いのちの源

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きびがあっても、私の人生は不確かではありません

2019-08-01 20:33:47 | 賛美の心

私の大学生活のための良い計画
  

  2013年9月、私は興奮を胸に大学の門をくぐりました。私は今、ルックスの良い顔が人々から重宝される時代だと知っていました。面接に参加する時、またはクラスでリーダーポジションに立候補する時、人々は誰もが先ず肉体的な魅力を評価するものです。誰もがハンサムな男の子や美しい女の子を好みます。ルックスさえ良ければ、何処に行っても褒め立てられるでしょう。誰もがWeChat MomentsやWeibo,そしてQQスペースにそれぞれの美しい画像を載せています。私は以前、ニュースで大学生が最初に大学に入学した時と卒業した時の見た目の大きな違いを示した写真を見たのを覚えています。後者の写真は前者と比べて何千倍も綺麗になっていました。私もまた必ずそういった変化を遂げたいと思いました。良い仕事を見つけ、良いパートナーを見つけ、そして良い将来を手にするため、私は大学の入学初日からこのような決意をしました:「大学の4年間で私は全く新しい自分に変わってみせる。私は化粧を学んで、美しくなる努力をして、自分を気が利いて、魅力的で、十分に洗練された人に作り上げる必要があるわ。」

私の人生は予想外のにきびに破壊されました

  しかし、私が計画を実行する前に、それは私の顔にできた予想外のにきびによって完全に破壊されてしまいました。それ以降、私は私生活においてにきびと戦う必要がありました。

  大学の軍事訓練後、私はにきびが出るようになりました。私は不規則におでこと頬に大きなきびが出るようになり、痛くてかゆい思いをしました。それらが潰れると、赤い傷を残し、私の顔は赤色や青色に見えました。その後すぐ、私の顔はにきびのせいで傷ができてしまい、ほぼ見違えてしまうほどに変わってしまいました。これが原因で、私はもの凄く悲しくて心配になりました。私はこう思いました:「大学は才能のある人だらけ。賢くても平凡な人は競争になったら負けてしまう。これはこの大学の学友会のリーダーポジションの選挙を見たら分かるわ - 当選した人は皆ハンサムな男の子だったり、可愛い女の子だから。でも今となっては、私の元のルックスは変わってしまったから、私はどうやって目立てばいいのよ?どうやって他の人たちと戦う資格を手にしたらいいのよ?」

  一度、私のルームメートたちが私たちのクラスにいる男の子の彼女について話していたことがありました。彼女たちはこう話し合っていました:「彼女はすごい背が低いし、顔もにきびで傷ができてるわ。どうして彼は美しいものを見る目がないのかしら?」 これらの言葉は私の心に鋭く突き刺さりました。彼女たちは私のことを言っていたわけではないにしろ、彼女たちの言葉はまるで私の欠点を暴露したかのように私に強い羞恥心を感じさせました。この恥ずかしい状況を目の前に、私は静かにこう決意する他ありませんでした:「私はこの顔にできたにきびを治す必要があるわ。」しかし、私はこれらのにきびを相手に勇気を奮い起こしましたが、依然として時々ショックを受ける時がありました。私の先生は授業中によくこう言いました:「あなたたち女の子は化粧とおしゃれを勉強するべきだ。そうしたら、他人に好印象を残して、仕事を手にすることができるようになる。見てみなさい、あの誰それっていう生徒の服のスタイルと化粧は魅力的だ。」彼の言葉を聞いて、私のクラスメート全員が賛成していました。しかし、私はというと、ただ単に地面に割れ目を見つけてサッと入り込んでしまいたいだけでした。私は心の中で思わずこう泣き叫びました:「私の将来は本当にこのみきびのせいで駄目になってしまうの?」

  次第に、明るくて社交的な女の子であった私は孤立し、自己卑下をし、落ち込んでしまいました。私はクラスメートたちの顔はすっきりして、色白だったのを見ました、しかしそれに比べると、私は自分の顔を見ることが耐えられませんでした。こうして、私は言葉を絶するような悲しみを感じ、常に自分の顔の皮膚を変えたいと思いました。顔ににきびがあった私は外出して人に会うことを恐れました。時に外出が必要な時は、道中ずっとマスクをしました。しかも、私はにきびを解消するためにありとあらゆる手段を試しました。私は毎晩1時間から2時間かけて温水で顔を洗い、中国伝統医学で作られたマスクを顔につけました。ある程度の時間が経つと、私の机と棚にはありとあらゆるにきび治療用クリームのボトルがいっぱいになり、私の顔は様々なにきび治療用クリームで覆われていました。それにもかかわらず、私がとても憤慨したのは、中国伝統医学、西洋医学、ありとあらゆる軟膏剤、スキンケア商品やマスクを使い、美容院にさえ行ったのに何の効果も得られなかったことでした。

  顔ににきびができていたことで、私が一番心配したのは将来の就職活動でした。私はこう思いました:「もう顔がにきびだらけだから、インターンとして働きに行く勇気すらないわ。そしたら卒業した後、どうやって仕事を見つければいいのよ?企業は人の面接をする時は、先ず人の見た目を確認するのよ。。。私は考えれば考えるほど、増々自分の将来は暗いと感じるようになり、増々心配になっていきました。そして、私は自分の部屋で秘かに泣き叫ぶことすらありました。私はにきびを解消しようとありとあらゆる方法を試しても効果が無い時は将来の生活の希望を更に失ってしまいました。私はこのにきびがいつ消えるのかが分からず、卒業後に就職先を見つけられるのかどうかも分からず、まして肉体的な魅力を重視するこの社会に自分がどのようにして溶け込めばよいのかなど分かりませんでした。私にとって、将来は手の届かない所にあり、私は目的なしに生きて行くしかありませんでした。

混乱していた時、神の御言葉が私の問題の根元を明らかにしてくださりました

  しかし、私がとても悲しみ、絶望していた時、神は私に御救いの手を差し伸べてくださりました。ある夏休みの間、私は神を信じる機会があり、自宅で神の御言葉を読みました。一度、私はこの御言葉からなる節を目にしました:「こうした社会動向には、それぞれに人間を継続的に退化させ、人間の倫理や性質をますます低下させる邪悪な影響があり、現在においては、大部分の人々に誠実さや慈悲、良心はなく、理性など尚更欠如している状態にまで達している。それでは、その社会動向とは、どのようなものであろうか。これらの社会動向は視認不可能である。社会動向が席巻した場合、その創出者とされる人数は、ごく僅かであろう。社会動向の創出者は、このような行動を始め、そのような考え方や意見を認め始める。しかし大部分の人々は、無意識のうちに、そうした社会動向に継続的に汚染され、捕らわれ、魅惑され、やがてそれを無意識のうちに受け入れるようになり、そうした社会動向に呑み込まれて支配される。こうした社会動向は、心身の健全さが欠如し、真理とは何かを知らず、肯定的なものと否定的なものの判断が出来ない人間に、そうしたサタンに由来する社会動向や人生観、人生哲学、価値観を、次々と進んで受け入れさせる。この種の人々は、どのような人生を送るべきかに関してサタンが述べた言葉や、サタンにより『授けられた』生活の道を受け入れる。この種の人々には強さ、能力、またことさらに拒否する意識が欠乏している。」彼らは良い仕事と将来性を手にするために「美容整形手術は運命を変える」や「外見が全てだ」といったサタンの考えを受け入れてしまうと、化粧品を熱狂的に求めるようになり、もっと美しくなろうとできること全てを行うようになります。そして、その多くは命を危険にさらしてまで美容整形手術に手を出し、中には顔の形が変わってしまったり、命を落としたり、障害を負ってしまう人々までいます。私もまたこのトレンドに深く束縛され、苦しめられていました。私は大学に入学する前からどのようにして自分を可愛く見せるかということを既に計画し始めていました。にきびが私の計画を台無しにした時、私は悲しみ、動揺し、苦しみ、一日中自己卑下をし、時には他人の言葉や表情に傷つけられることすらありました。この全てが私を落胆させました。さらに、大学時代中、私は常に将来の仕事と将来性を心配し、自分がルックスの良い顔を重宝するこの時代に排除されてしまうことを恐れていました。にきびを治すため、私はありとあらゆる薬を購入し、全ての手段を試しましたが、何の効果も得られなかった時は更に悲しみながら生活し、閉じこもって世間と他の人たちから離れたくまでなりました。今、私は自分が様々な問題と苦しみを抱えていたのは、自分がサタンの生み出した邪悪なトレンドに操られ、それによって悩まされ、傷つけられていたことが理由であったとついに理解することができました。

神は御言葉を使って私の心の希望を明るくしてくださりました

  その後、私は他の御言葉からなる節を目にしました:「大学で有利な学部を選択し、卒業後は満足できる職に就いて、人生の旅路の第一歩で成功を収める者もいる。様々な技能を学んで身に付けたが、自分に適した職や役職を得られず、ましてや経歴を積むなど問題外で、人生の旅路に就いてすぐに、何をしても挫折感を味わい、様々な問題に悩まされ、先行きが暗く、人生が不確かな者もいる。…ある者が追究する職業、ある者の生業、ある者が生涯にわたって蓄える富は、その者の両親や才能、努力、野望によって決まるものではなく、創造主により予め定められている。」これらの御言葉を読んだ後、私は突然明かりが見えました。私はこう理解しました:「私たちの人生全体が神の御手にあるんだ。私たちがどの職業を追求するかということは私たちの外見で決定することではないのです。むしろ、それは神の事前の定めに従って決定されているのです。正に、現実の世界ではこのような実例があります:「多くの人々は大学で順調に物事を進めます - 彼らはそれぞれの成功に満足であると言えるでしょう。それにもかかわらず、彼らは卒業してから仕事を探すと、至る所で挫折を強いられます。対照的に、他の人々は大学では目立ちませんが、仕事を始めるととても業績がよく、素早く昇進もします。更に、客観的な事実から判断すると、美しい人は良い運命を有していると言うわけではありません。美しい人の多くは若くして亡くなり、衰運の一途を辿るというのも事実ではないでしょうか?それに多くの平凡な人々も世界中で成功を収めてはいないでしょうか?従って、私がどのような仕事に就いて、どのような将来を手にするかは私の肉体的な魅力によって決まるわけではないのです。むしろ、これの全ては創造主の手中にあるのです。だから、私は心配とパニックを脇に置いて神の御采配に従うことを学ぶべきなのです。私はこれを理解した時、落ち着いて安心した気分になりました。そして、私は心の重荷をおろし始めて自分の顔にできたにきびを心配しなくなった時、他人の言葉が原因で辛い思いをしたり、将来の仕事について心配、不安、動揺を感じることはなくなりました。代わりに、私は毎日神の前に行き、神の御言葉を食べ飲みし、神のお導きの下で静かに暮らしました。このように生活していると、私は増々安心して、解放された気分になりました。

神の御言葉は私がサタンの罠から逃れ真のいのちを貫くよう御導きくださりました

  卒業後、私は教師の仕事に応募するため、インターネット上の研修プログラムに自分の履歴書を送りました。その会社に面接を受けに行った時、洗練された服装で自信満々な様子の若い教師たちを見た私は思わず少し緊張して怖くなりました。私はこう思いました:「こんな格好してて、私はこの職に選ばれるのかしら?」私は否定的になり落胆していた時、これはサタンが私を悩ませているのであって、サタンが私にその観念に従って物事を見させようとしていることに気が付きました。従って、私は素早く静かに神に祈りを捧げ、私の心を静めてくださるよう請いました。同時に、私はこの御言葉の節についても考えました:「神の権威、そして神が人間の運命を統治しているという事実は人間の意志から独立したものであり、人間の好みや選択に従って変わることが無い。」これらの御言葉から、私は次のことを知りました:「私が今日経験することを前向きな体験にできるかどうか、そして私がここで働けるかどうかは神の御手、神の規則の内にあるのです。それらは私の意思からは自律しており、私の容姿で決まるものではなく、ましてはこの会社のリーダーの手中にあるものではないのです。なぜなら、私たちの持つ各思考は神の御手にあるからです。今、私は神の主権に従うことだけを望みます。」神の御心を理解した私は大分落ち着きを取り戻しました。面接後は講義を行いました。私は準備していた通りに講義を行いました。神の御導きの下で、私は最善を尽くしてさえいれば、残りは神が定められた宿命次第だと分かっていました。こうして、私は何のプレッシャーも感じずに講義を行い、安定して口調で話しました。これほどの自信を感じ、心の開放感を感じたのはこれが初めてでした。しかし、意外なことに、私が一旦神の御計画と御采配に服従する意思を持ったとたん、その2日後にこの会社から電話があり、私はそこで働く誘いを受けたのでした。この知らせを聞いて、私は興奮と喜びを抑えられず、神に神の主権と権威を体験させてくださったことを感謝しました。

  私は仕事を開始した後、生徒たちは裕福で、オシャレな服装をして、知識も豊富であったことを知りました。しかし、私は見た目は普通で顔はにきびだらけでした。これ故に、私は彼らから見下されて、話も聞いてもらえないのではないかと心配でした。しかし、面接の際に経験した素晴らしい体験、そして自分は神にお導きいただいているということを考えた時、私は心の中で次第に落ち着いて解放された気分になりました。その後、私は肉体的な魅力とルックスの制限から開放され、正直な人を実践し、心を開いて生徒たちと会話をし、心を尽くして働いていると、自分の生徒たちからの尊敬を得ただけでなく、校長と生徒の両親たちからの承認も得ることができたのです。これらの体験を通じ、私は神の主権を実際に経験しただけでなく、神に従うことの素晴らしさも体験しました。先の見えなかった私の人生において、光を見せてくださった神の御導きに感謝しています。全ての栄光、神にあれ!