いのちの源

こちらはあなたにいのちのマナを提供し、あなたを満腹させ、いのちの源を見つけ、一日も早く主に立ち返るように導きます。

聖歌・讃美歌「真の祈りの効果」クリスチャン祈りの歌

2019-04-30 23:43:12 | 賛美の心

真の祈りの効果


正直に歩み
欺きを除くため祈れ
己を清めるために祈れ
祈り 神に触れられよ
さすればあなたの性質は変わるだろう
祈るにつれ人の性質は変わる
霊に触れられるにつれ
彼らはより従い
さらに積極的になるだろう
そして真の祈りで
彼らの心は次第に清められるだろう

真の霊的生活は祈りの生活
それは神に触れられる生活
神に触れられる過程とは
あなたが変わり性質が一変すること
祈るにつれ人の性質は変わる
霊に触れられるにつれ
彼らはより従い
さらに積極的になるだろう
そして真の祈りで
彼らの心は次第に清められるだろう


生活が霊に触れられなければ
それはただの宗教にすぎない
だが神から光を与えられ
いつも神に触れられたら
あなたは霊的な生活を送るだろう
祈るにつれ人の性質は変わる
霊に触れられるにつれ
彼らはより従い
さらに積極的になるだろう
そして 真の祈りで
彼らの心は次第に清められるだろう

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ネット上の話を鵜呑みにして、主のお迎えのチャンスを逃しかけた私(II)

2019-04-29 20:01:15 | 賛美の心

  その後、映画の主人公であるシャオイーがこのように語っている場面を観ました。「なぜ中国共産党は全能神教会を人間の組織だと言うの?なぜ受肉された神様には触れないの?『言葉は肉において現れる』のこともそうだ。中国共産党は全能神が表した真理を恐れているからさ。共産党は知ってるんだ。全能神の信者はみな『言葉は肉において現れる』を読んで全能神を受け入れたって。だから全能神教会が人の手によって創られた、人による組織だなんて言いふらすんだ。終わりの日のキリスト・全能神の出現と働きを隠して、この男性に注目を集めようとしてる。人々が神様を信じて従うのを止めさせるものだ。それが本当の目的だよ。事実を捻じ曲げ、神様が働きをなさる教会を人間の組織だと言う。そんなの神様の教会を弾圧するための言い訳さ。中国共産党はとことん狡くて邪悪だよ。」

  その瞬間になってようやく、中共政府がいつも「全能神教会は人間の組織である」と主張する理由がわかりました。これは、中共が全能神教会を抑圧するための口実であり、その悪しき動機が隠されていたのです。映画の抜粋シーンを観た後、刘さんから3つの聖書の言葉が送られてきました、「そこで、彼は口を開いて神を汚し、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちとを汚した。」(ヨハネの黙示録13:6)「この時代は邪悪な時代である」(ルカによる福音書11:29)「全世界は悪しき者の配下にある」(ヨハネの第一の手紙5:19)

  刘さんはこのように話してくれました。「アダムとエバが神の御心に背いて善悪の知識の木の実を食べたため、人間は堕落してサタンの支配下で生きるようになり、サタンの邪悪な道を歩み、神に抵抗しています。全世界がサタンによって支配されてきたと言えます。ですから、この堕落した人類は、神の働きが到来してもいつも非難し、拒絶し、抵抗しています。主イエスが現れて働かれた時と同じです。この時もユダヤ教の祭司長、律法学者、パリサイ人がローマ政府と共謀して主イエスを十字架にはりつけにしました。終わりの日には、神の働きを為さって真理を伝えるために出現される全能神は宗教界からも中共からも非難と抵抗を受けられます。しかしサタンがいかに猛威を振るおうと、いかに神の働きを妨害して覆そうと、神の羊たちは皆神の御座の前に戻ります。これは神の権威によって決定されます。噂を流して神を非難し冒涜する人々は永遠に救われないのです。この点は疑いの余地がありません。神が世界を洪水で滅ぼし、ソドムを焼き尽くされた事実や、ユダヤ人がイスラエルから追放され、世界各地に離散した事実から、神の性質が聖く義にして、不可侵であることがわかります。神に抵抗する者は誰しも、神の義なる罰を受けなければなりません。一方、世界から拒絶され、非難されるほど、神の働きが為される可能性は高く、なお一層求めて吟味すべきものであることもわかります。真の道は古くから迫害を受けてきたためです。」刘さんの話はあまりにも反論の余地がなかったため、私は完全に納得しました。

  それから刘さんは、『いのちの入りについての説教と交わり』の次の一節を送ってくれました、「真の道を吟味する際、特にウィキペディアに頼る人々がいます。彼らは『ウィキペディアに書かれていることは正確だ!』と言いますが、よく考えてみてください。ウィキペディアとは何でしょうか。この世のものに過ぎません。堕落した人間に書かれていないでしょうか。サタンの悪の力の一部ではありませんか。そこには真理があるでしょうか。そこに真理はありません。神に仕えるものではなく、神を畏れることは決してなく、神に証しされたグループではありません。どうしてそれを信じるのですか。嘘だらけのサイトです。嘘を広めています。サタンの政府が捏造する噂や嘘なら何でも、ウィキペディアは広めています。従って、嘘を広める組織ではありませんか。中国共産党が捏造する噂なら何でも、彼らが全能神教会の信用を傷つける手段なら何でも、ウィキペディアに掲載されます。つまり、ウィキペディアはサタンが嘘を広める道具で、サタンが人を欺く道具ではないでしょうか。それなのにどうして人々は真の道を調べるときウィキペディアを信じるのでしょう。この人々は何を血迷っているのか。この世が義であり公正であると信じているのでしょうか。政府や宗教界が『これが真の道だ』、『これが真の神だ』といった意見や主張を述べれば、この人々はその道と、その神を信じるでしょう。政府や宗教界が『これは真の道ではない』とか、『この神は本物ではない』と言えば、この人々はその道もその神も信じないでしょう。彼らは誰を信じるのかと言うと、政府を信じ、宗教界の言葉、宗教界の牧師や長老の言葉を信じています。ではこのような人は本当に神を信じているのでしょうか。彼らは神を信じていません。真理を認識しないため、神を信頼せず、神が本物であると信じず、神が真理であることを認めません。それ故に、そのような人が真の道を分析しようとすれば、サタンの嘘や噂を耳にするなり麻痺してしまうでしょう。この人は知的でしょうか。いいえ、違います。混乱しているのです。私の神への信仰には一つの原則があります。もし神であるならば、真理を伝え、人間を救うことができるはずです。それができれば私は信じます。私の神への信仰は揺らぎません。私たちが神を信じるのは真理を頂くためではないでしょうか。真理を得ることは、神を得ることです。真理を得なければ、あなたの信仰は失敗であり、何の役にも立ちません。真理を得て初めて、神を得ることができます。真理を得ずに、神を得ることはできません。」

  この話の一節を読んだ後、私は何だか恥ずかしくなりました。どの言葉も自分に向けられていたように感じて、こう思いました。「そうだ、ウィキペディアはこの世のものであり、その内容も堕落した人類によって書かれている。彼らは神を知らず、真理を持たず、神によって証しされた集団ではない。彼らが広めているものはあまりにも不純物だらけじゃないか。神への信仰と真の道の吟味において、俺はこの道に真理があるかどうかを確かめるべきだ。神のみが真理であり、道であり、いのちであり、神の働きのみが真理の表現なのだから。以前の私は、全能神の御言葉が真理であることは理解していたが、未だに中国共産党の噂や、権威があるとされるサイトに支配されていて、全能神の働きを吟味しようとしなかった。本当に愚かだった。中国共産党は全能神教会についての噂をたくさん捏造してきたし、ネットのプラットフォームは見境なく無分別にそれらを公開し、あちこちに転載している。それらが人々に及ぼす害は深刻だ。幸いにも、神が兄弟姉妹を通じて私を助け、導いてくださったおかげで私は惑わされていない。そうでなければ、主の再臨を迎えるチャンスを逃していただろうな。」

  私は刘さんに尋ねました。「どうして神はこれらの噂が存在し、ネット上に溢れ、神の信仰者を欺いて害を及ぼすのを赦しておられるのでしょう。」

  刘さんは、私が読むために神の御言葉の一節を送ってくれました。神の御言葉にはこうあります。「大きな赤い竜の国家にあって、わたしは、人々には測り難い段階の働きを実行し、彼らを風の中で揺れさせる。その後、多くの者が吹く風によって静かに漂い去る。まさにこれが、わたしが一掃しようとしている『脱穀場』だ。それがわたしの願いであり、それはわたしの計画でもある。というのは、わたしが働いている間に多くの『悪い者』が静かに忍び込んだからだ。しかしわたしは急いで彼らを追い払いはしない。むしろ、適切な時が来たら、彼らを追い散らす。そうしてはじめて、わたしはいのちの泉となり、真にわたしを愛する人々がいちじくの実やゆりの香りをわたしから受け取れるようにする。サタンがとどまる地、塵の地には、砂があるのみで純金は残っていない。だから、このような状況を見て、わたしはこのような段階の働きを実行する。わたしが獲得するものは砂ではなく、精錬された純金であることを、あなたがたは知らなければならない。悪い者がどうしてわたしの家に残っていられるだろう。」

  刘さんはこのように話してくれました。「全能神の御言葉から、神が働かれる間にこれらの噂の存在を許されているのは神のご厚意と知恵によることが分かります。神の国の時代の働きは、神の人類救済のための経営計画を完了させるためのものです。神は、神を心から信じている人々の集団を神の国に招き入れ、偽の信仰者や空腹を満たすためにパンを求めるだけの人々を暴き、排除されます。主の信仰者は数多くいます。真の信仰者か偽の信仰者であるか、毒麦か麦であるかはどのように証明できるでしょうか。これらの噂は、神が人々を暴く働きを為さる道具の役割を果たしてきました。これは、神の知恵と全能性を十分に示しています。ある人が真の信仰者か否か、麦か否かは、この噂の嵐の中で暴かれるでしょう。これは脱穀場をきれいにするという神の働きであり、神の終わりの日の働きを受けた人は皆、この試験に合格しなければなりません。ここから、神の働きはまさに本物であり、非常に実際的で賢いことがわかります。終いには、サタンさえもその心と口と目が納得を示し、神の義を称えるようになります。」

  神の御言葉を読み、兄弟の話に耳を傾けたところ、私は急に目が覚めて、神への感謝の気持ちがこみ上げ、自分のそれまでの歩みを思い出しました。絶望のふちに沈んでいた私を困難から救い出し、希望に満ちた米国という地に足を踏み入れるチャンスを与えてくださったのは神でした。そうして私は真のキリスト教徒になり、自由に神を崇拝しています。神の終わりの日の働きが私のもとに到来したとき、ウィキペディアの記事を盲目的に信じたためにサタンの噂の犠牲になるところでしたが、神が慈悲と恵みをかけ、兄弟姉妹を通じて思い出させてくださったおかげで、神の働きを求め、吟味して、救いのチャンスを掴むことができました。今では毎日神の御言葉を読み、神の働きを経験しています。兄弟姉妹と協力して神の国の福音を広めています。神の国の福音を広めるという本分を尽くすことができ、大変光栄に思います。神に感謝します。全能神にすべての栄光あれ。

 

 




ゴスペル音楽「私たちの人生は無駄ではない」神のくすしきみ恵み

2019-04-28 22:13:35 | 賛美の心

ゴスペル音楽「私たちの人生は無駄ではない」神のくすしきみ恵み【A Cappella MV】
私たちの人生は無駄ではない。私たちの人生は無駄ではない

今日私たちは神と出会い神の業を体験する
私たちは実践的で実在する肉なる神を知った
私たちは荘厳で驚くべき神の業を見た
私たちの人生の一日一日は無駄ではない
私たちはキリストが真理でありいのちであることを断言する!
人生の奥義を把握し
私たちは人生への最も輝かしい道を歩む
もう探し求めなくてもよい。私たちには全てが明瞭だ
神よ、私たちは後悔することなくいつまでもあなたを愛します
私たちは真理を見つけた。そして永遠のいのちを得る
私たちの人生は無駄ではない。無駄ではない
私たちの人生は無駄ではない。私たちの人生は無駄ではない

神を愛する人生は有意義で虚しいことがない
私たちは使命を果たし神のために証しする
私たちは神から称賛を得、神の救いを受ける
私たちは無駄な生き方はしない
私たちの人生は豊かで満ち足りている
神よ、私たちは後悔することなくいつまでもあなたを愛します
私たちは真理を見つけた。そして永遠のいのちを得る
私たちの人生は無駄ではない。無駄ではない
私たちの人生は無駄ではない。私たちの人生は無駄ではない

私たちほど祝福されている者がいるだろうか?
私たちほど幸運なものはいるだろうか?
何故なら神は、過ぎ去った時代に与えたよりも
遥かに多くのものを私たちに与えて下さったから
あなたと私を高く引き上げて下さった
神のために私たちは生きなければならない
私たちの上に注がれた全ての愛に報いるべきだ
神よ、私たちは後悔することなくいつまでもあなたを愛します
私たちは真理を見つけた。そして永遠のいのちを得る
私たちの人生は無駄ではない。無駄ではない
私たちの人生は無駄ではない。私たちの人生は無駄ではない
神よ、私たちは後悔することなくいつまでもあなたを愛します
私たちは真理を見つけた。そして永遠のいのちを得る
私たちの人生は無駄ではない。無駄ではない
私たちの人生は無駄ではない。私たちの人生は無駄ではない
『小羊に従って新しい歌を歌おう』より

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ゲームで病みつきになった息子はどのようにインタネット依存症から離れて彼女と仲間になるか

2019-04-27 17:56:52 | 賛美の心

  ある夏の夜、公園はとても賑やかでした。遊び回る子どもたち、おしゃべりを楽しむ大人たち、音楽にのって踊る人たちもいました。

  そんな中で1人、ジャオ・ファンは不安げな表情を浮かべてベンチに座り、息子のことを考え込んでいました。「この子は小さい頃、いつも私にべったりで、何でも話してくれた。でも、日に日に成長するにつれ、自分なりに関心や、趣味や生活スタイルができて、短気になってきた。それに、コンピューターゲームに病みつきになって、こっちは何度も強く注意しているけれど、全然耳を貸そうとしない。腹を割って話し合おうとしてもいつも二言三言交わすだけで意見が食い違って終わる。お互いの間にどんどん距離ができてしまっているようね。もう心も体も疲れたわ。どうしたらいいの。」

  「あの、ハンドバッグ落ちましたよ。」子どもの声に、彼女は我に返りました。

  「あら、ありがとう。」ジャオはハンドバッグを拾い、微笑んで少女の頭をなでてから、家に帰りました。

  帰宅するとジャオ・ファンは2人の子どもたちが一緒に座ってゲームをしているのを見ました。「そこよそこよ」、10歳の娘が兄に向って叫びました。「あーあ。またお兄ちゃんの負け。本当にバカなんだから。」

  その会話を聞いたジャオはますますいら立ち、ピシャリとドアを閉めます。

  すると娘が頭を上げました。「ママ、おかえり。」

  「あなたたち2人とも、1日中ゲームばっかりね。」ジャオはイライラしながら子どもたちに言いました。「もっとためになることをしたらどうなの」彼らが返事をしないのを見て、頭に血がのぼります。「あんたたちに話してるのよ、聞こえないの」。

  娘は口を結んだまま、しぶしぶ立ち上がり、その場を去りました。

  ジャオは怒りをこらえ、息子に向き直ります。「ゲームなんかしてて食べていける?学校の成績が上がるの?取りつかれたみたいに1日中ゲームばかりして。食事中だって、スマホばかり見ているでしょう。スマホがそんなに大事なの。」

  息子は一瞬面倒くさそうに彼女を見上げるとすぐに頭を下げ、またスマホで遊び続けました。これを見たジャオはスマホをつかんで叩き割りたい衝動に駆られました。

  その時、また娘がやって来ました。「ママ、怒らないで。夜ご飯作ってよ。私たち、朝も食べてないし、お腹ぺこぺこよ。」

  「今日は夜ご飯は作りません。好きなだけ遊ぶといいわ。言うことを聞かないんだから、ママはもうあなたたちの面倒はみません。」そう言うと、ジャオは寝室に入り、怒ってドアを閉めました。

  ベッドに腰を下ろしたジャオ・ファンは、次第に落ち着いてきました。「私が何を言っても、この子は絶対に耳を貸さない。今ではゲームから離れない上に、私たちの親子関係もますます気まずくなってきている。私はなぜ、こんなにこの子に腹を立てているの。単にゲーム中毒のせいなの、それとも私の言うことを聞かないからなの。他にも理由があるのかしら。いったい私はなぜ気がどうかしてるの」どうすればよいか分からないまま、ジャオ・ファンは神の御前に出て自分の悩みを告げました。そして祈りの後、神のこの言葉を思い出しました。「しかし、一部の人々が言うように、神は自分の地位について仰々しい概念を持っており、『わたしは最も偉大な存在であり、わたしがあなたがたを支配している。あなたがたは全員わたしに慈悲を請わなければならず、わたしに従わない者は死をもって罰とする』などと言うのでしょうか。神はかつて、このように人間を脅迫したことがありますか。(ありません。)神は、これまでに『人類は堕落しているので、わたしが人間をどのように好き勝手に扱ってもどうでもよい。人間に対して周到な用意を行う必要は無い』などと言ったことがありますか。神はこのように考えるでしょうか。(いいえ。)神がそのように行動したことがありますか。(ありません。)それとは反対に、神による人間それぞれに対する処遇はまじめで責任感があり、あなたが自分自身に対するよりも責任感に溢れています。そうではないですか。神は無益に言葉を述べることも、尊大に振る舞うことも、人々を欺くこともありません。その逆で、神は誠実かつ静かに、自身が行うべきことを行います。」(「唯一の神自身 6」より)

  この神の言葉について思いをめぐらせているうちに、ジャオは悟ります。「神は創造主であり、宇宙の支配者。至高にして聖なる方なのに、へりくだって地上で真理を伝え、救いの働きを行われ、大きな苦しみを受けられた。私たちは神の御心が分からないことは何度もあったし、神に反抗したこともあったけれど、神がその身分と地位を使って私たちに何かを要求したり、やみくもに怒り散らしたりすることは決してなかった。神はただ、その計画通り、ご自身のやり方で私たちの中で働きを行われただけなのね。その言葉によって私たちの魂を動かし、いつも私たちのそばにいて、私たちの救いを諦めたことはない。神の本質はとても美しく良いもので、私たち人間の誰にもない。では、私はどうだったかしら。息子をしつけようとしてカッとなって、傲慢な本性をさらけ出してしまっているじゃないの。『私はこの子の母親よ、私がやってることは全部正しいし、この子のためだし、言うことを聞いてもらって当然よ』と思いながらいつもこの子をしつけ、お説教していた。息子が耳を貸さないと、私はひどくイライラして、腹を立てることもあった。そんな私に敬虔なキリスト教徒らしさなんて残っているのかしら。私は息子を産んだけれど、神の御前では、私たちは2人とも、サタンによって深く堕落させられた創造物よ。私に息子を叱りつける資格なんてあるのかしら。母親の立場を利用して言うことを聞かせ、意のままに行動させようとするなんて、あまりにも理不尽だったわ。」そう思ったジャオ・ファンは自分の傲慢さと思い上がりがさらに恥ずかしくなり、神の聖なる善良な本質に心を動かされました。

  そしてジャオ・ファンは心を鎮め、息子と良い関係を築くにはどうすればよいか、そして、息子を神の御前に連れて行き、ゲーム中毒を直していただくにはどうすればよいかについて真理を求めました。自分には息子を正しい道に導く力はないとわかっていました。それができるのは神だけです。自分自身を脇に置いて、息子を完全に神に委ねます。もうサタンの性質によって生きたくないと思いました。それでは息子との関係が壊れて、彼女自身が狼狽し辛くなるだけだからです。

  ある日、息子がまたコンピューターゲームで遊んでいるのを見たジャオ・ファンは、以前のようにイライラするあまり、コンピューターの電源を抜いてしまいたくなります。しかし、神の御前に決意を固めたことを思い出し、怒りを抑えて、すぐに心の中で神を求めました。祈りの後、神の言葉を2つ思い出します。「自分の知識と能力を頼りにして事業に着手するならば、あなたはいつも失敗し、いつも神の祝福をのがしてしまう。」(『神は全人類の運命を支配する』より)「人の心と霊は神の手の中にあり、人の生活全ては神に見られているのである。あなたがこのことを信じようと信じまいと、生けるものも死せるものも、ありとあらゆるものが、神の思いによって、移ろい、変化し、新しくされ、消え去るのである。これが、神が万物を支配する方法である。」(『神は人のいのちの源である』より)神の言葉が光のように心を照らし、彼女は悟ります。「確かにそのとおりだわ。私が自分のやり方に頼ると、いつも失敗する。息子の考え方や発想は神の手の中にあるのに。」そして静かに神に祈りました。「神よ、すべてをあなたの手に委ねます。すべてを整えていただきたいです。」不思議なことに、勢いをつけてプレイしていた息子のキーボードが動かなくなりました。彼は「変だな」と言いながら、仕方なくコンピューターを閉じます。これを見たジャオは、心の中で何度も神に感謝しました。同時に、息子と腹を割って話し合いたいと思いましたが、話をする前に息子は「宿題がある」、と言いました。そこでジャオ・ファンは、神の采配に従うことを望みながら、最適な機会が与えられるよう、神に祈りました。

  夕食時に息子が、「ママ、人生って退屈だね。学校にいる時は、のんびり好きなだけ遊びたくて、早く休みになれと思ったけど、今はよけいにつまらないや」と言い出しました。

  ジャオ・ファンは言いました。「あのね、それはなぜか分かる?この世界では、みんなそれぞれ正しくてまともだと思える趣味とか、関心とかがあるでしょ。それならなぜ、望みが満たされるともっと空しく感じるのかしら?それは、私たちの望みがサタンから来たもので、心の中の空しさや心配を解決できないからなのよ。それにわたしたちのいのちにもならない。私たちは神の御前に出て、神の言葉に従った時に初めて、心が安らいで喜べるの。後で一緒に神の言葉を読まないかしら。」

  息子は頷き、その隣に座っていた娘も、「ママ、私も神様の言葉を読みたい」と言いました。

  神の素晴らしい御業を見て、ジャオは心の中で神に感謝と賛美をささげました。「いいわ。夕食の後に一緒に神の言葉を読みましょう。」

  夕食後、ジャオは神の言葉、『若者は世界の悪しき風潮を見抜くべきである』を子どもたちに読んで聞かせました。彼女の語りを通して、コンピューターゲームはサタンが人間を傷つけるための道具であること、それで遊び続ければどんどん堕落していくことを、ジャオの息子は知るようになります。それを理解した彼は、神の言葉をもっと聞き、ゲームの時間を減らす、と言いました。しかしサタンが人間に害を及ぼす手段を見抜いていなかったので、またオンラインゲームにはまり、神の言葉を読まないことが多くなってしまいます。それを見たジャオはまた心配になり、息子が少しでも早くサタンの束縛から自由になり、普通の生活を送れるように願いました。しかし、息子の助けになることは何もできず、全くの無力感の中、神に祈ることしかできませんでした。

  何度も何度も祈り、ジャオは神の言葉から実践の道を見出だしました。それはさまざまな人々に対して、さまざまな原則とそれぞれの背丈に従って接する、という道です。彼女は考えました。「私自身が神の言葉を体験したことを、この子にもっと伝えるべきね。この子がプレッシャーをあまり感じないように。」

  ある日の夕食後、ジャオ・ファンは部屋でスマホで遊んでいる息子の隣に腰掛けます。すると息子は顔を見上げました。「ママ、どうしたの?」

  ジャオ・ファンは微笑んで、「ちょっとね、話がしたいの」と言いました。

  少し驚きながらも、息子はスマホをそばに置きます。「話って?」

  「まあ、何も特別なことじゃないの。ただ、今のあなたのことを、全然知らないような気がしたから。あなたが高校に入ってから、ママは仕事に時間をかけ過ぎて、あなたにかまっていなかった。あなたが話をしがっていても、いつも時間がなかったり、ちゃんと聞いてなかったりした。時々、あなたがトラブルに巻き込まれると、ママはいつもあなたにお説教して、自分の考えを押し付けてた。今まで本当にあなたを理解したことはなかった。だから、今日話ができたら、気持ちを伝えられたら、と思ったの。学校のこと、たとえばあなたをいじめる人がいないかとか、友だちのこと、辛い時は、どうやって乗り越えているのかを話していいのよ。プライバシーを侵害するつもりはないの。ただ、あなたのことをもっと知りたいから、正直に話し合いたいだけなのよ」と、ジャオは穏やかに言いました。

  それを聞くと、息子は喜んでクラスメートたちとのつきあいのことを彼女に話しました。ジャオは話をしっかり聞いて、自分で理解している神の言葉の一部分や、自分の体験を挙げながら根気強く息子に助言しました。どんな人と友人になるべきか、人と仲良くするにはどうしたらよいか、どのような悪い習慣を止めるべきかを教え、物事の分別がつくよう手助けをしました。その夜、息子はとりわけ幸せそうで、自分の将来や趣味のことを喜んで母親に話しました。そしてジャオは神の言葉に従って息子を導き、彼が正しい人生の展望を築けるようにしました。こうした会話により、彼ら親子はお互いの誤解が解け、距離が縮まり、再び親友同士のように何でも話し合える仲になったのです。

  その時から、何か問題が起きると、息子は一番にジャオに話し、ジャオは話をよく聞いて、神の言葉に真理を求めながら彼を助けるようになりました。

  時々、息子が強情になって腹を立てることがあっても、ジャオは即座に神に祈り、真理を求めます。そして彼が落ち着いた後で、サタンの性質のままに話したり、行動したりすると、周囲の人々を傷つけるのだということを理解させます。息子がまたゲームで遊んでいると、ジャオ・ファンは彼のために祈り、コンピューターゲームはサタンが人間に害を及ぼすための道具だということを話し合い、彼がゲームの本質を見抜き、神の言葉に基づいて行動し、ゲーム遊びを止める決心ができるようにします。知らず知らずのうちに、ジャオと息子の仲はますますよくなり、息子は進んで自分の悩みや喜びを母に打ち明けるようになりました。さらに、神の言葉を読むことを通して、ゲームの時間が次第に減り、さらに思慮深くなっていきました。この効果を目にしたジャオは心の中で神に感謝します。神の導きがなければ、2人が対等にふれあうことはできなかったでしょう。2人の関係もあまり改善せず、息子のゲーム中毒も直らなかったでしょう。すべては神の祝福なのです。

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キリスト教讃美歌|私の家はどこに

2019-04-26 23:40:52 | 賛美の心

キリスト教讃美歌「私の家はどこに」クリスチャンの真実と感動物語  ミュージックビデオ

私は小さな筆で、小さな家を描く
母も父も中にいる
姉と私は日向で遊び、日は二人を照らし、温かく包む
母も父も姉も私も、笑みを浮かべて皆笑顔だ
これが私の家族。紙の上に描かれ
私の夢の中 夢の中にある

小さなスーツケースと、未知の地へと旅立つ
父は家の中、母は外にいる
スーツケースを手に、かつて知っていた家へ
母は家の中、父は外にいる
私は小さなス-ツケースと
道をさまよう 道をさまよう
スーツケースは唯一の友だち
唯一の家 逃れられない家
私の家はどこにあるの?
広い世界のどこにも見つからない
心地よい家、誰が与えてくれる?
描いた家を、夢見た家を
私の家はどこにあるの?
広い世界のどこにも見つからない
心地よい家、誰が与えてくれる?
描いた家を、夢見た家を

ほら、ここにある、私の家
紙に描いたのと違う家
スーツケースではなく、夢に見た場所
母も父も私も、姉も中にいる
ここは私たちの魂が安らぐ家
栄光と希望に満ちた家
私たちの魂が安らぐ家
栄光と希望に満ちた家
栄光と希望に 栄光と希望に 満ちた家

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