寄稿家:ヂィ(イタリア)
私が小学生だった頃、毎年夏休みや冬休みになると私のいとこたちが車で家にやってきて沢山のプレゼントを持ってきてくれました。そして、家の中は親戚、友達、そして近所の人たちでいっぱいになりました。皆が自分のいとこたちを尊敬する目で見つめる様子を見て、私はとても羨望しました。その時、私は、「いとこみたいな立派な人になって、先祖に名誉と栄光をもたらし、貴族みたいな生活ができるように、一生懸命に努力して将来何かを実現してみせる」、と決心しました。
懸命な努力
私は専門学校を卒業した後、運よく外資系企業で事務員の仕事に就くことができました。当初私は心の中で、「まあ事務所勤務だから、一応は知的労働者ってことになるわ」、と秘かに喜んでいました。しかし、地位と能力の低い私は事務所内で他の皆にこき使われることになるとは思っていませんでした。私は自尊心が傷つけられたと感じましたが、同時に私の中で野心が芽生えました。私は努力して人が私を見る目を変えてやろうと決意しました。従って、私は懸命に働き、空いている時間も全て社内規定と製品の専門知識を学ぶこと、そして専門的な能力を修得することに注ぎ込みました。毎日、私は朝から夜まで働き、年間を通して休みはほとんど取りませんでした。5年の間、私は寮、食堂、そして事務所以外は何処にも行きませんでした。そしてついに私の長年の努力は報われたのです。私は普通の事務員から営業員、製造部の役員、購買部のスーパーバイザー、輸出業務のスーパーバイザー、そしてついには社員から尊敬される社内マネージャへと昇格していったのです。以前私を見下していた社員は私の前で頭を下げてお辞儀をするようになりました。このような成功は栄光と誇りを感じさせてくれました。
しかし、より多くの人々と関わるにつれ、私は自分よりも裕福で権力を持つ成功者たちが大勢いたことを知りました。こうして、私の満足感は次第にしぼんでいきました。私はこう思いました:「社内で高い地位と社員からの支持および尊敬を得たとはいえ、私は未だ人の下で働いている身だわ。’大きく成功するには夢中でないといけない’ と世間では一般的に言われているし、私はまだ若い、自分でビジネスを立ち上げるべきだわ。’人は高い所を目ざし,水は低い所に流れる’ という古い諺もあるくらいだから、現状に満足しないで進歩していくことを求めるべきだわ」何年にも渡って培った経験は私に信念と勇気を与えてくれたので、私はマネージャとしての高給な仕事を辞めて、自分のビジネスを立ち上げました。
その後、私は有名化粧品ブランドのエージェントとして働きました。会社に設定した高い業績目標を毎月達成していくために、私は店の対応をする以外にも様々なマーケティングプランを立てる必要がありました。私は日中の間は客がいるいないに関わらず常に店の中にいて、夜遅くまで帰宅しませんでした。私には祝日すらありませんでした。時に、私は疲労を感じることはありましたが、成功は手の届く所まできていると思い、全力を振り絞って耐え凌ぎました。その数年後、私はかなりの成功を収め、ある程度の収入を得ました。そして、私は店を拡大し、車と家も購入しました。私の親戚、同級生、そして近所の人たち全員が私のことを感心の目で見つめ、私の両親も私のことを誇らしく思ってくれました。
突然の病に見舞われ、私は耐え難く辛い思いをしました
自分のキャリアの達成感を楽しみながら、休むことなくビジネスで多忙にしていた時、私は健康の問題を抱え始めました。私は頻繁に目眩がし、両手が麻痺していたのです。病院で検査を受けると、私は信じられないことに頸椎症と関節周囲炎を患っていたのです。医者は真剣な口調で私にこう言いました:「これらの病気は根絶することはできないんです。治療は痛みを緩和することしかできません。体を大事にして、もっと休んで働き過ぎないようにする必要があります。そうしないと、あなたの病気は増々悪化していきますよ。これらの病気は致命的なものではありませんが、悪化したらあなたの将来の生活に悪影響を及ぼします。あなたは未だお若いし、健康にはもっと注意する必要があります。このままの状況が続くと、筋萎縮症、それに四肢麻痺まで起こす可能性があります。」医者の言葉を聞いて、私は頸椎症と腰椎疾患に苦しむ人たちのことを思い出しました。彼らの仕事と生活はひどく影響を受けていました。体が麻痺しているようで何も出来ない人もいました。こう考えていると、私はひどく落胆しました。私は30歳にすらなっていない自分が50代や60代の人たちが患うような病気に罹るとは思ってもいませんでした。
私は自宅に向かって運転している時、涙が顔を流れ落ちるのを抑えることができませんでした。この数年を振り返ると、私は自分が止まれなくてカチカチと回り続ける壊れた時計になっていたような気になりました。
その後、私は定期的に病院へ治療を受けに行きました。私は頸椎症と関節周囲炎を治そうと、理学療法、マッサージ、吸い玉放血法、鍼治療、牽引、そして小針-メス治療を始めとするありとあらゆる治療法を試しました。これらの治療には沢山の費用がかかりましたが、何の効果もありませんでした。それどころか、これらは私の頭の中に暗い影を残していきました:治療の最中に聞こえた針治療の音が頭の中で響き続けるのです。病院に行く度に、私の心臓は激しく鼓動し、牽引と鍼治療の痛みを考えると、足に力が入りませんでした。私は何度もこう思いました:「私は一生懸命に働いてキャリアを築き、お金を稼ぎ、良い評判を上げてきたのに、健康な体を失ってしまうなんて。輝かしいキャリアを築くという野心のために人生のほぼ半分を注いできたのに、どうしてこの懸命な努力の結果がこうなってしまうの?」私は極度の落胆と悲しみの中を生きましたが、それからどうやって抜け出せばよいのか分かりませんでした。
神への信仰を開始した後、私は自らの人生を振り返りました
私はひどく苦しんでいた時に神の御国の福音と出会いました。私は神のこの御言葉を目にしたのです:「ひどく汚れた国に生まれ合わせて、人は社会に駄目にされ、封建的倫理の影響を受け、『高等教育機関』で教えを受けてきた。後ろ向きの考え方、堕落した倫理観、さもしい人生観、卑劣な哲学、全く価値のない存在、下劣な生活様式と習慣──これらはすべて人の心をひどく侵害し、その良心をひどくむしばみ、攻撃してきた。⋯⋯」
私は神の御言葉を読み、そして兄弟姉妹たちと交流することで、自分の苦しみの根源を知りました。私は、幼かった頃に、いとこたちが各々のキャリアで成功を収め、そして親戚と友達全員が彼らを尊敬しているのを見て、自分も立派な人になろうと心の中で秘かに決心したのを思い出しました。社会に足を踏み入れた後、「他人を超える」、「先祖に名誉をもたらす」、「人は高い所を目ざし,水は低い所に流れる」といった人生観に囚われていた私は普通の知的労働者であることに満足できなかったのです。立派な人になり、人から尊敬されるという望みを叶えるため、私は気が狂ったように働き、食べることも、寝ることも忘れてしまうほど学ぶことに没頭しました。外資系企業でマネージャになった後、それに満足できなかった私は、自分のビジネスを立ち上げようと懸命に努力しました。私は健康を損なうまで名利を追い求め続けたのです。現代社会では、大多数の人々が裕福で権力のある人々を尊敬し、その仲間入りをすることに熱心です。彼らは名利を求めて最善を尽くしますが、それはサタンが人間を誘惑し傷つけるために使う策略であるということを知りません。サタンは虚偽の考え方を用いて私たちを操り、私たちが神から離れるようにします。名誉、富、そして地位に囚われた私たちは苦しみの中を生きるのです。沢山の人々は成功を収め、存在を認められ、莫大な富を手にしますが、実際はとても虚しく憂鬱な気分に駆られているのです。中には相当な精神的苦痛によってうつ病になる人もいます。その中には快楽と肉欲を求める生活にふけたり、自らを麻痺させて苦しみを和らげるために麻薬中毒になってしまう人さえいます。自らの命を絶つために自殺を選択する人もいるのです。私は神の御言葉の啓示とこういった事実を通じて、立派な人になることは真の幸せではないこと、そして成功と名誉は真の満足感と確信をもたらしてはくれないことに気が付きました。
聖書の伝道の書1:14には、「私は日の下で人が行うすべてのわざを見たが、みな空であって風を捕らえるようである」と記されています。マタイ16:26で、主イエス様はこう仰りました:「たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。」そうです。私たちはこの世で何を手に入れようと、この世を去る時には何も持って行けないのです、そして最終的にすべては空っぽになるのです。お金、名誉、そして地位のために苦労していては、私たちは極めて無知で愚かということになってしまいます。あの頃、私は立派な人になって貴族のような生活をしようと懸命に努力しましたが、今現在、私は健康を損ない、病気の苦しみの中で生活を送っています。こう考えると、自分はとても無知であったことが分かります。
後に、私は神のこの御言葉を目にしました:「あなたが泣き声を上げてこの世にやって来るその瞬間から、あなたはあなたの本分を果たし始める。あなたは、神の計画と神の定めにおいてあなたの役割を担う。あなたは人生の旅路を始めるのである。あなたのこれまでの背景がどうであろうと、あなたのこれからの旅路がどのようなものであろうと、天が備えた指揮と采配を逃れることができる者はひとりもおらず、自分の運命を支配できるものはいない。万物を支配する神のみが、そのような働きを行うことができるからである。人が誕生した日から、神は一貫して自分の働きを及ぼしてきた。そしてこの宇宙を経営し、万物の変化と動きを方向づけてきた。万物と同様に、人は神から甘美さや雨露という滋養物を、そっと、知らないうちに、受け取っている。万物と同様に、人は知ることもなく神の手による采配の下で生きるのである。」「それよりは神を満足させる最も簡明な方法を見出すこと、すなわち神の采配の全てに従うことが最善であるとわたしは考える。そして、真にこれを実現できるならば、あなたは完全にされるであろう。これは平易で楽しい事ではなかろうか。他人の言葉を気にせず、考えすぎずに、自分の歩むべき道を進みなさい。自分の将来や運命を自ら掌握しているのであろうか。」
神の御言葉の御導きを通じ、私はこう気が付きました:「私たちの運命は神の御手の中にあります。神のなさる調整と采配に従ってのみ、私たちは神の祝福を授かり、真の幸せと安楽を手にすることができます。」しかし、私は神の主権を知らず、どれだけ辛く疲れていようとも、サタンの哲学に従いながら頑固なまでに追い求め続けていました。私は病気になるまでは、止まって内省することはありませんでした。私は自分が追い求めてみたものは全て苦しみしか生み出さなかったことに気が付きました。私たちは神の前に行って神の主権と采配に従い、名誉と地位へのこだわりを手放し、それらを求めて駆け回るのを止めた場合に限って、サタンの誘惑と害から距離を保ち、自由に抑制なく生きれるようになります。こう考えた私は今度の道を歩む方法を知ったのです。
自分の観点を改め正し、自由を取り戻しました
後に、会社はマーケティング戦略の変更に伴い、幾つかの店舗をモデル店舗として選定することにしました。モデル店舗はロケーションが良く、安定した客足があり、高い売上を挙げることが求められました。会社の幹部からこのプログラムの詳細を聞いた時、私は誘惑に駆られてこう考えました:「私の店舗がモデル店舗の最初のグループの1つになったら、会社から色んなサポートや高額ディスカウントが付与されるだけでなく、店舗を改装したら客が次々と来店してくるようになるわ。そうすれば、売上は右肩上がりだわ。」頭の中で見事な構想を思い描いていた時、この神の御言葉が私の頭をよぎりました:「人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。」(マルコによる福音書 8:36)。「もし再び選択を迫られるなら、あなたがたの立場はどうだろうか。依然として前と同じだろうか。」神の御言葉を熟考しながら、私はこのように内省し始めました:「一体私は何を選ぶべきなの?お金、名誉、地位、それとも私のいのち?今日、会社の新たな戦略を聞いた私はまだ自らの健康を無視してまでこの機会を利用してお金、名誉、そして地位を手にしたがっているわ。以前と同じ過ちを犯してしまうのに。体が麻痺してベッドに転がっていたら、どれだけ富があって、どれだけ人から尊敬されていても、全く何の意味もないわ。一番大切なのは自分のいのちなのよ。」神に感謝します。私は神の御啓示と御導きの下で自分の歩むべき道の選び方を知りました。その後、私は幹部の所に行って彼女にこう伝えました:「今私は体調が良くないので、店舗を拡大したら健康を完全に損なってしまいます。なので、モデル店舗は諦めることにしました。」こう決断したとたん、私は長い間掛けられていた足鎖から開放された気分になり、以前感じたことのないゆとり、自由、そして安堵を感じたのです。
その後、私は店の経営に自分の時間全てを充てることはなくなりました。私は教会で自分の本分を尽くすことに最善を尽くしました。私は集会の時間には集会に参加し、仕事の時間になると自分の店舗に行きました。驚いたことに、私が集会に参加したり、本分を尽くすようになったにもかかわらず、店の売上は落ちなかったのです。これより、この全ては私自身の努力によって決まるものではなく、万物が神の御手の中にあるように、これもまた神の祝福と支配によって決まっていたということを私は明確に知りました。
神の選定と救いに感謝します。教会生活を送り、兄弟姉妹と共に神の御言葉を読み、それぞれの個人的な体験を共有し合うことを通じ、私の憂鬱な心は次第に晴れていき、私の状態も好転しました。神に感謝します。私は神が私の内に指し示してくださった方向に向かって真理を追い求め、いのちの正しい道を歩み、神に従い、神を崇めていきたいと思います。全ての栄光、神にあれ。