主人と私は温室植物を生産しています。かつてはきゅうりを栽培していましたが、それはとても面倒なものでした。私達はきゅうりを発芽させ、苗を栽培し、水をやり、畑に肥料をやり、害虫を防止・駆除するなどの作業をしなければなりません。そのため、2015年、きゅうりの代わりに、より栽培が簡単で、手間がかからず、主のために働く時間を持つことができる菊を栽培することにしました。
そうして、2万本の菊の苗を注文しました。予想に反して、苗は配達された時点で、その多くの頭部が既に腐っていました。私はとても立腹し、販売業者に電話し、これらの苗を検査するように頼みました。その後、彼は私達に補償として、100本の苗を送ってきました。私達の温室にはまだたくさんのスペースがあったので、さらに2千本の苗を購入し、すべてを植えました。1週間後、頭部の腐っていた苗はすべて死にました。この状況に直面し、私の心は痛みました。今年は豊作とならないばかりか、損失も出すことになりそうだと考えました。損失を最小限に抑えるため、すべての苗を根から引っこ抜き、別の植物を育てたいと思いました。しかし、主人はこれに反対し、「1万本の苗しか残っていないが、1本1本が4倍、5倍の花を咲かせれば、私達は使ったお金を取り戻すことができる。別の植物を育てるには遅すぎる。しかも、もしそんなことをすれば、私達は集会に出ることができず、主への御奉仕に遅れが出てしまう。そして、私達の霊的いのちの成長に影響が出るだろう。そんな価値はない」と言いました。主人の言葉を聞き、「その通りだ。神様への信仰を遅らせることはできない。これらを根元から引っこ抜くのを諦めよう。何本の苗が生きるかをお決めになるのは神様だ。私達が利益を出すことができるか、どれほどの利益になるかは、神様が事前にお定めになっている。」と思いました。そう考えると、すべてを神様に委ねる自信が湧き、神様の御主権と御采配に従うことにしました。
そして、苗の頭を摘み取り、苗がまた成長できるようにしました。1週間後、苗から枝が出始めました。一般的に、各苗は5~6本の枝に分かれることになっていますが、ほとんどの苗は2~3本にしか枝分かれしませんでした。これを見て、主人は落胆し、「終わった。今の感じでは、豊作はないだろう。これを育て続けても、使ったお金を取り戻せるか分からない。根元から引っこ抜き、諦めよう」と言いました。私は、「1週間前にそうしていたら、恐らく別の植物を植えることができただろう。しかし、今はもう寒すぎて、別の植物を育てるには遅すぎる」と思い、「こんな風だから、成功するか否かはどうでもいい。私達の花からどれほどの枝が出るかも気にしない」と言うと、主人は力なく、「ああ、仕方ない」と答えました。その後、教会で忙しく奉仕をし、花の世話をほとんどしませんでした。それから、私達に代わって温室の世話をしてくれるよう、1人のおばあさんを雇いました。
数日が過ぎ、私達の花が高さ約10cmにまで成長すると、そこで成長を止め、どの枝も蕾を付け始めました。他の農家は私達を笑って、「花の栽培はどうかい?お前さんとこの花は背が低くて痩せっぽちだな。あんまりうまく行ってないね。お隣さんの花を見てご覧よ。苗はまだ花を付けてないが、しっかりして背も高い。お前さんとこの花は蕾を付けているが、背がとても低い。どうしたら菊のように見えるかな?出荷の時期には一体誰に売るつもりだい?」と言いました。この言葉を聞いて、とても動揺し、「私達の花は確かに近所の花とは比ぶべくもない」と思いましたが、その後、次のように思い返しました。「『人間は種を蒔くことができるが、収穫は神の思し召しだ』という言葉がある。花がどのような見た目になり、よく成長するか否かは、神様の御手の中にあり、私達が決められるものではない。あなたは言いたいことを言えばよい。私はこれをすべて神様に委ね、神様に決めていただこうと思う。私は神様の御規則と御采配に従うのみだ」と思いました。
菊農家は、「花を大きく成長させ、高値で売りたければ、蕾が出てきた段階で、各枝の中央にある1つの蕾をのぞいて、すべての蕾を摘み取ってしまうといいよ」と言いました。そこで、主人がおばあさんにそれをお願いしました。しかし、おばあさんは摘み取るのが必要な蕾があまりにも多いのを見ると、すべてを摘み取ることはせず、多くを残してしまいました。その上、彼女は摘み取った植物の頭部を何の気なしに土に植えてしまいました。私が温室を見に行くと、彼女が植えた花を含め、すべての蕾が咲きかけていました。4週間目にはすべての花が満開となりました。予想外なことに、私達が花を収穫すると、花農家が集中する南部地方に巨大洪水が突然発生し、花はすべて洪水に飲み込まれてしまいました。さらに、それはちょうど冬で、花が不足している時期だったため、花の価格が高騰し、花需要が供給を上回っていました。私達の花は背が低く、小ぶりでした。通常であれば、誰も買う人はいなかったでしょう。しかし、この時期、私達が花を収穫した瞬間に、買いたいという人が現れ、おばあさんが植えた花でさえ高値で販売しました。
その後、おばあさんは、「あなたのお隣さんをご覧なさい。いつも易をし、占いをし、2つの花栽培温室がたくさんのお金を運んでくれると見込んでいました。そのお金で家を建てることもできると想像さえしていました。しかし、彼が意図したようにはなりませんでした。彼の花は背が高く大輪でしたが、価格が高いときには開花しませんでした。花を収穫したときには価格は10分の1に下落しており、花を販売した後も、大金を使って、茎を引っ張らなければなりませんでした。一方、あなた達はほとんど仕事をせず、収穫も簡単でした。花は背が低く小ぶりでしたが、とてもよい値を付け、花の価格が最も高いときに売ることができました。あなた達はとても祝福されています。これは運命です。これは易や占いで達成することはできません」と言いました。これを聞いて、心の中で何度も神様に感謝を捧げました。この状況から、私はすべてが確かに神様の御手にあることが分かりました。今年素晴らしい収穫を迎えることができたのは、神様の愛でした。神様の御偉業はあまりに素晴らしいのです!
神様、ありがとうございます。この経験から、神様の御権威と御統治に関する知識を深めました。動物であるか植物であるかにかかわらず、生死は神様の御規則と御采配の中にあり、神様が私達のためにお定めになるすべてが最善のものです。私は過ぎたことを思い返しました。すべての花を根元から引っこ抜きたいと考えたとき、神様は主人を使い私を阻止されました。どのように蕾が成長するか、いつ開花するか、どれだけの花ないし植物が生産されるかは、神様の御手にありました。おばあさんもそう考えていました。このおばあさんは菊の育て方など知りませんでしたが、摘み取った苗の頭部を土に植え、神様の御統治のもと、これらの植物が育ち、普通の植物と同じように開花しました。花を販売するときが来ると、花農家が集中する南部地方に洪水が起こり、私達の花は破格の高値で販売されました。私達は花の世話にたいした時間をかけず、神様にお仕えすることにのみフォーカスし、私達の温室の管理のためにおばあさんを雇っていました。それにもかかわらず、私達は使った費用の何倍ものお金を簡単に手にすることができました。近所の花農家は苦労して花の世話をしましたが、私達よりも安値で花を売りました。これは、「人間は種を蒔くことができるが、収穫は神の思し召し」であるためで、すべては神様の御統治にかかっているのです。この経験を通して、私は、これらすべては神様の驚異に満ちた御偉業であり、私達がどれほどのお金を稼げるかは神様により事前に定められており、私達が今日手にすることができるものは、すべて神様の祝福であることが分かりました。
このことを経験して、これらの環境を神様がお定めになる目的は、私が稼げるようにして私を祝福されるためだけではなく、神様の全能性や御統治を私が経験し、目の当たりにし、これを知ることができるようにするためだったということに気が付きました。人の心や霊に至るすべてが神様の御手にあると痛感しました。私が主のために働くことのみを考え、温室にあまりフォーカスしないでいると、神様は私をひどくお扱いにならなかったばかりか、祝福を倍増し、神様の御心はとても善良であることを私に見せ、神様の愛がとても大きいことを私に経験させてくださいました。神様のお陰です!この経験により、すべてを神様に委ね、神様の御統治と御采配に従う自信が一層大きくなりました。すべての栄光は神のものです。アーメン!
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