福島被災動物レスキュー(NPO法人SORAアニマルシェルター)

東日本大震災等で行き場を失ってしまった動物達の保護活動をしています。
「世界一楽しいシェルターにしよう」を合言葉に…。

【後編】福島第一原子力発電所視察

2024年09月02日 | 活動報告

前回のブログに引き続き、福島第一原子力発電所視察の様子をお伝えします。

 

福島第一原子力発電所は双葉町と大熊町の境にあります。

大熊町側に、第1から第4号機、双葉町側に第5、第6号機があります。

水素爆発を起こしたのは1,3,4号機です。

1号機の爆発の威力で2号機の壁面パネルが開き、そこから大量の放射線を出したため、最も放射線を出したのは爆発を起こしていない2号機でした。

 

原発事故が起きた仕組みについてです。

発電所では燃料を大量の水で常に冷やしておく必要があります。

13年前の地震と津波で発電所内の電源が落ち、非常用の電源も使えなくなり、燃料を冷やしておくことができなくなりました。

水は徐々に蒸発し、燃料が水から出てむき出しになり、その後溶け落ち、原子炉内を損傷、大量の水素の発生、高温などの原因が重なり、水素爆発に至りました。

5,6号機は爆発が起きた1,3,4号機より3メートル高台にあったため、電源を使うことができ、爆発を免れることができました。

 

原発事故は、そこに住む人々の生活やコミュニティを奪い、救えたかもしれない命を捜索することもできませんでした。

人が消えた町に残された動物達のなかには飢えに苦しみ涙を流して亡くなった子もいたと思います。

たくさんの苦しみを産んだ原発とはどのような場所なのか、実際に見ることができました。

 

原子力発電所には東電のバスに乗り、東電の広報の方が案内してくれました。

通行許可証を見せ、バスが発電所内に入ります。

バスを降りてまずすることは、入域手続きです。

免許証を提示し、許可証を貰い、様々な登録をすることでようやく中に入ることができます。

これを原発の中で作業する方は必ず行います。

万一身分証明書を忘れてしまうと発電所内には入ることはできません。

 

休憩所と呼ばれる建物の7階から広い発電所の敷地を見渡すことができました。

一番目に入るのは処理水を貯めたタンクです。

大きなタンクがいくつもあり、敷地内を埋め尽くしているようでした。

 

原発事故の仕組みや敷地の説明などを動画で見せていただいたあと、バスで1,2,3,4号機を見渡せるデッキに行きました。

その時は1号機にカバーをかける作業を行っていました。

1号機は事故の衝撃をそのままに、鉄骨がむき出し、天井だった部分ががれきとなり積み重なったままになっていました。

がれきを上から取っていくと放射線が一気に舞ってしまうため、カバーをかけてから作業を行うそうです。

 

デッキに行くと線量が一気にあがりました。

普段生活している福島市は0.1マイクロシーベルトほどですが、このデッキは50マイクロシーベルトもありました。

これでもだいぶ低くなった方で、200マイクロシーベルトを越えていた時期もあったそうです。

1号機の傍で作業をしている方はニュースで見るような防護服を来ていますが、私たちは長袖長ズボンに普通のマスクで見学することができました。

 

現在は2号機の試験的な燃料デブリの取り出しの段階に入っていましたが、直前でミスが発覚し延期となりました。

燃料デブリの取り出しは廃炉最大の難関とも言われていて、まずは3グラム、燃料デブリを取り出し分析を行うそうです。

 

広報の方が発電所内の施設について一つ一つ丁寧に説明して下さいました。

デブリの取り出しをどこから行うのか、増え続ける汚染水をこれ以上増やさないよう、汚染される前に地下水をくみ上げたり、地下に氷の壁を作って汚染を防ぐこと、処理水を海洋に放出するまでのプロセス、実際に放出を行っている場所の説明など本当に多岐に渡る内容をこと細かく教えてくださいました。

 

今回の燃料デブリの取り出しミスや、数年前のタンクから汚染水が漏れていたことなど、悪いニュースばかりが目についてしまいますが、施設を案内してもらうと、廃炉に向けて着実に進んでいる様子が分かりました。

 

最も衝撃だったのが、2号機と同じ構造をした5号機に入らせてもらったときのことです。

建屋内の天井を見ると、本当に頑丈に作られていましたが、事故ではこの天井もろとも水素爆発で吹き飛びました。

相当な衝撃だったと思います。

 

敷地内の見学を終え、広報の皆さんとお話しをする時間ができました。

大熊町や双葉町の住民の皆さんにも案内を頻繁にしていること、廃炉=復興ではないこと、廃炉にすれば人が再び住めるようになるわけではないことなどをお話ししました。

すれ違う作業員の方々や今回の広報の皆さんと話していて、皆さんがとても前向きで、廃炉という目標に向かって努力されていることを知りました。

 

私は最後に、SORAアニマルシェルターが出来た経緯を説明させていただき、震災当時に保護した子たちが13年経ち、寿命を迎える時期になったことを話しました。

そして、この子たちが家族と離れ、人がいなくなった場所をさまよい続け、飢えて亡くなった子もいることを忘れないでほしいと伝えました。

 

今回の視察を終えて、福島第一原子力発電所で今何が起きているのか、曖昧にしか分からなかったことが、理解できました。

廃炉まであと30年から40年かかると言われています。

前例がない作業を、その都度出てくる問題に対処しながら着実に前に進んでいると感じました。

しかし、今回巡った浪江、大熊、双葉、富岡の地域にはまだまだ人が戻ってきていません。

あの日から時が進んでいない場所もあります。

福島第一原子力発電所で作った電気を使っていたのは福島県民ではありません。

福島県だけが向き合う問題ではなく、電気を使うすべての人が考えるべき問題です。

どうか、多くの人にこの問題について関心を持ってもらい、忘れないでほしいと思います。

 

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