私は茶店の見習いです。私は茶道を学ぶ前、お茶は沸騰させた水や他のドリンクと比べて少しにがいだけのものに過ぎないと思っていました。しかし、私は茶店で働き始めると、お茶には沢山学ぶことがあり、思っていたほど単純ではないことを知りました。
例えば、紅茶、緑茶、黒茶、白茶、黄茶、ウーロン茶、菊花茶、そしてプーアル茶等があります。このそれぞれに独自の特別な味と効能があります。これ故に、人間は長い間お茶を飲んでいると、健康に良い異なる効果が得られます。黒茶は本質的に温かいものなので、体を温めたり、お腹の状態を整えてくれますので、冬に飲むのが適しており、お年寄りや冷え性の方に最も効果的です。緑茶は本質的に冷たく、涼しいものです。炎症を抑えることができ、リフレッシュするのに効果を発揮します。これ故、それを飲むのは夏が最適な時期です。ウーロン茶は本質的に温かく、体を温めたりお腹の調子を整える効果があるので、大抵の人が飲むのに適しています。さらに、このお茶は香りが豊かで、呑んだ後も口の中に香りが残るのでいつまでも後味が続きます。プーアル茶は黒茶の一種です。脂っこい物を食べた後は、これを飲んでお腹の中をきれいにすることができ、脂質を分解してくれるのでダイエットに効果的な特性があります。しかし、このお茶は、生茶および熟茶、といった2種類に分かれます。生茶は発酵されていないので、脂質を効果的に分解することができます。しかし、飲み過ぎるとお腹が痛くなることがあります。それに加え、味は熟茶より劣ります。従って、大抵の人は本質的に温かくてお腹の調子を整えてくれる熟茶を選んで飲まれます。
私が先生の下で茶道を学び始めた時、彼女はこう仰りました:「山の湧き水は都市の汚染からかなり離れています。それは最も自然な水であり、普通の湧き水の中でも最高のものであるから、それに浸したお茶は自然と普通の湧き水に浸したものよりも美味しいのです。私たちは精製水を使ってお茶を浸しますが、山の湧き水の甘い味は出ないんです。」これを聞いた後、私はお茶を飲むことについて学ぶことが沢山あることを知りました。私の先生は私に笑顔を見せてこう言いました、「ほら、私の健康状態はどう?」健康でみなぎっている彼女を見た私は、「とても健康的です」と答えました。そして彼女は言いました、「私は以前仕事で忙しくて、お腹の調子が悪かったのよ。しかも、私生活におけるプレッシャーもあってよく不眠症になっていたの。でも、静かにお茶を味わったら、不安だった心が次第に落ち着いていったのよ。しかも、夏には緑茶を飲んで熱を解消して炎症を抑え、冬には黒茶を飲んで寒さ対策をしてお腹を温めるといった感じで季節に合わせてお茶を定期的に飲むようになったら、次第に健康を取り戻すことができたの。でも覚えておいて、お茶は夜には飲まない方がいいのよ。どうしてかって言うと、夜は私たちが寝る時間だし、お茶は頭をすっきりさせてしまうから、お茶を飲むのは逆効果なの。」この言葉を聞いて、私はお茶の葉の小片の効能と価値は本当にそれぞれの期待に応えていることを知りました。
後に、私は友人と知り合いました。彼女はよく私たちの茶店にお茶を飲みに来ました。最初、彼女は血色が悪く、不眠症と便秘に困っていました。彼女は自分が飲むに適したお茶を選び、それをしばらく飲んだ後、血色がどんどん良くなり、彼女の容態も大幅に改善しました。その後、私もお茶を飲んでみたくなりました。私は冷え性で、指とつま先が冷たかったので、黒茶を飲むことにしました。それは私の予想以上で、しばらく経った後、私の体は以前ほど冷たくなくなり、手と足もそれほど冷たくなくなったのです。一時の間、私は頻繁に夜更かしをしていたので、道を歩いていると視界が全てぼやけてしまうことがありました。私はその時、菊花茶が視力を改善できると聞いたのでそれを飲み続けて、少しずつ就寝時間を調整しました。しばらくした後、私の視界はそれほどぼやけなくなりました。私は自らお茶の素晴らしい効能を体験したのでした。私はこういった種のお茶は薬の代わりにはならないものの、軽度の病気や慢性疾患なら適切なお茶を飲めば予防したり、治すことができると感じました。これは本当に素晴らしいことです!感嘆の吐息をもらした後、私はお茶の効能はどこから来ているのかを知りたくなりました。
その後、私はこの御言葉を目にしました:「さらに、動物であるか植物であるか草であるかを問わず、万物の中には、神が造った、人体の負傷や疾病を癒やすために必要とされる植物もある。…血行を促進して血行不良を改善する植物、痛みを緩和する植物、止血する植物、麻酔効果のある植物、正常な皮膚の回復を促進する植物、鬱血を解消する植物、解毒する植物などもある。要するに、これら全ての植物を日常生活で使用できる。これらの植物は人間にとって利便性があり、人体に必要な場合のために神が用意したものである。神により人間が偶然発見できるようにされた植物もあれば、特殊な現象により発見された植物もあり、神が用意した特定の人間により発見された植物もある。そうした発見の後、人間はそれを伝えて多くの人々がそのことを知るようになる。このように、神によるこうした植物の創造には、価値と意義がある。…神は隠れて業を行った。この世界に人間が現れる前、神が人類と接する前に、神は既にこれら全てを造り終えていた。神が行った業は、全て人間と、人間の生存のためのものであり、また人間の存在のために配慮されたものであるので、人類は、神が人類のために造った、このような豊富で潤沢な物質世界で生活することができ、食料や衣料に懸念すること無く、不自由無く幸せに生活することができる。」
全ては神に創造され、制御されていることが分かりました。神は人間を創造なさる前に、既に私たちが必要とするもの全てを用意されていたのです。神は私たちが実生活において病気に罹ることをご存知であられたので、各植物に異なる効能をお与えになり、それぞれが異なる用途および価値を持つようにされました。そうすることで、私たちの病気は様々な薬草で治療することができるのです。例えば、人によっては痰を治して咳を和らげることができたり、人によってはお腹を温めて下痢を緩和することができたり、また他の人は熱を下げて毒素を取り除くことができたり、さらにまた他の人は食物の停滞を解消して脂質を分解することができます。それらの有する効能が何であれ、私たち人間が最大の受益者なのです。これは、神の創造された植物は、大きなものであれ、小さなものあれ、それぞれが独自の価値と存在の意味を有していることを意味しています。
実際に、植物の中に神の全能さと御知恵が込められているだけでなく、空気、光、適切な温度など私たちが存続するための環境は神によって適切な形で用意されており、私たちが好ましい環境で暮らせるようになっているのです。さらに、神が各季節に備えてくださる様々な食物や果物はやがて私たちが必要な様々な栄養素を提供してくれます。これより、私たちに対する神の愛は包括的であることが分かります:私たちの生活環境から日常の食べ物まで、神は私たちに豊富にお与えくださっています。これを受けて、私は本当に神の善良な御旨と奇跡的な創造を讃えます。私たちの回りにある木、花、魚、虫、そして鳥を注意して観測してみれば、創造主は全てのものを養っておられ、絶えず私たちに備えてくださっておられることが容易に分かります。神様、有難うございます!全ての栄光、神にあれ!