じて帰宅を決意。

まあ、もっとも。家に帰ったところで断水してるんだろうけども。
店付近と違って、あの実家の周りなら野外もアリだからな。

信号が止まってるので、車は諦めて(強引に道を渡る自信がないですよ)、徒歩で帰宅。
どうにか確保した2リットルのペットボトル3本をかかえてね。

街灯ももちろん消えてるから真っ暗。
それでも国道沿いは渋滞してる車のライトがつながっていたからよかったけど。

帰り道途中にある、私が通った小学校の体育館も避難所になってるみたいだった。

で、そこを通り過ぎるとホントのホントに真っ暗に。
星がよく見えた。恐怖も特に感じずに人の通らない道をひとり歩いた。
ブロック塀には近寄らないように、道の真ん中を歩いた。

22時前にたどり着いた自宅は、やっぱり真っ暗だった。
ちょっと期待してたんだけどな、電気がついてるかも、って。
真っ暗な家の玄関をビクビクしながらくぐって。
やっぱり暗い居間(小さな懐中電灯の灯りはあったけど)に、母と弟と猫たちがいた。
毛布をかぶって寒さをしのいでいた。
私も毛布をかぶって、電気のついていないコタツに潜る。
人と猫の熱があれば結構暖かいものだ。

横になって、急に疲れたのか眠気を感じる。
眠い。だけど、怖くて眠れない。
うつらうつらとするたびに余震が襲ってくる。
浅く眠っては覚め、を繰り返す。

午前4時少し前。
電話と給湯器の電源が入る音がして、電気の復旧を知る。
すぐさま照明とコタツとテレビを点けた。

テレビをつけて早々、緊急地震速報。
長野で震度6強だった。

それ以降もよく眠れずに、朝を迎えた。