いのちの源

こちらはあなたにいのちのマナを提供し、あなたを満腹させ、いのちの源を見つけ、一日も早く主に立ち返るように導きます。

子供の教育ー神の御言葉は正しい選択をするように導いてくださりました

2020-05-28 22:28:50 | 賛美の心

 私は貧乏な家庭に生まれました。私が幼かった頃から私の両親は私の弟と私に対して私たちは一生懸命勉強すべきであり、良い大学に入ってのみ明るい将来と良い生活環境を手にすることができると言っていました。将来幸せな生活を送りかった私は出来る限り一生懸命に勉強し、 頻繁に夜遅くまで勉強しました。しかし、自分がまさか大学入試に失敗するとは思ってもいませんでした。そして私は平凡な短大に通うことを余儀なくされました。私たちの短大は海外で1年間インターンとして働くことを必須としていたので、私は2016年9月にインターンとして日本に行きました。私が4年制大学に入る夢は打ち砕かれてしまったので、私の両親と私は望みを全て弟に託しました。弟がより良い環境で生活できるようにと、私の両親は地元の外で働きました。

 ある日の夜遅く、私は帰宅するとWeChatから母がビデオチャットをしたがっているというリマインダーを受けました。私たちがチャットを始めると、母は心配そうにこう言いました:「あなたの弟のことなんだけどね。あの子は勉強に怠けて、学校の成績がかなり落ちてるのよ。こっそり携帯電話で遊んでるんじゃないかと思うのよ。」実は、私は頻繁に仕事の後に弟とWeChatでチャットしていたので、弟が携帯電話に夢中になっていることは私の中では明らかでした。それでも、私はこう言って母を安心させました:心配しないで。勉強のストレスがいっぱい溜まってるに違いないわ。きっちりとストレスを解消することは良いことだわ。」母は私のアドバイスには耳を傾けず、父に実家に戻って弟が勉強する間は側にいるようせき立てました。母はこうしないと気になって仕方なかったのです。

 弟が学校に通う間、彼と同居して彼の面倒を見ていた父は、弟が書いたラブレターを発見して弟に好きな女の子がいたことを知りました。そして、父はこのラブレターを母に送りました。私の母はこれを見た後、直ぐにがっかりしてどうしていいのから分からず私に又電話をしてきました。私はこの知らせを聞いた時、怒りで震えながらこう考えました:「弟は私よりも賢くて、将来大学に入れるって皆が信じている。有名な高校に入学してるからもう大学に半分入ったようなものなのに。でもやることやらずに恋しているなんて。これは本当に心配だわ。しかも、良い大学に入らずにどうやって良い仕事を見つけるっていうの?良い仕事に就かずに幸せな生活ができるのかしら?」

 その当時、私は毎日このことを心配しました。後に、私がこのことをある姉妹に話すと、この姉妹は神の御言葉の次の2節を送ってくれました:「人の運命は神の手で管理されている。あなたは自分自身を管理することはできない。いつも自分自身のことで忙しくしているのにもかかわらず、人は自分自身を管理することができないままでいる。あなたがもし自分の将来を知ることができ、自分の運命を管理できるなら、あなたは被造物だろうか。」「大学で有利な学部を選択し、卒業後は満足できる職に就いて、人生の旅路の第一歩で成功を収める者もいる。様々な技能を学んで身に付けたが、自分に適した職や役職を得られず、ましてや経歴を積むなど問題外で、人生の旅路に就いてすぐに、何をしても挫折感を味わい、様々な問題に悩まされ、先行きが暗く、人生が不確かな者もいる。熱心に勉強に励んでも、高等教育を受ける機会をあと少しの所で逃してしまい、その後の成功運は失われたように思われ⋯能力や知能指数、意志の力の差異に関係なく、人間は運命において皆平等であり、偉大か取るに足りない人間か、背が高いか低いか、高貴か下賤かによる差別は無い。ある者が追究する職業、ある者の生業、ある者が生涯にわたって蓄える富は、その者の両親や才能、努力、野望によって決まるものではなく、創造主により予め定められている。」

 私は常に良い大学に入ってのみ良い仕事に就いて幸せな生活を送れるものだと思っていました。しかし、神の御言葉は、人が就く職やどれだけの富を手にするかはその人の努力や野心によるものではなく、かなり前から創造主によって運命づけられていると知らせてくれました。神の御言葉に照らし合わせていると、私は自分の村にいた大学生で、現在未だには農作業をしている人がいたのを思い出しました。実生活において、同じようなことが他にも沢山あります。高学歴を持っている人が、沢山挫折した後でも未だに満足のいく仕事に就けないこともあります。大学に行かずにビジネスで成功を収める人たちもいます。正に、私たちが良い仕事に就けるかどうかは私たちの学歴、努力、または野心によるものではなく、むしろ神の主権と神が定められた宿命によって定めされているのです。私たちの運命は神の御手にあるのです。私たちが自分のためにどれだけ駆けずり回って努力しても、神の主権を超えられる人などいないのです。過去を振り返ってみると、私は大学に入るために多くの代償を払いましたが、結局失敗に終わっています。同様に、私の弟が良い大学に入れるかどうか、そして良い仕事に就けるかどうかも全て神の御手にあります。弟は最善を尽くしてさえいればよいのです。私はこれと落ち着いて向き合うべきなのです。私はこの全てを理解した後、とても解放された気分になりました。

 しかし、その数日後、弟のありさまを受けて、私の母も自宅に帰ってしまいました。後に、母は弟が恋をしているだけでなく、ゲームで遊ぶことに夢中になっており、彼らが弟にゲームをさせないようにしたら怒りっぽくなったとまで私に言いました⋯母が期待外れの弟に対する憤慨を次から次へと吐露するのを聞いていると、私は弟が最近私とチャットをしようとしないで、自分の落胆した気持に関する様々なメッセージをOzoneに投稿をしていたことを思い出しました。このような状況の中、私はどうしていいのか分かりませんでした。この2日後、私は母から次の内容を知りました:「私の両親は弟の状態について話をしていると泣せずにいられませんでした。意外にも、弟は偶然これを目撃してしまい、突然猛烈に怒り出し、どうして彼に圧力をかけるのかと彼らに問いただしたのです。彼はそれまでずっと一生懸命に勉強し、ゲームで遊ぶ時間も減らしたのに、それ以上どうして欲しいのか分からないと言いました。弟は母をせかしてそこから追い出したのです。私はこの話を聞いていると、弟がとても大人げなく思えました。私の両親がしたことは全て弟のためであったのに。私はもうこれ以上我慢できなくなり、弟に文句を言おうと思い電話をしました。私の言ったことを聞いた弟は感情的になってこう言いました:「その通りだよ!僕は皆からしたらろくでなしだよ。僕は悪い子なんだよ!僕は死ぬまで必至になって勉強し続けるべきだと思ってるんだろ?もう海外から戻ってきても僕には二度と会いに来ないでくれ!ここには来ないでくれ!」

 弟の言ったことを聞いた私は呆気にとられました⋯私は弟がどうしてこんな風になってしまったのか分かりませんでした。その後、私は弟のQzoneに、「僕は生きて行きたくない」、と書かれていたのを目にしました。ちょうどその時、母から電話があって、弟をもっときつく叱るよう私に言ってきましたが、私はそれを拒否しました。私はそんなことをしたら、弟が何らかの自傷行為に走るかもしれないと感じたからです。そして、その時、私はこう考えました:「どうして私たちは皆して弟が大学に行くことを期待しているのかしら?実際、最終的な目標は弟が将来豊かで幸せな生活を送ること以外の何でもないのに。でも、4年制大学に入学して、明るい将来と良い結果を得て、物質的に豊かになったとしても、弟は本当に幸せになるのかしら?」これについて神はこう仰っておられます:「初めて社会科学の考えを持つようになってから、人の精神は科学と知識に占領されてしまった。それからすぐ、科学と知識は人類を支配する道具となり、もはや人が神を礼拝する充分な余地はなくなり、神を礼拝する好ましい条件もなくなった。人の心の中で占める神の位置はどこまでも低められていった。人の心の中に神の居場所が無い世界とは、暗く、何の希望も無く、空虚である…人類は、誰もが食べる物に満ちたり、平等かつ自由である公平な社会だけではなく、神の救いと神によるいのちの満たしが必要なのである。神の救いといのちの満たしを受けて初めて、人間の欲求、探究心、そして霊的空虚感が解消されるのである。」 神の御言葉を読み、私は次のような理解に至りました;「私たちが必要なのは、知識、地位、または物質的な喜びではなく、むしろ神からいただくお救い、そして真理といのちなのです。私たちは神に創造されたので、神のみが私たちの精神的必要を満たすことがおできになるのです。私たちは神から離れてしまうと、物質的にどれだけの物を手にしても、心の中では依然として虚しさを感じるでしょう。私は以前インターネットで読んだ次のようなレポートを思い出しました:「とても快適な暮らしをしていながらも虚しさを感じていた億万長者の孫は刺激を求めてドラッグレースに参加しましたが、最終的には命を落としてしまったのです。他にも沢山の有名人に関するものがありました。彼らは皆、欲しいものを全て手にしていますが、それでも空虚感から抜け出すことができず、そして麻薬を吸うことを選びました。実に、私たちは富みを手にすると、物質的な面で欠くことはありませんし、肉の快楽も楽しむことはできますが、私たちの心の虚しさを埋めることができる人はいないのです。これ故に、多くの人々が興奮を求めますが、結果的に彼らのいのちが損なわれてしまうのです。実生活において、類似する出来事は稀ではありません。この全てより、物質的な満足感がもたらすものは真の幸せとは程遠いものばかりであることは明らかです。

 私は自分のことについてこう考えました:「過去、私は4年制大学に入る夢に向かって熱心に勉強し、多くの知識を修得しましたが、言葉で表せないほど頭を悩ませ、魂は虚しく感じました。私は何年も苦しい思いをして一体何を手にしたのでしょう?それは苦しみ以外の何でもありませんでした。今私は神を信じるようになりました。神の御言葉を毎日読み、兄弟姉妹たちと集会を開くことで、私は神の主権といのちの意義をある程度は得ることができるようになり、心の中で大きな満足感を味わっています。この全てはお金で購入できるものではありません。こう考えた時、私はやっと次の理解に至りました;「他人よりも際立つこと、そして名誉と富を手にすることは、私たちに幸せをもたらすことはできません。人は神に前に行き、神の御言葉の備えを受け、そして神を礼拝する時に限って心で真の幸せを感じることができるのです。」これらを理解した後、私は後で自分の弟に福音を伝導して、弟を神の前に導く決意をしました。

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 その後、私は弟に胸中を明かすことにしました。弟はオフライン中でしたが、私はそれでも勇気を出して弟に謝り、今後は無理やり勉強させたりしないし、何か困ったことがあれば私とチャットすればいいと伝えました。このメッセージを送信した後、私は弟が返事をくれないのではないかと心配になりとても緊張しました。意外にも、私は翌日弟から返事を受け、弟は気にしていないと言ってくれました。私はこの短いメッセージを何度も読み返して、言葉で言い表せないほど嬉しくなりました。

 その後、私の叔母から電話があり、彼女は中国に戻ったら私の弟が良い大学に入って明るい将来を手にできるようにちゃんと勉強をさせると言いました。これを聞いた私は笑みを浮かべて、弟の学校の成績は彼の将来性には関係なく、まして彼の将来の幸せとはもっと関係がないと彼女に伝えました。弟は自分の道を進むべきで、私たちは事を自然の成り行きに任せるべきなのです。私の叔母はこれを聞いてとても驚いていましたが、私の考えに賛成だと言ってくれました。そして、私の弟は次第に元気を取り戻し、自分から私とチャットしてくれるようになりました。ある時、私はQzoneに弟が投稿したこのコメントを目にしました:「自分の悪い所を家族に見せて、他人に優しくする。」私がこの言葉を読んだ時、心の中に感動の波がこみ上げてきました。神様ありがとうございます!神の御言葉による御指導がなければ、私は両親のように、依然として弟に無理やり勉強させ、弟はそのうち私たちからの2重のプレッシャーの中で挫折していたことでしょう。私はこういう自分を完全に手放すことができたことを神に心から感謝しました。私は神の御言葉の御指導のおかげで正しい選択をすることができたのです。


神様の恵みにより私は金銭に優る富を持っています

2020-05-28 00:29:41 | 賛美の心

シュン・シン(タイ)

 編集者注 もしあなたの近くに裕福になりたいけれども上手くいかずに苦しんでいる人がいたならば、その人が苦しみから逃れられるためには、どのように助けるべきでしょうか。ここに書かれているのは、まさにそのように苦しんだシュン・シンの経験です。彼女は今では金銭的損得を冷静に考えることができるようになり、金銭以上に価値のある富を見出しました。彼女はどのように苦しみから脱出したのでしょうか。そして、金銭より価値のある富とはなんでしょうか。彼女の物語にその答えを見出しましょう。

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裕福になろうとあがき続ける

 子どもの頃に貧しさゆえに惨めで辛い経験をした私は、一生懸命勉強して将来はお金持ちになり贅沢な生活をし、周りの人達に称賛され尊敬されるようになろうと決心しました。十年以上の辛い勉強の末にやっと入学できたのは三流の大学でしたが、それでも落胆はしませんでした。一生懸命働けば、裕福になれると信じていたからです。

 大学卒業後、私は英語教師の仕事に就きました。二年間働いてきた同僚の給料がほんの二千元余りと聞いた私は、きっぱりと退職しました。その後、販売の仕事に就くために上海と青島の訓練学校に行きました。毎日朝から晩まで電話で営業活動をし、懸命に努力した結果、私の月収は一万元近くにまでなりました。もっと業績を上げようと思っていたちょうどその時、学校のリーダーシップが変わり、理由もなく私はクビになりました。仕事を辞めたくはありませんでしたが、残念に思いながら職場を去るしかありませんでした。

カナダ移住後、再び金銭欲が湧く

 結婚後、私は夫とともにカナダに移住し起業しました。当時妊娠中だった私は、働くことができなかったため、教会の礼拝に出席しました。初めて教会を訪れた時、牧師が私を大歓迎してくれましたが、私が裕福ではないと知ると、私を無視し、裕福な人達ばかりを歓迎し、その人達にへつらいました。牧師の態度を見て、私はますますお金の重要さを確信しました。誰もがお金第一の今の時代、お金さえあれば何でも手に入れることができる。そしてお金がなければ、どこに行っても見下される。だから私はもっと稼いで、私を見下げる人を見返そうと再度決心したのです。

 長男を出産後、私は収入を得るために働き始めました。どんなに大変な仕事も厭いませんでした。その後再び妊娠し、その頃の私は身体的にとても弱っていました。それにもかかわらず、もっと収入を増やそうと、産後1ヶ月で友人と輸入代行業を始めました。私は商品の知識を増やそうと一日中ケータイを見ていました。授乳中も販売スキルやネットでのプロモーション方法などを調査しました。毎日長時間ケータイを見続け、夜遅くまで作業したせいで、目があまりにも痛くなり、目を開けることすらできず、背中も凝って痛みました。それでもお金を稼ぐためにはやめる訳にはいかず、ベッドに横になったまま仕事をしました。仕事ばかりになってしまった私には、子育てのための余力はありませんでした。ある時、長男は私の手からケータイを奪うと地面にたたきつけ、一日中ケータイを見ているだけで少しも自分達のことを構ってくれないと言って怒りました。それでも私は申し訳ないとは思いませんでした。良い生活を提供してやれないのなら、子供と一緒に過ごす意味がないと思ったからです。お金が全ての世の中に住んでいるのだから、たとえお金が全てを叶えてくれる訳ではないにしても、お金なしでは何もできないのです。より良い生活を楽しみ、周りの人達に尊敬され称賛されて堂々と生きていくにはお金以外にはないのです。子供達のことがどんどんおろそかになっていることが分かり、このことで苦しく感じたものの、相変わらず輸入業務に没頭しました。

 その後私は、更に収入を増やそうと、直販の仕事をパートタイムでしました。しばらく熱心に働くと、ある程度の収入になり喜びました。人と話すときには以前より声が大きくなり、両親に送金する自分を誇らしく思いました。お金を持っているのはいい気持ちでした。更に成績が良く、何万という月収を得て贅沢で良い暮らしをしているアップラインの人たちを見ては、自分も更にダウンラインを増やせば、そのうちあの人たちのようになれると思いました。けれども事は私が思うようには進みませんでした。一年かけてダウンラインを十人育成しましたが、誰も私と一緒に働きたくなかったため、私は振り出しに戻らざるを得ませんでした。それは私にとってとても悔しい挫折でした。その一年間一日中働いてダウンラインを訓練したのに、なぜそんな結果になったのでしょうか。

救いが訪れても無視

 そのとき、終わりの日の神の福音が私に伝えられたのです。お金を稼ぐことにばかりあくせくし、惨めな生活になっていた私を見た兄弟姉妹たちが、私にこのように話してくれました。「私たちが人生で持つ富は神様によって前もって決められていて、自分の努力で変えられるものではないのです。主イエスは言われました。『何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。』(マタイによる福音書6章25-26節) 神様は私たちを創られ、息を吹き込まれ、神様の配慮と守りの下で生きるために必要なものは全て与えて下さいます。私たちが将来を思い煩ったり心配したりする必要はないのです。普通に働いていれば、十分な衣類も食料も手に入ります。私たちは皆、お金もうけのことだけを考え、残業したり時間外に働いたりして、結果的に神様に近づく機会、集会で神様の声を聞く機会を逃し、疲れ切った体で倒れてしまう人がいるのを見ています。神様は私たちが手に入るだけの衣類と食べ物で満足するよう願われますが、サタンは私たちを堕落させようとします。私たちの心をお金で支配させ、どこまでもお金を稼ぎたくなるようにし、飽くなき欲求をあおります。これはサタンの策略以外の何ものでもありません。自分の飽くなき欲求を捨てて神様のご計画と采配に従って初めて、私たちは安らぎと解放を得ることが出来るのです」兄弟姉妹のこの言葉を聞いて思いました。「あなた方の言うことには知恵があるけど、お金が全ての今の世の中でそのような考えでいれば、昔のような惨めな生活をするしかなくなるんじゃない?いや、私にはやっぱりもっとお金が必要よ。」こうして私は、終わりの日の神の福音を受け入れはしたものの、相変わらず直販の仕事に全力を注ぎました。朝起きるとまず広告を配信したり、顧客のメールに返信したりという生活でした。霊的な成長のために費やす時間は全くありませんでした。祈る度に、自分達夫婦を大きな富で祝福してくださいと神様にたのみました。これが私の神様への信仰の有り様で、集会中にこっそりと直販の広告を掲示するほどでした。

神様の御言葉が明らかにするサタンの策略

 私の状況を知った兄弟姉妹は、ある集会で神様の御言葉を私に見せてくれました。「『地獄の沙汰も金次第』はサタンの哲学であり、人類全体に、あらゆる人間社会に浸透しています。この格言は人間一人ひとりに伝えられ、今や一人ひとりの心の中に固定しているので、社会動向であると言うことができます。人はこの格言を受け入れない状態から、それに慣れ親しんでいく状態に移行したので、現実生活を知るようになったとき、格言を暗黙のうちに徐々に認め、その存在を認知し、最終的には一人ひとりが格言に承認印を押したのです。この過程は、サタンが人間を堕落させる過程ではありませんか。……サタンがこの社会動向を用いて人を堕落させた後、それは人にどのように表れますか。皆さんは金がなくてはこの世で生き残っていけない、一日でさえも不可能であると感じませんか。(感じます。)人の地位は、体面と同様に、その人がどれだけ金をもっているかにもとづいています。貧しい人々は恥ずかしさのあまり背を丸め、その一方で富裕な人々は高い地位を享受しています。彼らは胸を張って威張り、大きな声で話し、傲慢に暮らします。この格言と社会動向は人に何をもたらしますか。多くの人が金を稼ぐことは、あらゆる犠牲を払う価値があると考えていませんか。人々はもっと金を得るために自分の尊厳や高潔さを犠牲にしていませんか。多くの人が、自らの本分を尽くして神に従う機会を、金のせいで失っていませんか。これは人にとって損失ではありませんか。(損失です。)この方法と格言を用いて人間をここまで堕落させるサタンは邪悪ではありませんか。これは悪意に満ちた策略ではありませんか。」(「唯一無二の神自身5」より)

 神様の言葉を読んだ後、ある姉妹が言いました。「かつて私は、どうして全人類がお金を崇拝し、時間もエネルギーも全て注いでお金を稼ごうとするのか、身体を壊してまでやり続けるのか、お金のことで争い合い、騙し合い、激しくぶつかり合い、殺し合いまでしてしまうのか分かりませんでした。けれども神様の御言葉を読んで、お金はサタンが人間を堕落させて害を与えるための策略なのだと知りました。サタンはこの世をあらゆる無神論の学説や偉人や有名人の書籍や物語で溢れさせ、『金が全てではないが、金がなければ何もできない』、『先立つものは金』、『誰であれ金をくれる人には逆らえない』といった観念を吹き込んで、私たちに人生でお金は何より大事だと思わせ、お金さえあれば何でも手に入ると思わせ、周りの称賛を得て何でも好きなことができ、成功すると思わせるのです。そしてお金がなければ周りから軽視され、見下され、社会に居場所がなくなると考えさせます。このような間違った考えを受け付けられた私たちは、時間もエネルギーも全てお金のために注ぎ、他のことは全てそっちのけで、健康すら犠牲にしてお金を稼ごうとし、お金の奴隷になってしまうのです。神様の救いを受け入れても、尚も際限なくお金を追い求め、真理を求めたり神様を礼拝することには興味をもたず、神様の被造物としての本分を果たすことはできず、神様の加護や守りからは遠く離れてサタンの支配下で生きるのです……」

 その姉妹の言葉は私の心にストレートに響きました。お金を崇拝するこの社会で尊厳をもって生き、人から尊敬され、自分の言葉に耳を傾け尊敬させるには富が必要だと私は常に信じてきたので、大きな富を求めることは正しいと思ってきました。学校を卒業してからは色々な仕事をし、収入になるならばどんなに難しいことも粘り強くやり抜きました。息子が生まれてからは、自分の弱い身体を気にせずベッドの上で輸入の仕事を続けました。お金を稼ぐためにほぼ全ての時間とエネルギーを仕事に費やし、それが原因で私と子供達のあいだには距離が生まれ、時には子供たちが私を無視するほどになっていました。神様の救いが訪れた時、それを大切にせず、兄弟姉妹が神様の御心を語ってくれても、私のお金に対する欲望は全く変わりませんでした。集会中に直販のメッセージを送ったり、祈りの中でさえも、もっとお金儲けさせてくださいと神様にお願いしていました。私はお金を稼ぐことは正しいといつも思っていましたが、神様の御言葉を読んでから、そのような考えや観念はサタンから来るのであり、サタンがそれを使って人々に害を加えて堕落させようとしているのだと知りました。サタンはそのような観念を私たちに吹き込むのは、サタンは私たちにお金や贅沢な暮らしを求めて虚栄心を満足させるためにいつも忙しくなるように仕向けたいからです。私たちがエネルギーを使い果たして神様の配慮と守りから遠ざかるようにさせ、私たちを支配し害を加え、お金のために私たちが命さえ落とすことをサタンは願っているのです。これまで自分がどれだけお金のために働いてきたか、どうして若いうちに目を痛め、背中を慢性的に痛め、子供達からどんどん離れてしまったかを思いました。その全ての背後にある闇の力はサタンだったのではないでしょうか。

 姉妹はこうも言いました。「今の社会、貧しい人達は何とかお金を得るためにどんな事でもしよう、すべてを犠牲にしようとします。一方では、人の上に立つ人や裕福な人、有名人は、資産があり贅沢な生活を送っていても、心の中は空しく生きている人もいて、中には自殺してしまう人もいるのです。それを見れば、お金は一時的な安堵と楽しみを与えてくれるだけで、お金持ちの人達はどんどん堕落し、金遣いが荒く贅沢になり、そして一時の楽しみが過ぎれば空虚と苦痛しか残らないことがわかります。私たちが神様の前に出て潤され、御言葉を頂いて真理を理解しなければ、人類を堕落させるサタンの策略を見抜くことは決してできず、どこまでもお金に縛られ続け、最後にはサタンにもてあそばれて害を受けるだけなのです。」

 その姉妹の話を聞いて思いました。「その通りだ。神様は今日、真理を表されていて、人類を救う働きをされ、私たちがサタンの堕落と支配から完全に逃れて神様の配慮と守りを得るようになさっている。私が終わりの日の救いを受けるために選ばれたのは幸運だった。もし私が真理ではなくお金を追い続けるのならば、いつの日か裕福になったとしても、神様の救いの働きが終わるとき、それが何になるのだろう。大災害がやって来れば、全て無になってしまうのではないのか。イエス様が言われた通りだ。『人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。』(マルコによる福音書8章36節) それを理解した時、もうこれ以上お金ばかりを追い求めてサタンに惑わされたくありませんでした。直販の仕事では、ダウンラインを増やすためには全ての労力を費やさなくてはならないと考えていましたが、それでは子供達の世話をしたり集会に出席したり本分を尽くしたりする時間がありません。そこで直販の仕事は止めて、代行購入の仕事だけをする事にしました。それによって、時間にかなり余裕ができました。

神様の采配に従い、神様の祝福を見る

 それからしばらくして、私はパートナーのひとりに問題があることに気づきました。彼女は真面目に仕事をせず、よく顧客に間違った商品を送っていました。それが原因で、私たちの顧客サービスの成績が落ち続けました。問題解決しようとしても彼女は私を無視し、売り上げは落ちて行きました。どうすることもできず、私は彼女とそれ以上仕事を続けられないと判断し、仕方なく全顧客と5つ星のWeChatの店舗を手放しました。すでに顧客数は五~六千人に達していたので、続けていればそれまでにないほどの収入を得ることができ、衣食の心配などすることなく、誰もが私を見直したであろうことを考えると切ない思いがしました。でも止めなければなりませんでした。いずれにせよ良いパートナーを見つけることはできそうにないのですから。それはまるで砂地獄にはまってしまい、ズルズルと沈んでいき、抜け出せないかのようでした。どうすることもできない苦しみの中で、私はひたすら神様に祈り導きをお願いするしかありませんでした。

 私の状況を知ったある姉妹が、神様の御言葉を二節教えてくれました。 「ある者が追究する職業、ある者の生業、ある者が生涯にわたって蓄える富は、その者の両親や才能、努力、野望によって決まるものではなく、創造主により予め定められている。」(「唯一無二の神自身 3」より) 「人の運命は神の手で管理されている。あなたは自分自身を管理することはできない。いつも自分自身のことで忙しくしているのにもかかわらず、人は自分自身を管理することができないままでいる。あなたがもし自分の将来を知ることができ、自分の運命を管理できるなら、あなたは被造物だろうか。」(「人の普通の生活を回復し、素晴らしい終着点に連れて行く」より)

 これらの神様の御言葉を読んだ私は、とっさに理解しました。私は被造物に過ぎず、私の将来や運命、生活は全て神様の御手の中にあるのです。私がどう生計を立てていくか、生涯どれくらいの収入を得るのかは神様が予めお決めになっています。にも関わらず、神様がいかに全てを支配されご計画されるかを私は本当には理解していなかったため、全力で金銭を追い求め、金銭の損得を心配し、WeChatショップを諦めた時にはとても苦しくなり、将来どうして存続していけるのかと不安になるほどでした。私は不安と苦しみの中で生きていました。たとえ自分の将来がどうなるか分からなくても、神様が私に相応しいご計画を持っておられると信じ、勇気をもって将来を神様に委ねなければならないのです。その事が分かった私は、ずっと気持ちが楽になりました。私は自分の仕事、人生を神様に委ね、これから進むべき道を神様に導いていただきますと祈りました。

 その後、私は神様の御言葉を読む時間が増え、兄弟姉妹とともに集会に出席し、お互いの経験や理解を分かち合いました。子供達のことも神様に委ねました。毎日、子供達と御言葉を読み、讃美歌を歌っているうちに、子供達との関係も改善されました。更に私を驚かせたのは、私が仕事のパートナーと別れた後、主人の仕事が急速に上向きになったことです。神様のご計画が本当に素晴らしいことがわかり、私の心は神様への感謝でいっぱいになりました。

真理を理解して神様の御言葉によって生きることは私の最大の富

 その後、私は次の御言葉を読みました。「人々が追究する人生の様々な目標や生活様式を繰り返し調査分析すると、創造主が人間を創った時点における創造主の元来の旨に適合するものがひとつも無いことが分かるであろう。そうした目標や生活様式は、全て人間を創造主による統治と慈しみから引き離すものであり、人間を陥れて地獄へと導く罠である。このことを確認した後の作業は、従前の人生観を捨て、様々な罠から離れ、自分の人生を神に託して神に自分の人生を采配してもらい、神の指揮と導きのみに従うよう心がけ、それ以外の選択肢に惑わされず、神を信仰する者となることである。」(「唯一無二の神自身 3」より)神様の御言葉を読んだ私は、これまで自分が歩んで来た道を思い返してすすり泣きました。神様が全てを支配されていることを知らず、お金を稼いで裕福になることばかりを考え、結局自分も子供達も苦しんできました。もし神様が救って下さらなかったならば、お金の砂地獄にどこまでも深くはまり、お金しか見えなくなって神様から遠ざかるばかりで、最後にはサタンの餌食となっていたでしょう。神様は私を救って下さり、御言葉をもって私を導き、サタンの策略を打ち破るようにして下さいました。そして、お金を使って人々を神様の配慮と守りから引き離し、支配し害を与えようとするサタンの邪悪な意図がはっきりと見えるようにし、これから進むべき正しい道が見えるようにして下さいました。私は間違った追究を捨て、未来の人生を神様に委ね、神様のご計画と采配の全てに従いたいと思うようになりました。神様の御前に出て御言葉に従って生きて初めて、真の安らぎと解放を得て、心の平安と喜びを本当に感じることができるのだと心から思いました。

 今では、教会で本分を尽くし、神様の導きの下で生活しています。安らぎと平安、安心と解放を感じます。私は人生で最も価値のある富を得ました。それは、真理を理解し、神様の御言葉によって生き、創造主の愛と救いを得ることです。神様に感謝します!